第4話:ほんとうの探求
「やだなぁ、物騒じゃないか。……どけて、くれないかな。ソレ」
アストラーベにはごく細い刃が仕込まれていた。しかし、細いとはいえど、鋭利なことに違いはない。
アルの首筋には、脅すように、牽制するように、それが突きつけられている。
「君の行動から導き出される結論としては、つまり認めてるって事だよね?」
「……何をだ?」
いつもの軽口や嫌味を言うときのクノッサの声とは明らかに違う、敵意をむき出しにした冷たさが彼の言葉には含まれていた。
「君が謀反人の、それでいて逃亡犯だってことをさ、クノッサ。……いや」
アルは首元の刃には動ぜずに振り向き、真っ直ぐクノッサを見た。
「クノッサ、もとい『クー』。
君はレナハム王国の第五十五代星守りの息子、クー・ノスアル・ソティスヴァールだ」
静かに夜気の風がそよぐ。夏でもやはり夜風は肌寒かった。
クノッサは何も言わない。指先すら、ぴくりとも動かなかった。目だけが尋常ではない光りを称えている。
「あんた、誰だ」
「自己紹介は済んでるよ」
クノッサはさらに目を険しくさせた。
「何しに来た、何を言われてきた! 何が目的だ! 何をしたい! 何を、誰に頼まれてきた! 僕を殺しにきたのか? 連れ戻しに来たのか? 誰に、言われたんだ!」
「さあて」
アルはこの状況にしては、いやにのんびりとした口調で続ける。
「たまたまこの辺りを通りかかった旅人が、たまたま以前にレナハム王国の反逆者の息子が逃亡中であるという噂をきいて、助けてもらった人里離れた塔に一人で住む若い青年が、たまたまその人なんじゃないかと思い当たった。
こう説明したら、クロちゃんは信じるかい?」
「信じないね。そんな出来過ぎた話などあるわけがない」
ふむ、と声をもらし、アルは考えながらやんわりと言った。
「どういう回答なら、納得できる?
君の憎むべき国の要人から、君の捕縛ないしは殺害を依頼されて、行き倒れを装ってここまで来ました。
……そう言ったら、君は納得するのかな」
「ああ、納得するね。この上もなく納得してやるよ」
クノッサは力なく腕をだらりと下げた。それまでかろうじて添えられていた刃が、アルの首筋から離れていく。
自嘲気味に笑みを浮かべながら、クノッサは尋ねた。
「……どうして分かったんだ?」
アルは真面目な表情のまま、淡々と答える。
「初めは名前、だね。響きが似てると思ったのが最初かな。ファミリーネームを言わないのに引っかかったこともあった。
それにこの国は確か、家柄を重んじるはずだ。確かクロちゃんくらいの年じゃあ独立なんて許されない。二十歳過ぎまでは家の庇護下に置かれるって」
「僕は今年で十七、明らかにまだ家の庇護下だな。ま、街じゃ二十より上ということになってるけど。
……その様子じゃ、お前が名前に関して無知だったのも、全部『ふり』かよ。それを知ってるなら、この国の名前のことくらい知ってるはずだものな」
ふり、というわけでもなかったのだけどね、と言い訳てから、アルは決まり悪そうに話題を変える。
「そもそもだよ、本当に正体がばれたくないのなら、もう少し気を配った方が良いと思うけどな。塔で一人暮らしってだけでも十分あやしいのに、クロちゃんは周りに気を使わな過ぎる。偽名だってもうちょっと考えた方が良い」
「それくらい承知してるさ。けど偽名だって僕なりに考えた結果なんだ。
……国は捨てても、名前を完全に捨てる気にはならない」
少し拗ねたように言ってから、ふっと悪戯めいた表情になってアルに顔を向けた。
「お前こそ、その下らない偽名を止めたらどうだ?
