第9話
「そして少女はどうなったのか
誰も知らない
THE END」
「はるか君、どう? 調子は」
男は淡いピンクの花束を、照れもせずにもってきた。
無骨な外見とは違って、こういうのが平気らしい。
「君のイメージで作ってもらったよ」
こういうセリフも、平然と言えるようだ。
ベッドの横の椅子に、男は座る。
「わぁ、かわいい。ありがとうございます」
はるかはベッドから身を起こし、花束を受け取る。
表情を変えないのは、まだ痛むからだ。
顔のガーゼが痛々しい。
左手の指四本も、添え木をあてられ、包帯を巻かれている。
「で、どうなの?」
「ちゃんと、もとに戻るし、傷もそんなに目立たなくなると先生が言っていました。まぁ、命が助かったんですからそれで良いと思わなければいけないんですけど。明日退院です」
枕もとに花を置きながら、はるかは笑う。
そして、顔をしかめる。
頬を折られたのだから、仕方がない。
手術で、チタンのプレートで骨をつないでいるらしい。
「で、トシは?」
キョロキョロと、男は周りを見回した。
「そっちが本命ですか」
はるかは苦笑した。
そして、また顔をしかめる。
痛むのだ。
「何を言うんだ。君が本命に決まってるだろ。君のおかげで大きく稼いだんだからな。君がオレの女神だ」
しゃあしゃあと男は、言ってのけた。
はるかは唇だけで笑みを作った。
薄い茶色の瞳が、男を見つめる。
「何故、分かっていたのですか?」
不思議そうに、はるかは尋ねる。
「……分かっていたわけじゃない。君にそうして欲しかったんだ」
男はそのあまり光のない目で、はるかを見つめる。
淡い光のようなはるかの眼差しを、吸い込むみたいに。
「……おれは、君に殺して欲しくなかった。だから、君に賭けた」
あの日。
はるかの振り下ろした針は、春岡ではなく、地面に突き刺さった。
はるかは、「仇討ちを、放棄をします!」と叫んだ。
それで仇討ちは、あっけなく終わった。
そう、男はしっかり、商売をしていたのだ。
春岡側に、はるかが最終的に気を変えるように手を打ったと、仇討ちが始まる前に報告していたのだ。
春岡本人には内緒にと、言っていたらしい。(はるかの気が変わったらダメだから)とのことで。
男だけは、はるかが殺さないことを予想し、それを自分の手柄にすりかえたのだ。
春岡が一方的にはるかを殺すことを、皆が予想していた中で、男だけは、はるかがあそこまでこぎつけると信じていたのだ。
成功報酬として多額の礼金と、そして平田事務所への補償金、はるかへの賠償金も男は手にしていた。
「トシさんブチ切れていましたよ。平田さんだって、『あんなに怒ったトシは見たことねぇ』ってトシさんに近寄ろうともしませんでしたよ、しばらくの間・・・・・・トシさんよりお金が好きなんですか?」
怒るのは、分かっていただろうに。
と、はるかは不思議に思う。
「金とトシが比べようがあるわけないだろ? でも、お金は大事だけどね」
率直に男は答えた。
ああ、不意にはるかは納得した。
この人は、トシのために、トシのためだけに、はるかに殺して欲しくなかったのだ。
もちろん、お金も欲しかっただろうけど。
「トシさんが、本当に好きなんですね」
はるかは目を細める。
男は困ったように、目をそらす。
答えないことが答えなのだと、はるかは悟る。
大人は難しい。
時に微笑ましいくらいに。
「これ、通帳とカードと印鑑」
悪いけど、勝手につくらせてもらった、と言いながら、はるかに手渡した。
「こんな金受け取りたくないのも分かっているんだ」
男の大きな手が、はるかの小さな右手を通帳ごと包む。
「でも、受け取ってくれ。金は君の役に立つ」
男は必死で言った。
男は、この勇敢な子供が本当に、好きだった。
だから、何かしてやりたいと思った。
そして、男のしてやれることなど、これくらいしかなく、それも喜ばれるとは思っていなかった。
でも、でも、金は必要だ。
「……ありがとう」
はるかは微笑んだ。
「おじさんの気持ちとして受け取ります。でも、使わないわ。平田さん達も払ったお金返してくれたの。おじさんから貰ったからもういいって。だから、お金はあるの。働きながら頑張って大学卒業するくらいまではなんとかなるわ。まず、高校復学しなくちゃだめだけど、奨学金も使ってなんとかやってみるわ」
はるかの言葉に男は頷いた。
それでもいい。
何かあった時、金があると思うだけでも違う。
「何かあったら、相談しにくるといい」
男は名刺をはるかに渡した。
「お金以外の相談でしょ?」
はるかはくすりと笑った。
