星降ジャッジメント

佐久良 明兎

第1話:行き倒れの少女

 人里離れた、古びた石造りの塔。

 その塔の前で、彼は厄介なものを拾ってしまった。


 彼が住む塔の周りには、辺りを見渡す限り、森とだだっ広い平野しかない。

 当然のように、近くには誰も人が住んでいなかった。来るとしたらよほどの物好きか、迷い人か。それであっても人がこの場所を訪れることはほとんどない。

 そんな場所で、彼は一人静かに隠遁したような生活を送っていた。


 しかし本日。

 そんな辺鄙な場所の、廃墟と思われても致し方がないような塔の前で、庭に出ようとした彼の行く手をふさぐように堂々と地面に転がっていたのは、旅人らしき一人の人間だった。

 服は泥だらけで、身にまとったマントもぼろぼろだったが、顔は穏やかだ。よくよく耳を澄ませば、すーすーと寝息を立てて眠りこけている。行き倒れなのか、それとも人がいると知ってわざとここで眠っているのかどうかは、判然としない。


 一人の行き倒れ。

 至極、厄介な代物には違いなかった。



***



 旅人は火のついていない暖炉の前で目を覚ました。季節は夏である。この時期、暑さを逃れて比較的寒冷なこの国へ滞在する観光客は多いといえど、暖炉に火を灯すほどの気温ではない。もっとも、海沿いならばいざ知らず、ここは街からも村からも遠く離れた内陸である。観光客など来ようはずもなかった。


 ともあれ旅人は、ああそういえば今は夏なのだ、と先述したような事柄をぼんやり考えながら、火のない暖炉をぼうっと見遣る。

 だがやがて、はっと目を見開き、旅人はがばりと上半身だけ身を起こした。


 灰色の石の壁に囲まれた室内。広いとは言えないその部屋の真ん中に、年季の入ったソファーが置かれており、そこへ旅人は薄い毛布を掛けて横たわっていた。

 室内を見回せば、やたらに物が、特に分厚い本があちらこちらに点在しているのが分かる。壁にはいくつもの本棚が置かれ、棚には例外なくぎっしりと書物が押し込まれていた。それでも飽き足らず、テーブルやもう一対あるソファーの上、更には床の上にまで本の山ができあがっていた。


 ふと視線を下に落とせば、旅人のいるソファーの下には崩れた本の海が広がっている。旅人を寝かす際、ソファーにあった本の山を根こそぎ下に落としたらしい。

 興味深げなまなざしで旅人はぐるりと視線を巡らせていたが、それがちょうど自分の真後ろに来た時、旅人はこちらに対して背を向けて、机に向かっている人物を発見した。


 細い体躯に、服を着ていてもそれを分かる肉付きの薄い背中。背はそれなりに高かったが、体型からして体力があるようには見えず、どう贔屓目に言っても屈強であるとは言い難い。

 薄い背中には、一つに束ねた無造作に長い黒髪を垂らしている。長髪ではあったが、肩幅の広さからすると、どうやら男性であるようだった。

彼は細かく大量の字が刻まれた本を右手に、左手には羽ペンを持って、苛立たしげに髪をくしゃりとかき回している。

おずおずと、旅人は彼に声をかけた。


「……あのー」

「うるさい! 僕は今到達不可能と謳われた理論と戦ってるんだ、話しかけるな!」


 彼は不機嫌を前面に押し出した顔色で、旅人を一瞬振り返ってから、また本に向き直った。旅人は少し呆気にとられ、まるで質問をするかのように上へ差し上げかけた手を止める。

 そのまま放置されるかとも思えたが、ふと今の状況に気がついたように本を置いて、彼は怪訝そうな顔で再び振り返った。彼は椅子に座ったまま背もたれに体重をかけ、ずいと身を乗り出し、羽ペンでもって旅人を指し示す。


「お前、誰だ? 何だって僕の家の前で、わざわざ行き倒れてたんだ」


 羽ペンの先を緩やかに振りながら、険しい目つきで、旅人の様子を見定めるように彼は言う。

 だが相手にしてもらえたことにほっとしたのか、旅人は彼の表情をたいして気に留めもせず、ぱっと表情を明るくして手を組み合わせた。


「えっとね、私はアルフェッカ・メリデアィナ!

 長くて面倒だから大抵の呼び名はアル!

 ということでよろしく!」


 旅人ことアルは、彼に言葉を挟ませる隙もなく、勢い込んで一気にまくしたてた。


「んで、これまでの経緯ですが!

 一応気を付けてはいたんだけど、ここがこんなに広いと思わなくて、うっかり食料とか無くなっちゃって、街も村も近くにないし、どうしようかなーうわあ大変、えらいこっちゃと思っていたら、遠くの方にこの塔の明かりが見えて、わーいこいつは上々だね! と思って夜通し寝ないで二日ほど歩き通したら、明け方になって塔の前に着いて、やったあ、と安心したらまたうっかり意識が飛んじゃった、という経緯で現在に至ります。あはは!

あ、助けてくれてどうもありがとー!」


 アルの長い台詞に一瞬、彼は気圧されたが、我に返って首を振り、負けじと言い放った。


「あははじゃない! 立場が立場のくせに異様にテンションが高い!