南の冠座は『南の欠け皿』さん?」
「うぎゃ、……ばれてましたか」
アルは苦笑いを浮かべながら頬をかいた。
「ばれるも何も、天文関係者にそんな単語を口走る方こそ間違ってる」
「だってクロちゃんが天文学者だというのは、計算外でしてね……そもそもまさか、星絡みで反逆者として殺された息子が、まだ星を見続けてるなんて思いもしないじゃないか」
クノッサはアルに言われて少し口ごもるが、負けじと言い返した。
「観察力の欠如としか言えないね」
クノッサは望遠鏡を手に取り、地平線近くに向ける。
「今だって出ているじゃないか。お前の星」
望遠鏡が映しているのは、南の冠座。
そのα星、アルフェッカ・メリデアィナだった。
「うわー、際どい。見えるか見えないかってところだねー」
クノッサの示した方角を眺めながら、のほほんと言うアルに、クノッサは目を細めて訝しげに視線を向ける。
「何故、この名にした?
アルフェッカ・メリデアィナ。
意味は『南の欠け皿』。
星から名をとるにしても、もっと、まともな名がいくらでもあっただろう」
「……お似合い、だと思ってね」
アルは寂しげに笑んだ。
釈然としないようすで、クノッサは首をひねるが、それ以上の追及はしない。
「ともあれ、確かに名前に関しては僕の落ち度だな。けど、名前の近似と一人暮らしとのそれだけじゃ、僕がクーだという決定要因にはならないだろう?」
「まあね」
アルは肩をすくめる。
「星に憧憬が深いらしいとか、その髪とか、推測要因はいくつかあったけど断定は出来なかった。ついさっきまではね。
けれど何より、そのアストラーベには、レナハム王国の紋章が刻まれてるじゃないか」
言われ、クノッサは手にしているアストラーベを見つめた。
蓋を閉じれば、そこには獅子を象った文様。
それは彼の捨てた故郷、追われた故郷たる、レナハム王国の紋章である。
「……やられたな」
「見つからないようにしたいのなら、もっと用心しないと駄目だ」
「あぁ、まったくだ。……こんなもの、あったことすら忘れかけていた」
クノッサは草の上に座り込み、傍らにアストラーベを投げ出した。その隣に、やや距離を置いてアルもまた座り込む。
「……形見、なんだ」
「そんなことなんじゃないかと思ったよ」
アルはアストラーベを拾い上げ、遠慮がちに眺めた。
「仕込み針は、クロちゃんのお手製なの?」
「いや。親が仕込んだ。あの国の飼い犬だった親が」
「……天文博士が何故武器を仕込ませとくの?」
「知らないね、そんなこと」
クノッサは嫌悪感を露わにし、吐き捨てるようにて言った。
「散々利用され国に良いように使い倒されて、自分の意志なんか持たずただ操られ権力に荷担して、結局用済みになったら廃棄処分されたんだ。
……人間は、嫌いだ。でも、無力な自分は、もっと嫌いだ。僕はあんな風に生きたくなんかない。僕は、僕の意志で動いていたい」
クノッサは目を細め、慈しむような眼差しで星空を見上げた。
「けど、こればっかりは嫌いになれなかったんだ。どうしようもないけど、な。
結果として、これが元で終わることになるなんてな。似たような路線を辿って、似たような末路を辿るわけか。いいお笑い草だ」
口元に笑みを浮かべながら、クノッサはアルを見た。
「どういう目的かは知らないが、好きにすればいい。
星の元で死ねるなら、僕は本望だ」
アルはじっとクノッサを見つめながら呟く。
「私が刺客だと、いつ言った?」
「言ってないが、似たようなものなんだろう。
味方だとか通りすがりだとかいう方こそ、信じないぞ、僕は」
さっき夜空に向けていたのとはうって変わった冷たい眼差しでクノッサは言った。アルは奇妙に笑みを浮かべながら、服についた草を払いつつ立ち上げる。
「さぁ、て。
君がご所望なのは、私がここでこうしている回答かな?