「そう、お金以外。アドバイスなら君なら無料でするよ」
男も笑って立ち上がった。
「さぁ、帰るよ、トシに見つかったら殺される」
その言葉には真剣味があった。
「……今度こそ、もう口をきいてももらえないかもしれないな」
ため息交じりに、男は言った。
はるかは、大人の男の人が困り果てるのを、初めて見た。
目を丸くして見ていたが、少し、顔が痛まぬ程度に笑った。
そして、男に教えてあげた。
「……一度、おじさんが得しないで、損してでも、何かトシさんにしてあげればいいんですよ」
「オレが得したらダメなのか?ついででも?」
「そう。平田さんのオススメですよ。一度でもそれをしたら、トシなんか簡単に落ちるって」
「……検討しよう。しかし、そんな非生産的な……何故オレが得したらだめなんだ……」
男はブツブツいいながら去っていった。
大人の恋は難しい。
はるかは、くすりと笑った。
「デカイヤツ、帰ったかい?」
平田がひょっこり姿を現した。
平田を苦手な男のために、ドアの向こうで入らないで、男が帰るまで、待っていてあげたようだ。
「明日退院だって?」
「はい」
はるかは頷いた。
「……で、本題だ。はるちゃん、君をオレんとこにおいて置くわけにはいかない」
はっきり、平田は言った。
はるかの顔が白くなる。
だが、はるかは気丈に頷いた。
目の奥に涙がたまった。
しかし、流しはしなかった。
「……お世話になりました」
笑顔すら、浮かべてみせた。
平田はため息をつく。
「どんな時もそうやって、そう言う風に君は生きていくんだろうな。オレはだから君が好きだよ。デカイヤツだってそうだ。トシだってそうだ。トシが今日来れなかったのは言えなかったからだ。君に出て行けと」
この一ヶ月の間、毎日来て世話をしてくれていたのは、トシだった。
「はるちゃん、オレは君が可愛いし、トシだってそうだ。いや、トシなんか、もう……オレは言ったんだ、入れ込むなって、だけどトシのヤツ……」
平田は頭をかく。
「いいか、君は誰も殺さなかった。オレ達と君は違うんだ。君はオレ達の所にいてはいけない」
「何が違うの? 私は許したわけでもないし、まだ殺さないと決めたわけではないのに!」
はるかはつぶやく。
「ただ、あの人が望むように殺すのをやめただけ。また、あの人が誰かを傷つけたなら、仇討ちなんか関係ない、殺しに行くわ」
「その必要はない。春岡は死んだよ。三日前自殺した。『ありがとう』と君あての遺書があったそうだ」
平田は静かに言った。
「……自殺……」
「ずっと本当は死にたかったんだとさ。こんなことで、許されるとは思わないけれど、ってさ。全くだ。最初からそうしろっての。はるちゃん、君はアイツを、正気にかえしてしまったんだよ」
正気なら、自分のしたことに耐えられるはずもないよな。
平田は肩をすくめた。
途方にくれたはるかに、平田は優しい眼差しを送る。
「オレは、憎い人間なんか、ただこの手で引き裂ければいい。オレの気がすめばいい。他には何も関係ない。相手の反省もいらん。ソイツの恐怖と苦痛と死があれば十分満足だ。君は違う。もっと贅沢でもっと残酷で……もっと優しい。俺達とは違う」
君に賞賛を。
君に敬意を。
そしてだからこそサヨナラだ。
「トシの剣の師匠がいる。トシは外道になったから破門されたが、君の話をしたら引き取りたいと言っている。そして、これはトシの望みだ、行ってやって欲しい」
平田は言わない。
破門になった師の元に行き、トシが土下座し、はるかの身を託したことは。
『私とは違うのです、そして、私ではあの子を教えられないのです』
師は、何も言わず頷いた。
「オレも会ったことあるが、面白い爺さんだよ。優しい婆さんもいて、オマエが来るのを楽しみに待っている。トシを可愛がっていたからな」
行ってやってくれ。
あそこなら大丈夫だ。
トシが、オレが、安心できる。
「行ってくれるかい」
平田は哀願した。
「どうして、どうして……」
はるかが、顔の痛みさえ忘れて、顔を歪め泣いた。
「どうして、一緒にいたらダメなの」
大好きなのに。
はるかは、小さな子供のように泣いた。
でも、はるかにも分かっていたのかもしれない。
離れなければならない、どれほど心を通わせても、離れなければならない。
理由じゃない。
距離じゃない。
ただ、お互いが異質であるからこそ。
「大好きだよ、はるちゃん。オレもトシも」
平田の目が光ったのは、いつもの、瞳の乱反射、だけのせいではなかったのかもしれない。
退院の日、最後の最後まで、トシが来ることはなかった。