 いや重要な問題はそこじゃなくて、そんなことをうっかりするな! やっぱりお前は寝てただけなのか!」

「いや、どちらかというと熟睡してたよ。やっぱり寝不足は健康に悪いね」

「ああ、もう! なんだよあんたは! わざわざ運んだりしないで、あのまま外へ放っておきゃよかった!」

「大丈夫。放っておいたとしても、目覚めた私はどのみち君へ助けを求めていたさ!」

「うるさい黙れ、なんとなくそれも予想済みだったけどな! 願わくば次回は僕の家じゃない場所で行き倒れてくれ!」


 彼は頭痛を覚えているかのように頭を抱え込んだ。実際、彼にとって頭痛の種であることに相違ない。


「ああ、しかも何でよりによってこんな時期に……」

「時期?」

「うるさい!」


 ぴしゃりと言い放ってから、クノッサは不機嫌な顔色はそのままにアルへ問いかけた。


「で、なんだ。アル……なんとか」

「アルフェッカ・メリデアィナですー」


 アルの名前を再度聞き直し、クノッサは眉を寄せる。


「聞き間違いかと思ったが、やはりそれで合ってるのか。変な名だな」


 ぐ、と一瞬口ごもり、アルは口をとがらせて反論した。


「いいじゃん別にー。私の名前、なんだもん。さっきも言ったけど、そっちは長いし面倒だから『アル』、それでいいよ、普段からそれで通ってるしね。

 そんなことより、そう言う君の名前は?」

「僕は、クノッサ・スコルピウス・ソ……」


 言いかけ、にわかにクノッサは口をつぐむ。


「まあ、クノッサだ。お前の言葉を借りるなら、本名は長いしそれだけで良い。どうせそれが必要になるような長くなる付き合いでもないんだしな」


 さりげない嫌味を受け流し、アルはふんふんと頷き、納得したように言った。


「クノッサか。じゃあ、クロだね」

「……は?」

「君の呼び名だよ。クノッサだから、クロ」

「何で僕が適当につけた猫の名前みたいに呼ばれなくちゃいけないんだ」

「いいじゃん、言いやすいでしょー?」

「……もう何でもいい、勝手にしろ」


 クノッサは諦めたようにため息をついた。

 アルは無邪気に笑いながら、まだ半分体が埋まっていた毛布から抜け出し、ソファーの上に座りなおす。


「それにしても、ミドルネームがあるんだー、格好いい!」


 じとっと不審そうな目でクノッサはアルを眺める。


「お前、この国の人間じゃないな?」

「まあ、見ての通り流浪の身ですから」


 両手を軽く上げ、自分の見てくれを示してアルは肩をすくめた。それに納得しつつも、クノッサは更に呆れたようすで足を組む。


「旅人ならば、尚更、どこかで聞き及んでいてもおかしくないと思うんだけどな。

 神聖リーシャ国は、国の中心に星女神を抱き、政から市民の生活に到るまで、あらゆる部分で星と星座とが絡んでくると聞いたことはなかったか。

 この国では、生まれた時の黄道十二宮の名をミドルネームにするんだ。僕は天蝎宮、即ちスコルピウス。俗に言う蠍座だ。お前は何だ?」


 少し考えてから、アルは「たぶん、記憶が確かなら魚座」と答えた。


「その物言いも、この国に入るというなれば愚の骨頂だな。

 魚座は双魚宮、ピスキス。

 お前がこの国で名乗るのならば、アルフェッカ・ピスキス・メリデアィナとなっていた。輪をかけて面倒くさい名前だな、お前は」

「なんでさりげなく仮定の話で批判されてるのかな……?」

「じっと胸に手をあてて考えてみろ」


 クノッサは言った後で、ふと思い出したように問いかけた。


「そういえば念のために確認だが、お前の性別は?」

「見目に声色、どこからどう考えても、うら若き可憐な乙女に見える……と個人的には自負しているんだがね……そこを聞くんですか……」


 初めてアルはクノッサにたじろぐ。ふん、と息を吐き出し、ぞんざいな物言いでクノッサはじろりとアルを眺めながら言い放った。


「今まで、そんな恰好でふらふらとこんな人里離れた荒野に迷い込む、粗暴で厚かましい女性に出会ったことがついぞなかったものだからな」

「酷くない!? か弱き乙女に対して酷くない!?」

「うら若き可憐でか弱い乙女は、過酷な一人旅の挙句に行き倒れたりしない」


 言い返そうとしたアルだが、事実であるためそれ以上の反論は諦めた。

 代わりに、クノッサが言うところの粗暴で厚かましいアルは、開き直ってクノッサに目下の問題を解消してくれるよう要求することにした。


「ところでクロちゃん!」

「ちゃん付けは止めろ! そして何だ!」


 アルは満面の笑みを浮かべ、にこやかに言う。


「お腹すいちゃった」

「…………」

「粗暴で厚かましい客人は、美味しい食事をクロちゃんに要求します!」

「……客じゃ、ない」


 やはり厄介の種を拾ってきてしまったと、改めてクノッサは認識するのだった。

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