何を言われてきたのか、といえば、私は君が逃亡者である罪人と聞かされてきた。
殺しにきたのか、連れ戻しに来たのか、といえば、それはまだ分からない。
ただ、一つだけはっきりしていることがあるよ。
何しに来たのか、といえば、
『私は君に会いに来た。』
何が目的で何をしたいのかといえば、他の誰の意思でも命令でもなく、私は君に会いに来たんだよ、クー」
アルは両手を広げ、まるでお伽話を物語るかのような口調で続けた。
「君の事情はよくは知らない。けど、どんなことがあったかは分かるよ。
何が正しくて何が悪いのか、何が本当で何が偽りなのか、何を信じたらいいのかも分からない。信じられるのは、自分だけ。
でも、渦中から逃げ出したんだったら、そろそろ人を信じなくっちゃ。
どうにかして生き延びている以上は、いい加減に拒絶してはいけない」
「あんたに、……何が分かる」
苛々とクノッサは唇を噛み締めた。ぎり、と力を込めてこぶしを握る。
それでもなお穏やかに、アルは小首を傾げた。
「私はね、君と同じだ。君と同じなんだよ、クー」
寂しげに微笑み、アルは彼の住む塔を見つめながら静かに言った。
「私は、君と同じで帰る家がないんだ。
何故なら、居場所を壊されてしまったからね」
クノッサは息を飲んで、アルを見つめた。
「両親はいなかったけど、私を育ててくれた人たちはいたんだよ。
けれど、身に覚えのない罪で私が罪人にされ連行されそうになったとき、私を庇ったせいでみんなは粛清されて、肝心の私が一人だけ生き延びた。
何でも、国に言わせれば、私の出自に問題があるんだってさ。けど私が何なのか、私にだって分からない。だから、私は親を探してるんだ」
彼女は振り向き、クノッサを見つめる。
「ねえ、この世は理不尽だよ。何が正しくて何が悪かったのかなんて、理屈立てて説明しちゃくれない。してくれたところで、納得できるとも思えない。
本当に私が悪いのなら、逃げ回らずに大人しくしたがった方がいいだろうね。
けど、そうしたら私を庇ってくれた人たちは何だったのさ。
分からないんだ、私には。何がほんとうなのかどうか、なんて。
そして分からないままに逃げて探していた、その矢先に聞いた話が、君の話だよ。
その息子も直接の関与はないまでも、幽閉されるはずが逃げだして、今じゃそれなりに有名な罪人になってしまっている。逃げ出したのは悪いことかもしれない。けど、それは果たして彼にとっては『ほんとう』なのかな?
……ねえ。会って、みたく、なるじゃないか」
アルは後ろで手を組んで、にっと笑みを浮かべて見せた。
「だから私は決めたんだ。
似たような境遇の、逃げだした罪人。
その人を許せたら、私は、自分を」
「――許す?」
「惜しいね」
指を鳴らし、アルは正解を言う。
「許すというよりは、……私は私を、正しいと判じようじゃないか、ってさ」
そのまま大きく息を吸い込んで、アルは自分の中の鬱憤も一緒に吐き出すかのように、凛と響く声で告げた。
「クー・ノスアル・ソティスヴァール。
私は、私の主観でもって、君を許そう」
「お前、……滅茶苦茶だな」
いつもの呆れ交じりの声で、クノッサはため息をついた。
「滅茶苦茶だよ。けどね、実際問題、人によって真実は変わるものじゃないか。
私の中では、クーがほんとうなんだよ」
「絶対不変のものなんて、無いものだしな」
気付けば、星は随分初めよりも西へ流れてしまっていた。ちょうどペルセウス座が彼らの真上に来る形になる。
「私は、ほんとうが、知りたい」
「僕は、真実が探求したいんだ」
真似して続けたクノッサの言葉に、アルは声を立てて笑った。
「クロちゃん、君は間違いなく両親の血を引き継いでるよ」
クノッサは呆気にとられ、目を見開いてアルを睨むようにして見つめる。
「ばっ……何で、僕が」
「何がどうだったのかは分からないけどさ。君の両親だって、そう心では願っていたから君に仕込み針付きのアストラーベを託したに違いないもの。
悪いのはクロちゃんの両親じゃない。
悪いのは、何かをそうさせた見えない悪いものだよ」
「……お前って、本ッ当に変わってるのな」
根拠もないくせに、と言いながら、クノッサは初めて優しい微笑みを浮かべた。
