第2話 俺ら大気圏さ突入するだ
スペースコロニーでの主食は、イモ類でした。イモ類は肥料があまり必要なく、痩せ地でも育てやすかったからです。その他には、レタス、キュウリ、大豆、水菜、サヤエンドウ、ブロッコリー、豆苗、カイワレなども育てていました。また、低コストで肉や卵を得るために、ニワトリも飼っていました。植物由来の人工肉を作ることもできましたが、鶏肉であればイスラム教徒やヒンドゥー教徒でも食べられるので、そうした意味でも理にかなっていました。
食物生産用のスペースは、人間居住用のスペースよりもずっと大きく、浦島太郎たちは毎日そこで農作業に追われていました。太郎の一日は、まず植物の生育確認から始まります。植物はいわゆる工場栽培をされていて、水やりなどは自動でしたが、土壌微生物の生育環境を確保するために土の畑を使っていたので、畑は時々耕す必要がありました。結果として、太郎は宇宙にいながらも、泥にまみれることがよくありました。
そんな太郎の趣味は、かつての日本を模したVR空間で過ごすことでした。太郎が利用しているVRサービスでは、単に遊ぶだけでなくバーチャル会社などを構えて、現実と同じように働いている人もいます。
今日は真夏の湘南海岸へ行き、バーチャル「海の家」でかき氷アイテムを買ったりしました。そして、海のさざ波や焼けるような太陽を楽しんでは、本物の「日本」に思いを馳せていました。しかし、VR空間から抜ける度に、いつも現実に引き戻されるのでした。
「海もねえ、空もねえ、おらこんな村いやだ~~~」
スペースコロニーには、富裕層向けの宇宙旅行設備のほか、大気が希薄なことを活かして宇宙観測を行う設備や、無重力環境を利用して高分子化合物の結晶を作る設備などがありました。こうした設備は様々な用途で貸し出しもされ、スペースコロニーの資金源にもなっていました。一方で、太郎たちの業務は主にスペースコロニーの維持管理で、専門的な仕事はあまり行っていませんでした。
やがて太郎は、自分の面倒を見てくれた亀田さんの助けもあり、地球とスペースコロニー間での輸送業務に携わることになりました。とは言え、多くの業務はルーティン化されていて、ほとんどは肉体労働に近いものでした。太郎としては、本当はもっと専門的な仕事に就いて、お金を稼ぎたいという気持ちもありました。けれども、スペースコロニーでの仕事は限られているので仕方ありませんでした。
しばらく悶々としながらも、輸送業務にも慣れてきたある日、太郎に魅力的な話が入ってきました。いつものように仕事をしていた時、亀田さんが太郎に突然こう言いました。
「太郎君、地球に行ってみる気はあるかい?」
太郎は驚きながらも詳細を聞くと、スペースコロニーを運営する「デイリーポータルZ」社の計らいで、地球にある部署へ異動できるというのです。太郎は二つ返事で、地球へ行くことに決めました。また、地球への水先案内として、亀田さんも一緒に向かうことになりました。
地球へ行く日が迫ったある日、スペースコロニーにはいつもの無人補給機ではなく、太郎と亀田さんが乗れる有人機がやってきました。スペースコロニーでは太郎の旅立ちを祝うため、久々にニワトリを絞め殺して肉料理を食べることになりました。太郎の両親は嬉々として、殺したニワトリを沸騰した鍋のお湯につけ、羽根をむしり取って蒸し鶏を作りました。太郎としては、子供の頃にもそうした調理の様子を見て以来、鶏肉を好きになれずベジタリアンになっていましたが、周りが「食え食え」と言うので無理矢理食べさせられました。
やがてすぐに、地球へ向かう当日になりました。太郎たちは事前に受けた講習通りに座席に座り、自分たちの体を固定しました。有人機はスペースコロニーを離れると、数時間ほどかけて高度を下げていきました。
大気圏への突入時には、突入軌道がとても重要になります。急な角度で突入すれば大きな減速と過熱を受けて有人機は壊れてしまうし、浅い角度で突入すれば十分減速できずに大気圏外へ弾かれてしまうからです。けれどもそうした操縦は、高品質なフィードバック制御によって自動的に修正され、有人機は順調に降下していきました。
やがて有人機は、シンガポールの東に浮かぶ海上プラットフォームに近づきました。有人機が着陸地点を確認すると、これまた自動的に機体を倒立させて逆噴射を行い、無事に洋上着陸を成功させました。
海上プラットフォームには穏やかな風が吹きつけていて、ハッチを開けると霧状になった波しぶきが太郎の顔にかかりました。太郎は嬉しそうに辺りの景色を見回しました。どこまでも続く海原と青空に、頭がくらくらしそうでした。
「あれは水平線だが?」
太郎が指さす先には、目線と同じくらいの高さで、海と空の境界が見えていました。それが見渡す限り、360度ずっと続いていました。
「……太郎君、そろそろ標準語で話した方がいいよ。これから海上都市に行くけど、そこにいるのは普通の人だから」
亀田さんに諭されて、太郎は自分が知っている標準語を必死に思い出しました。
「……あ、あれは水平線ですか?」
「水平線? ああ、そうだね。なかなか綺麗でしょ」
太郎は、今までにない経験をしている感動と、今までこの景色を知らなかった悲しみを感じながら、海上都市へ向かうジェット船に乗り込みました。ジェット船が発進してからも、太郎はずっと外の景色に釘付けになっていました。
<続く>
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