第2話:星を観る少年

「ヴァドリア公国は今日も平和だね。とと、これはちょっと前の記事か。でもあの国のことだ、きっとそんな動乱も事件もないんだろうね。

 代わりに、オルディー自治区でまた暴動。二週間たってるけど、いい加減収まったのかな。当分は近づかない方がよさそうか。折角、エラルダ海は豊漁だってのにさ。ヴァドリアだと物価が高いからなあ。ここだとどうしても鮮度は落ちるからねえ。お魚食べたいなー。

 ところで神聖リーシャの新聞、占いの記事が多っ……」


 声が耳障りだ、とアルに文句を言う気力もなく、クノッサは机に向き直っている。再度あの難解な本と向き合おうとするが、しかし頭は思う様に働いてはくれず、力なく彼は頬杖を付いていた。

 手持無沙汰なためか、アルは部屋の片隅に積み上げられた新聞の山に目を通し、先ほどからぶつぶつと呟いていた。月に何度か、クノッサは食べ物を買出しに町へ出かける。新聞もその時に、数少ない情報源として入手しているのだ。


 確かに見渡す限りの森と平原で、周囲に人の住む気配はないが、北へ二時間も進めば規模は小さいが活気のある街があった。その街で乗り物を使えば、もう少し先には、更に大きな街もある。

 アルは、よりによって人気のない場所ばかりを通って、ここまで迷い込んできたらしい。この塔など見つけず、あと少し先の街へ行ってくれればよかったのに、と思うが、不運だったと思うよりほかなかった。



(――どっちにとっても、な)



