6 海の水のような彼
「か、加奈子ちゃん、めっちゃきれい……。いいなあ、わたしも角隠しにすればよかったかなあ」
美砂ちゃんが目をうるませている。自分の結婚式の時のことを思い出しているのかもしれない。
「綿帽子、美砂ちゃんのがすごく可愛かったから、憧れてたんだよ。けど、わたしにはあまり似合わなかったんだよね」
そういいながらわたしは鏡の中の自分を見た。
白無垢に角隠しという姿の浜田加奈子がそこに居た。
今日はわたしと、瑞生の結婚式だ。
互いの親族だけに囲まれた、小さな小さな結婚式。
式場は宗像大社だ。
『後悔してほしくないから、どんなことでもいいから希望は漏らさず言って』
と瑞生に言われたときに思いついたのは、故郷で式を挙げたい、ということ。それから、可能であれば海が見えるといいなという二つだった。
となるとそれほど多く案が出ることはなかった。というのも、この街は海と山しかない田舎だから、結婚式と披露宴ができる場所は限られているのだ。
まず結婚式を挙げる場所はここしかなかったと言える。予め決まっていたかのような気がするくらいだ。
「そろそろお時間です」
係の人が呼びに来る。介添えをしてくれる方に教えられたとおりに、裾を引きずらないように
背筋をピンと伸ばした瑞生には紋付袴がとても似合っている。試着のときに見たはずだけれど、特別な日の今日は、特別かっこよく見えた。
瑞生はわたしを見るとほうけたような顔をした。そして照れくさそうにきれいだと言ってくれた。そういう仕草や一言がいちいち特別で、わたしはそのたびに胸に刻みつけていく。
先導の宮司さんと巫女さんについて参道を一歩、そして一歩。歩いていく。
瑞生に歩調を合わせて歩いていく。
後ろを両家の両親が神妙な面持ちでついてくる。
どこからかひらひらと桜の花びらが舞ってきた。
観光客が道を開けてくれる。外国人も多く、写真を撮っている人もいた。うつむきながらも幸せなカップルに見えているといいな、とわたしは思った。
本殿にたどり着くとお祓い、そして祝詞があげられる。鈴でのお祓いを挟んで、三三九度だ。
瑞生が真剣な面持ちでお神酒の注がれた一の盃に唇をつける。その盃でわたしも続けてお神酒をいただく。
二の盃ではわたし、瑞生の順番で。
三の盃ではまた瑞生、わたしの順番で盃を交わす。
三の盃のお酒が喉を流れていく。お酒の熱とともに胸にも熱が生まれた。
心の底から幸せな気持ちのまま、和紙に書かれた誓いの言葉を口にする。
「今日を佳き日と選び、宗像大社の御神前で結婚式を挙げました。今後は信頼と愛情を以て
そこで二人で一呼吸。宣誓するように名乗った。
「夫 上原瑞生」
「妻 加奈子」
あぁ、わたし、浜田加奈子は、上原加奈子になれたのだ。
*
親族のみのささやかな披露宴が終わる。
海沿いにあるホテルでの宴だったのだけれど、開放感のある式場も海の幸をふんだんに使った料理も喜んでもらえたようだった。
とにかく緊張しっぱなしだったため、終わったとたん凄まじい疲労感が襲ってきた。
昨日、ぎりぎりまで準備をしていたというのもあるけれど。
眠い……。だけど、今日だけは眠っちゃうわけにいかないよね……。
披露宴会場のサービスで一泊することになっていた。生まれてはじめてのスイートルームはオーシャンビューだった。だというのにあくびを噛み殺すのに必死なわたしを、瑞生が笑う。
「疲れたろ? 別に寝ちゃっても構わないんだけど」
「さ、さすがにだめ。二度と泊まれないかもしれないんだよ? そんなもったいないことできないし」
「もったいないって……」
言ったあとにハッとしたわたしは、思わず顔を手のひらで覆う。だって、それはこれからのことに期待してるって言ってるようなもので!
だ、だけど、結婚した夜にやってくるのは当然それなわけだから、わたしは別に変なことを言っているわけじゃないと思う!
瑞生はそんなわたしの手を取ると、
「ちょっとだけ、外に出ようか」
と提案した。
春の海は穏やかだけれど、海風はまだまだ冷たかった。眠気は一瞬で吹き飛んだものの、これは寒い。薄着で出てきてしまったわたしがふるりと震えると、瑞生は自分のジャケットを羽織らせた。
瑞生が連れ出したのはホテルから徒歩で行ける砂浜ではなく、彼が最初にわたしを連れて行ってくれた砂浜だった。
夜の海は別の趣があった。海の水は暗いけれど、星と月を抱き込んで時折きらめいている。
さくさくと音を立てる砂は今はひやりと冷たい。だけどあのときの火傷しそうな砂の熱さは肌に蘇る。
皮切りにいろんなことが鮮やかに蘇ってくる。
そうか。あのとき、わたしは恋に引きずりこまれた。わたしの全てを包み込むような、海のような彼に。
じんわりと感動していると瑞生が大きく深呼吸をした。
「みんな喜んでくれてよかったな。市内は便利だろうけど、こういう景観はないから。海はやっぱり開放感があっていい。食い物もうまかったし」
しみじみと言う。彼もずいぶん緊張していたみたいだ。
「いや、でも実は加奈子が海にこだわるとは思わなかったけど」
瑞生は笑うけれど、わたしは彼がこだわりの理由を知らなかったことに驚いた。普段は鋭いのに。自分に関わることには鈍いのが不思議。
「だって。瑞生と出会ったのも、再会して恋に落ちたのもこの街だし、それに瑞生と最初に行ったのって海だったから……だからここがよかった」
あのとき、この海でわたしの心が洗われた。そして瑞生はこの海の水みたいにわたしの心に染み込んだ。だからこそここが良かった。ここしかなかったのだ。
告白をするような気分で告げると、瑞生はなんだかちょっと泣きそうな顔をした。
そして「あのとき、海に連れて行ってよかった。一世一代の勝負に勝った感じ」と心底嬉しそうに言うと、身をかがめてわたしにキスをした。
波の音を聞きながら瑞生と過ごしたその夜のことを、きっとわたしは一生忘れないだろう。
恋愛する男、結婚する男 山本 風碧 @greenapple
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