第3話:異端の星
『私がクロの研究の邪魔をするように見える?』
(……見えるとも!)
翌日、の深夜。
クノッサは眠い目をこすり、そっと外へ出た。アルにばれないよう、こっそりと。
睡眠不足の原因は、質問攻めにして朝まで暴走し続けたアルである。彼女の持ち前であるらしい好奇心と知識欲が、悪い具合に発揮され続けたためだ。
当の本人は、昨日一昨日、さらにその前の疲れもあってか、今日はひたすら眠り続けている。そのくせ食事にはきっちりと起きてくるのだから始末に終えない。貴重な食事、その五食分がアルのエネルギーに変わった。
後で宿代と食事代はしっかりせしめてやろうと胸に誓いながら、クノッサは暗い平原を歩いていた。小さめの望遠鏡、掌サイズの丸い器具、天球図やその他の物が雑多に入った布の鞄をひっさげ、高台の丘を目指している。
真っ暗闇の辺りを照らすのは、ごくうっすらと灯ったランプの明かりだけだ。
北には、遠く街の明かりが微かに見える。いつもだと、ここまで街の明かりが届くことは滅多にない。今日は、特別な日なのだ。
今夜は、神聖リーシャ国において極めて重要な祭典である、星祭りの日だった。街では、盛大に祭りが執り行われていることだろう。しかしこの僻地においては関係の薄い出来事であったし、クノッサもまた、わざわざ星祭りを祝いに外へ出たわけではない。
街の明かりを眺めていると、遠くで、と言っても街よりは自分の位置からほど近くから、動物の遠吠えが聞こえた。
人間のいないこの地は、素人目に見ても植物の宝庫だった。薬草使いのアルが迷い込むのも無理はない。一方で、この辺りは猛獣のいる危険地帯として、街では堅く子供達に出入りを禁じる森でもあった。
先ほどより近くで、動物の唸り声が聞こえた。この声には聞き覚えがある。
(――狼か)
クノッサは唇を噛んだ。背を冷や汗が伝う。
こんな所に住んでいるくらいである、獣が生息していることは承知していた。普段はそういう場所に近寄らぬようにしてきたし、獣の生息範囲も大方は把握していたのだ。
だが、彼はこの付近に狼が生息していることを知らなかった。街に向かう時に使う道とは違う滅多に来ることのない場所であったし、昼と夜とでは様相が違う。夜には基本的に外へ出ないので、狼がこの辺りまでやってくることを知らなかったのだ。
更に悪い情報を付け加えれば、クノッサは狼が苦手だった。
目的の場所である丘まで辿り着く。しかしそこには、狙いすましたかのように危惧した狼の群れが待ち受けていた。
「その上、今夜は星月夜ときたか……成る程、観測にはもってこいだが、獣に出くわした場合に必要以上に視覚が限定され、より通常よりも不利になるな。頭に留めておこう」
――ただし生きて帰れたら。
じり、とクノッサは後ずさった。深夜の人気のない場所で、よりにもよって苦手な狼と対峙するという最悪の事態に対して、次第に覚悟を決めたその時、
「……!?」
突如、目をやいた明るい閃光に、クノッサは思わず目を閉じた。
それとほぼ時を同じくして、後ろから爆音が聞こえる。驚いて身をすくめたが、狼もまたそれは同じであったようで、狼の群れは怯み、散って逃げていく。
「ひゃっほう、今夜は今夜とて華麗に炸裂! うはは、やるねぇ! さっすがアルちゃん、ですな!」
彼の後ろからは、聞き覚えのある声。
嫌な予感がして、ゆっくりと振り向いたクノッサの後ろに立っていたのは、大量の火薬を手に持つアルだった。
「…………」
どう反応していいか分からず、しばしクノッサは硬直する。
「やあ、御機嫌よう! いい宵だねークロちゃん」
アルの場違いにのんきな声で我に返ったクノッサは、勢い込んでまくしたてた。
「ななな、何でお前がここにいるんだ! 大体どうやって僕の居場所を探し当てたというんだ、塔からここまで何の目印のないし視界も悪い、見つけられるはずがない!