 心の中で、クノッサは盛大にため息をつく。

 アルだって、こんな塔で助けられるよりは、街の方がよほど快適な宿と美味しい食事が得られたはずだ。お金を持っているかどうかはさておくとしても。

 だが、もやもやと考えていたクノッサの思考を打ち切るように、アルがにわかにクノッサへ向けて口を開いた。


「この不思議な道具とかは何? クロちゃんはここで何をしているんだい?」


 新聞には目を通し終えたのか、アルは手近にあった器具を手に持ち、興味深げに眺めていた。クノッサは不意を突かれ、思わず素直に答える。


「ああ。僕は天文学の研究を行っている。ここにあるのは主に観測に使用される道具だ」

「えっと、じゃあさっきの理論って言うのも、天文学の?」

「いや、あれは数学の証明を行おうとしていた」

「……数学?」

「数学は趣味で、天文学は僕の生きがいそのものだ」


 クノッサは妙にきっぱり言った。椅子から立ち上がり、アルの手に持った道具を受け取ってから、元あった場所に戻しつつ彼は語る。


「数学ほど整った学問は無いんだぞ。

 簡単に言えば、数学は至上にして絶対の、崇高な学問だ。それこそ神の領域、ないしはそれをも凌駕する程の世界だな。大体、天文学に数学の知識は不可欠なんだ。

 そして天文学は、この世界の全ての真理を包括し、永遠の真実を与え無限の境地に至る、実に偉大で神秘の学問だ」

「それ、私が相手だからって適当に答えてる? それとも愛ゆえの本気なのかね」

「両方だな、察しがいい」


 どことなくクノッサは機嫌よく答える。


「でも、神聖リーシャ国が誇るところの、占星術ではないんだ?」

「あれは別種の学問だ。僕がしたいのは、それじゃない」


 少し間をおいてから、唇を引き結び、毅然としたようすでクノッサは言った。


「僕は星の示す未来じゃなくて、星そのもの、天体そのものの真実が知りたい」


 クノッサのようすをじっと見つめながら、アルは、へぇ、と相槌を打った。

 その後で少しばかり笑みを浮かべながら、彼女は下から覗き込むようにしてクノッサの顔色を窺う。アルの身長は、クノッサよりもだいぶ低い。


「今日も観測する?」


 クノッサはアルに皆まで言わせずに悟った。

 らんらんと好奇心に輝いた目は、明らかに『観測についてくる気満々です!』と如実に物語っている。

 不信感をあらわにした眼差しでクノッサは釘を刺す。


「……言っておくが、僕の研究の邪魔だけはするな!」

「やだなー、私がクロちゃんの研究を邪魔するとでも見える?」

「見える!」


 からからと、アルは答えの代わりに笑ってみせた。






 そして夜。

 やはりというか、結局というか、アルはクノッサにくっついて観測に着いてきていた。

塔の階段を上り続けるとやがて屋上への扉へ突き当たる。そこはクノッサの造った簡単な天文台になっていた。毎夜、クノッサはこの天文台で星を観測しているのだ。


「ねぇ、蠍座は何処にあるの?」


 額に手をやり、満天の星空を見上げながらアルが尋ねる。明かりがないため、星空は邪魔されることなく煌々と光を放っていた。


「あの山の頂から、三十度ほど東より上空にある」


 クノッサは言いながら望遠鏡を調節した。無言で促し、アルにそれを覗き込ませる。


「これがアンタレス、サソリの心臓部だ」

「うわぁ、すごい。綺麗ー」


 アルは望遠鏡を覗き込んで感嘆のため息を漏らした。彼女の反応に、満足そうに表情を緩めたが、口調は相変わらずなまま、言葉を付け加えた。


「因みに、僕が蠍座だから話の導入として蠍座のことを聞いてみたのであろう、という前提の上で、次はお前の星座たる魚座について聞くのではないかという仮定をしたとすると、どうせそういった知識を持ち合わせていないだろうから聞かれる前にあらかじめ答えておくが、魚座はこの時刻に出てなんかいないからな」

「……クロちゃんが嫌味すぎるのはさておき、それは暗に、全くもって私は、科学的知識に疎い人間だと見える、と言っているのかな?」

「よく分かったなその通りだ」

「これでも私は薬草使いなんだがね……確かに星は専門ではないけど」


 クノッサはぎょっとして、不審感たっぷりに目をむいた。


「まさか、お前さっきの食事に変な物混ぜてないよな?」

「ソレ失礼」


 咳払いをしてから、アルは腕を組み、仕返しとばかりに意味深に笑った。


「食事、には入れないよ……」

「『には』って何だ!」


 少々怯えてクノッサは口をひきつらせた。

 あはは、と笑い飛ばして気を取り直し、アルはまた望遠鏡を覗き込む。


「にしても、ここは良い所だね。目的放ったらかして休みそう」

「目的、ね。世界一週行き倒れの旅か?」


 自分も気を取り直して取り掛かっていた作業に戻り、手元の紙に何事かを書きつけながら、クノッサは適当に聞く。

 アルはまだアンタレスに見入りながら、指を鳴らした。


「惜しい。近い。残念賞ですな。

 正解は、両親を捜す旅、なのです」


 思わずクノッサは羽ペンを取り落とした。


「どこが近いんだ!?」


 何とも神妙な顔つきになり、アルは唸った。


「私が赤ちゃんの時にはもういなかったんだよね。うん。当然記憶はなし。国籍家族構成生死存在全て不明。縁の品も皆無。で、現在探索中」

「何の手がかりもなしに?」

「なしに」

「顔も名前も知らないまま?」

「うん」

「……世界一周行き倒れの旅か」

「うん」


 遠くの方でフクロウが鳴いた。

 しばらく、二人の間には静寂が訪れる。


「生きているかも、……分からないのに?」

「死んでも、いないかもしれないじゃないか」

「無茶だ」

「知ってるよ」


 寂しげに呟いてから、アルはごく静かに声を漏らした。


「分かっちゃいるのさ。探しているものが、本当にまだ私の知りたい姿のままそこにあるのかさえ、分からない。

 世の中は移り変わる……星はいつだって変わり続けることなくいつもそこにあるのにね」


 思わずクノッサは口を閉ざした。

 しばらく彼は迷ったように視線を泳がせていたが、それを空に向けてから、目を細める。


「星だって変わるさ。人間の尺度からすれば、それは不変に見えるかもしれないけど、偉大な時間の流れの中で星だって変化している。

 変わらないものなんて存在しない。そんなものが存在するなら、僕ら探し求める人間は、ある所まで行ったら、とうに探すのを止めてるだろうよ」


 独り言のように言ってから、場の空気を払拭するように彼は元の口調へ戻った。


「どちらにせよ、だ。人のいない、こんな辺鄙な場所は探すなよ!」


 さすがにいないだろうこんな場所には、と大げさに呆れて言うクノッサに、アルもまた冗談めかして、人差し指をチッチッと横に振ってみせた。


「いやいや、だよ。それに加えて、薬草使いとしてあちこち旅して修行している私としては、どうにも普通の道から植物の宝庫についつい入り込んじゃうんだよね」

「入り込み過ぎだ、こんな僻地まで!」

「森や山のある所が私の道だもん。ついついうっかり深入り三昧。

 そして気付くと、いつの間にやら国境を抜けていた……」

「犯罪だ!」


 クノッサは拾い上げた羽ペンを額に当て、ため息をついた。


「お前は家族を捜すのと修行をするの、どっちが本業なんだ?」

「どっちもおまけなのです。はは」

「おまけ、って、じゃあ」

「やー、どっちもどっちっていうか、なんというかさ。まあ、なんだっていいじゃないか」


 アルは何かをはぐらかすように、にこやかに笑って、また夜空に目を向ける。


「あ、そうだ。あの星は何?」

「あれは恒星じゃない、惑星だな。さすがに惑星のことは理解してるだろ、お前でも」

「理解してるけど相変わらず失礼ですなクロちゃんは」


 結局。

 夜が明けるまで、クノッサとアルは何だかんだと語り明かす事になる。

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