そんな彼の表情を見て、嬉しそうに彼女も微笑んでから、アルはごろりと横になる。
「私ね、名前がないんだよ」
どこか唐突にアルは言った。
「物心付いた時から偽名。私には、根本的な存在を決定づける概念が欠けてるの。
だから──欠け皿」
星空から目を離し、クノッサは横たわるアルを見つめた。また、唐突にアルが言う。
「本当の目的は、両親探しでも薬草修行でも無いんだ。……自分の本当の名前を探すこと」
「本当の、名前?」
アルは目線だけクノッサの方を向けて頷いた。
「私を育ててくれた人が亡くなる時に、最期に言い残したの。
『本当の名を見つけろ。』って。
わーかってるよ、無謀だって事ぐらいは。そんなもの、あるかどうかも分からないし、抽象的すぎて誰かに助けを求めることすらできやしない。
けど、私はそれを探したいと思った。……絶対に」
夜風が凪いだ。夏の夜がじっとりと肌にまとわりつく。
クノッサはじっとアルを凝視した。星明かりの下、はにかむように、照れるように笑うアルの顔には、どこか悲しげな表情がうっすらと浮かんでいた。
「『本当の名を探せ。そうすれば全ての事が、世界が変わる。』
それこそ、名前なんて星の数ほども有るけれど、自分で好きな名前でも探せばいいって話なんだろうけどさ。あの人が言ったことはそう言うことじゃない気がするんだ。
何か、もっと……大切なこと」
アルは思いっきり伸びをしてから、勢いよく起きあがる。
「ねえ」
おもむろにアルが声を挙げる。
「星祭り、しよっか」
「……祭り?」
にやりと楽しげに笑んで、アルは懐に手を伸ばす。クノッサが気付いた頃には既に火を付けていた。大きな音を立て、巨大な円を描いた花火が上空に上がる。
「唐突にお前は何をするんだ! っていうかこれは何だ!」
「花火! 東方の国で発明された芸術だよ、素晴らしいでしょ!」
アルは花火に向かって叫んだ。
「たーまやーっ」
「何、それ」
「花火を上げたらそう言うの」
続いてさらにアルは花火に火を着け始める。次々に夜空へは大輪の花が咲いた。
笑い転げるアルに、クノッサは恐る恐る尋ねる。
「……お前、ホントに本業は薬草使い、だよな」
「薬草使い兼、華麗なる火薬使い。
それこそが偽名アルフェッカ・メリデアィナことアルちゃんの正体で御座います」
答えてからにやりと笑い、アルは両手を星空に向かって広げた。
「これはね、さる東方の国々で祭事に使用されるものなんだよ。この国のお祭りとは違うけど、こういう派手なのもたまには良いでしょ」
「……や、派手だから良いって訳じゃない! そもそも僕はしっとりした雰囲気の方が好みで、大体において祭りなんて騒がしいものはあまり性に合わな」
「でも、これは綺麗でしょ?」
内面を見透かしたように、アルはクノッサの顔を覗き込む。少しだけたじろいでから、彼は素直に認めた。
「……ああ」
クノッサは星空に花開く花火を見上げた。
「たまには、こんなのも、悪くない。……のかもしれない」
クノッサは控えめにそう言った後、ごく小さな声でぼそりと言った。
「……ありがとう」
「ん、何か言った?」
「何でもない」
クノッサはそっぽを向く。
「これじゃ、観測なんて出来ないじゃないか」
「良いじゃん、たまにはさ」
「良くない。観測とは、日頃の積み重ねの賜物であって……」
会話でアルが手を止めたため、花火が途切れた。
その星空に、一筋の流れ星が通りかかる。
「──あ」
二人はどちらともなく呟いた。
一つではなかった。二つ、三つ。更にいくつもの流れ星が流れてゆく。
「わ、流れ星」
遅れてアルが感嘆の声をあげる。
「言っただろ、今日はペルセウス流星群が来るって」
「……方便の、嘘かと思ってた」
「天体に関する事で僕は嘘なんか付かない。……信じろと言ったのは、お前じゃないか」
狼の声も今は聞こえない。森は静かだった。
星空は黙ってそこに存在している。流れ星は、そこをゆっくりと翔け抜けていった。
星降ジャッジメント 佐久良 明兎 @akito39
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