そしてその火薬は何だ! お前は薬草使いじゃなかったのか火薬使いだったのか!? というか危ない草が燃えるぞ!」
「クロちゃんの言葉を借りるなら、火薬は趣味で薬草は生きがいだよ」
一番、急を要さない部分に返答してから、アルは広げていた火薬をしまいこんだ。その後で、まだ呆然としているクノッサに向き直る。
「クロちゃんが出て行く音が聞こえたからね。一体こんな真夜中に、何をしに行くのかと思ってさ」
「それにしても、この暗闇の中で僕を追うことなんて不可能だ。可視距離まで近づけば、僕が気付かないはずがない」
アルはしたり顔で足下を指さした。
「これだよ、これ」
よく見てみると、クノッサの履いたブーツのかかと部分、彼からはちょうど上手い具合に死角となる所が、強い光を放っていた。
「私が開発した発光薬だよ。
言ったでしょう、『食事には入れてない』ってさ」
アルは嬉しそうに腕を組んだ。
「うん、実験成功」
「実験台……!?」
クノッサは口を引きつらせ、肩を力なく落とした。
「いっそ目眩がしてきた……。睡眠不足で拍車がかかってる」
「あちゃ、駄目だなぁ。睡眠不足は体に悪いよ」
「誰の所為だと思ってる!」
クノッサはこめかみを押さえた。実際、頭痛がするような気がする。だがそれでも、直接人体実験を施されるよりは、遙かにましなのだと思えた。彼女のことである、やらないとは言い切れない。たとえば食事に入れるとか、食事に入れるとか、食事に入れるとか。
やはりアルは、彼にとって厄介の種に違いなかった。
「ところで、どうしてこんな所に来たの?」
あどけないようすで尋ね、首を傾げたアルに対し、クノッサは返答に詰まる。
アルは暢気な調子で更に続けた。
「そういえば今日、星祭りなんでしょ。街の方が騒がしいし、新聞にも書いてあった。
星祭りは神聖リーシャで一番の祭典。もしかしてクロちゃんがそれを祝いに来たのなら、私も是非仲間に入れて欲しいなと思ってね」
「違う。だったら塔でやればいい話じゃないか。……帰れ」
「危険な森を一人で帰らせる気?」
「狼を火薬で追っ払ったのはどこのどいつだ」
クノッサの台詞を彼女は華麗に無視する。
仕方なしにクノッサは、鞄に手を入れ中身を取り出し始めた。
「これは何?」
アルは掌サイズの丸い器具を手に取った。蓋を開くと、中には細かい目盛が刻まれ、可動する針が付いている。蓋の表面には獅子を象った文様が刻まれていた。
「アストロラーベ。天文計算器具だ。天文学者にとっては必需品と言える」
アストロラーベをいじりながらクノッサは答える。
「今日はペルセウス流星群が来る」
「流星群?」
「その観測を行うんだ。分かったなら帰れ」
「嘘だね」
あまりにきっぱりしたアルの言葉に、クノッサは驚いて顔を上げた。
「……何だって?」
「だったら、それこそ天文台でやればいい話でしょ。答えになってない。ここと天文台とで、たいして環境に変わりはないもの。
なのにわざわざここまで来たのは、邪魔者がいたから。じゃない?」
しばらくクノッサは何も言わなかった。だが、やがて深々と息を吐きだすと、彼は自分の髪の毛をくしゃりとかきあげた。
「……そこまで察しておいて、着いて来るなよ」
「私だってその気は無かったさ。君が、狼の群れに自ら突っ込んでくような真似さえしなけりゃね」
「それこそ、塔にいたのによく気付いたな」
「クロちゃんの行く方角が危険そうだと当たりをつけたら、案の定だよ。
ここ界隈で迷ってる最中に、あらかた獣の行動範囲は把握したからね。住んでるくせに気にしないクロのがどうかしてる。
もしくは、そうまでして観測したいものが一体何かってのが、流石に気になるじゃないか」
何も言えず、クノッサは諦めたようにため息をつく。
望遠鏡を操作すると、彼はそれをとある星に向けた。
「覗いてみろ」
促されアルは望遠鏡を覗く。
そこには、ちらちらと瞬く白い星が見えた。
「全天きっての最凶星、ペルセウス座のアルゴルだ。
星に囚われた者は憑かれ悪鬼と成し、人を取って喰らうという悪魔の星。崇めることはおろか、観測することですら異端。国と民とを呪い、仇成す星、と言われている。
しかしそれと同時に、アルゴルは全天でも珍しい変光星でもある。
……今日は、こいつの最適の観測日なんだ」
「星祭りの、日にか。……皮肉だね」
「全くだ」
クノッサは鼻でふふんと笑った。
「この国では恐ろしいほど迷信が生き残っている。馬鹿馬鹿しいこと然りだ。そんなことだから占星術国家のくせに、天文の研究に発展の兆しが見られないんだ。国の連中は都合の良い国の為の学問しかやっていない」
「それで掟破りの禁忌に手を触れましたか」
「悪いか?」
「全然」
アルは望遠鏡をクノッサに返しながら答える。
「クロちゃんの思い通りにやっていれば、良いんじゃない?」
空に瞬く星は、どれも美しく輝く。疎まれる星すら、その光に禍々しさは感じられない。
望遠鏡を受け取り、クノッサはぽつりと呟いた。
「何故異端にする必要がある? 要は国家の威信が大事なんだ。国の良いように使われて、ねじ曲げられた方向に進んでいく研究なんて、学問じゃない。
僕は真実の学問を探究したいだけなのに」
クノッサは決然とした表情で言う。アルは神妙に頷いた。
「うん。
……ある。すっごく理不尽なこと。なのに、それを誰も認めようとしない。間違った正しくない方向が本当なんだって皆が言う。知りたいのは、虚偽じゃないのに。
知りたいのは、……真実」
アルのその言葉は、半分自分に語りかけているようにも聞こえた。
二人の間に沈黙が訪れる。
やがてしばらく続いたそれを破ったのは、まるで呪文のように発したアルの呟きだった。
「クノッサ・スコルピウス、……ソティスヴァール」
「え?」
何を言われたのか瞬時に理解できず、しかしそれを理解すると、焦ってクノッサは振り返った。真顔になったアルが、静かにクノッサへ問いかける。
「でしょ、君の名前。正式には」
「…………」
辺りが暗いため、クノッサの些細な表情の変化は読みとれなかったが、それでも緊張した雰囲気は肌にぴりぴりと感じた。
「そりゃあそうだよね。どこのだれとも分からない人間に易々とは名乗れない」
アルはクノッサのようすに構わず話し続けた。
「自分が、数年前に国家大罪を犯し処刑された天文博士の、生き残った息子なんて、さ」
次の瞬間。
細い氷のようなものが、アルの首筋に触った。
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