代わりに、トシの師匠と言う元気な、七十代とは思えないおじいさんと、その奥さんの、これまた元気なお婆さんが、平田と一緒にやってきた。
「……連れて行くっていうのに、勝手にきやがったよ」
迷惑そうに言う平田に、お爺さんはからから笑った。
「少しでも早く会いたくてな」
大きなお爺さんで、はるかはお爺さんを見上げた。
はるかの目をお爺さんは真っ直ぐにみつめた。
「……なるほど、良い目をしている。オマエさんの車輪眼とは違ってな」
平田にお爺さんは言った。
「車輪眼?」
不思議そうにはるかは聞いた。
「この男のような目のことだよ。異彩を放つ。外道の目だよ。まぁ、外道だが、この男が私は嫌いではないがね」
「オレも爺さん嫌いじゃないよ」
お爺さんと平田は何故か仲良しだった。
お婆さんは、勝手にはるかの荷物をまとめはじめた。
「さぁ、はるかちゃん、家に帰るわよ!」
慌てて、はるかも手伝う。
「……不思議ね、あなた、俊子に似ているわ。姿かたちではないのだけれども」
お婆さんの言葉にはるかはとまどい、次の瞬間、納得する。
トシは、俊子だったのだ。
まとめた荷物はそんなにはなかった。
残りのトシの所にある荷物は、送ってくれると平田が言った。
ボストンバック二個の荷物を、一つ、はるかが持とうとした時だった。
ひょいと、大きな手がそれを持ち上げた。
「これだけかい? オレが持とう」
大きな男だった。
軽々と二つのボストンバックを、持ち上げる。
「見送りにきたんだ」
ちょっと照れくさそうに、はるかに男は言った。
「……君は?」
おじいさんは静かに聞いた。
「はるか君の友人ですよ。そして、俊子さんとお付き合いさせてもらっています」
男ははるかのカバンを持ったまま、礼をした。
「……君が、か……」
お爺さんはそれ以上何も言わず、ゆっくり頭を下げた。
二人はそれ以上、何も言わなかった。
男が荷物を、車のトランクにつめると、はるかはお婆さんと心細げに、後部座席に乗り込んだ。
窓を開け、身を乗り出す。
目が泳ぐ。
誰かを探して。
「ごめんな、はるちゃん。アイツ根性無しなんだわ」
平田が申し訳なさそうに謝る。
はるかの隣に座ったおばあさんが、はるかの手をそっと握った。 その優しいしぐさ、その顔立ちが誰かに似ていると、はるかは思う。
「ありがとうございました」
はるかは、平田に、男に告げる。
さようならのかわりに。
「孫娘を頼みます」
お婆さんは、静かに言った。
「はい」
男は答え、平田は肩をすくめた。
はるかはびっくりして、お婆さんを見つめた。
ああ、似ている。
確かに。
優しい眼差しが、でも意志の強い口元が。
車が走り出した。
はるかは窓から身を乗り出し、車が角をまがるまでその人の姿を探し続けた。
そして、はるかがその人を見ることは、二度となかった。
はるかのママへ送る物語は、こうして終わった。
走り去り、車が見えなくなってから、トシは隠れていた場所から出て来た。
車が消えた方角に、ゆっくりと頭を下げた。
「おじいさん、おばあさん、あの子をお願いします……」
私にはムリでした。
私ではムリでした。
あなた達がいてくれたことも全て忘れて、この身を憎しみに焼きました。
でも、その子ならば、私とは違う道を行くのだと思うのです。
「根性無しだねぇ」
平田は笑った。
「所長ありがとうございました」
トシは平田にも深々と頭をさげた。
「素直すぎると気味悪いね……」
平田は怯えた。
男がトシの隣に立つ。
「……何勝手に挨拶しているのよ……」
低い声で、トシが言う。
男が、ホッとした顔で笑う。
一月ぶりにトシの声を聞けたのだ。
「どういうつもり?何を企んでるの?」
トシが胡散臭そうに、男を見る。
「……お前の爺さん婆さんに、挨拶したかっただけだよ。それだけ。それ以外は何もない」
男はきっぱり言う。
「……ホントに?挨拶するためだけ?」
「本当だ」
トシが少し笑い、男は胸を撫で下ろす。
少し少し、でも確かに、何かが流れ始めたのだ、二人の間に。
トシは、遠くをみる。
「あの子言っていたわ、これは、ママに捧げる物語なんだって。じゃあ、終わりの言葉はどうなるのかしら」
平田が答える。
「そして少女がどうなったのか
誰も知らない THE END」
トシが言葉を付け足した。
「でもきっと幸せになったのよ。
ハッピーエンドじゃない物語なんて、読みたくもないもの」
THE END
仇討ちストーリー トマト @kaaruseigan1973
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます