第3話 俺ら海上都市さ行ぐだ
竜宮島(Ryugu Island)は、シンガポール主導で作られた海上都市でした。国土の狭いシンガポールは、かねてよりメガフロートなどを利用した土地造成を行っていましたが、ある時期からインドネシアのリアウ諸島海域を借入して、海上にハイテク都市を作るようになったのです。
当初の竜宮島は、太陽光や風力や潮流などを利用して発電を行ったり、海水から飲み水やデータセンターの冷却水を作ったり、農地を確保して食料を生産したりするための施設でした。それがやがて、土地造成が進んでビジネスや観光でも発展するようになると、外国人が企業拠点を置くようにもなりました。本格的に海外資本を取り込んでいる今では、近くの国から出稼ぎ労働者や観光客も集まるようになり、日本人も多くの人々が訪れていました。
また竜宮島では、デジタル通貨や人工知能などに支えられたガバナンス管理が行われ、多くの行政手続きは自動化されていました。住民には度々アンケートが取られ、データに基づいた政策決定を行っていて、対外的な評判は高まっていました。また、観光の目玉として、マリーナベイ・サンズにも負けないカジノ付きホテルが作られ、花火やプールや噴水ショーやクルーズなどの娯楽で賑わっていました。
浦島太郎と亀田さんは、そうした華々しい施設を横目に、竜宮島の端にある宇宙開発施設を訪れました。赤道に近いシンガポールは、地球の自転による遠心力を利用して少ない燃料でロケットを飛ばすことができ、地の利を活かした宇宙開発にも力を入れていました。宇宙開発の一翼を担う「デイリーポータルZ社」も、元々はカリフォルニアを拠点にしていましたが、最近はここを第二の拠点にしています。
太郎たちが施設の門をくぐると、激しく通り過ぎていくジェットコースターや、水しぶきを上げるウォータースライダーなどが目に入りました。業績の良い企業では破格の福利厚生が付き物ですが、初めはテニスコートやプールなどで収まっていたものが、いつの間にかレジャー施設に成長していったようです。よく見ると、実際に利用しているのは従業員と言うより、観光客の方が多いようにも見えます。亀田さん曰く、「ああして従業員が様々な人と交流して、新しく生まれるアイデアもあるんだ。働くってことはもっと自由なものなんだよ」とのことでした。
デイリーポータルZ社のラウンジに着くと、太郎と同い年くらいの日系女性が出迎えてくれました。野暮ったい格好の太郎と違い、その女性は華やかな服を着こなしていて、太郎よりも随分と大人びて見えました。
「はじめまして、あなたが太郎さんね。私は乙葉。日本語で話していいわよ」
「は、はじめまして。太郎です」
太郎はまだ標準語に慣れておらず、久しぶりに初対面の人と話すこともあって、つい緊張してしまいました。乙葉さんはそんな様子を見て、微笑ましそうに笑いかけました。
「あなた、ずっと宇宙で暮らしていたんですってね。地球はどう?」
「えっと、そうですね……。まだ初めて見るものも多くて、慣れるのに時間がかかりそうです」
「そうなのね。初めて見たものってどんなもの? そんなに珍しいものはあった?」
乙葉さんに問われて、太郎はとっさに「例えば、雲ですかね」と答えました。
宇宙にいる太郎でも、スペースコロニーからは雲を見たことがありましたが、地球という巨大な水球の上を漂う雲と、地上から見上げて見る雲とでは、随分と違って見えていたようです。そんな話を太郎がすると、乙葉さんはいくらか衝撃を受けたようでした。
「面白いわね。雲の様子なんて、最近は気にしたことも無かったわ。私もいつか宇宙に住んで、カルチャーショックを受けてみたいわね」
「暮らすのは大変ですけど」と太郎が呟いた束の間、乙葉さんは思い出したように本題を話し始めました。
「ところで、竜宮島はまだ回ってないんでしょう? よければ後で案内するわ。新しい仕事に慣れるためにも、まずはこの島をよく知ってもらわないとね」
乙葉さんは、今後の仕事の予定を手短に話した後で、太郎を建物の外に連れ出しました。
「太郎君、せっかくだから住宅街も見ていってね。あれは道教の寺院、あれはイスラム教のモスクね。もう少し行くとキリスト教の教会や、ヒンドゥー教の寺院もあるわ。どう、色んな人が住んでることが分かるでしょ」
太郎にとっては何もかもが新鮮でしたが、これだけ多様な人々が平和に暮らしている様子が不思議でもありました。そんな疑問を口にすると、乙葉さんは自分の考えを話してくれました。
「お隣のインドネシアにはね、『多様性の中の統一』って言葉があるの。インドネシアにはジャワ人やスンダ人がいるのではなくて、『インドネシア人』がいるんだって。それはシンガポールでも同じだと思う。中国人やマレー人やインド人や、私たちみたいな日本人がいるのではなくて、『シンガポール人』がいるのよ。
でも、話はそう簡単じゃない。実際のところ、民族ごとで居住地は分かれているし、住民トラブルも起きない訳じゃない。優しくしてくれる人は多いけど、暮らしにくいと思う日本人も時々いるみたいね。まあ、ここでの暮らしの様子は、いずれ分かってくることよ」
太郎はそのまま、竜宮島内のスーパーマーケットなど、生活する上で便利なスポットなどを紹介されました。日が傾いて、乙葉さんとも打ち解けるようになった頃には、太郎も竜宮島で暮らすイメージが付くようになっていました。
「私から紹介できることはこんな感じよ。観光地には特に寄らなかったけど、どこか見たい所はある?」
乙葉さんにそう問われて、太郎はふと遠くの方へ目をやりました。
「それなら、夕日が沈むところを見てみたいです」
乙葉さんは、太郎を夕日が見える岸辺へと連れて行きました。竜宮島は浮体物という構造上、岸の外はすぐ深い海になってしまうため、浜辺らしい浜辺はほとんど作られていませんでした。ただ、発電施設などの合間を縫うようにして、海辺の観光スポットも存在していました。
二人が岸辺に着いた頃は、夕日がまさに沈もうとしている瞬間でした。じわじわと太陽が下から滲んで消えていくのを、太郎は静かに見守っていました。
「その様子だと、竜宮島の生活に慣れるのはまだ時間がかかりそうね」
「……正直なところ、まだ不安なことだらけです。早く慣れるようには努力しますが」
「太郎君、明日からは本格的に働いてもらうからね。それと、亀田さんから日本に行きたがってると聞いていたけど、近いうちに行く機会があると思うわ。そのうち、太郎君にお願いしたいことがあるんだけど、その時はよろしくね」
乙葉さんのいう「お願い」とは何なのか、太郎にはよく分かりませんでしたが、太郎はひとまず「はい」と答えておきました。
気付けば辺りも暗くなってきたので、太郎たちはようやく帰ることにしました。ところが、ふと辺りを見渡してみると、先程までと比べてずいぶん人で混雑しているように見えました。
「いけない、今からこんな所でソンクラーンをやる気なの……!?」
どういう意味ですか、と太郎が聞こうとした矢先、集団の中の一人が太郎たちに話しかけてきました。
「お二人さん、ずいぶん綺麗な格好をしてるねえ、そんなんじゃあ駄目だぞ~」
観光客相手のカツアゲかと身構えていると、あっという間にバケツの水を頭からかけられました。
「いい格好だなあ! それで邪気は払われたぞ! じゃあな!」
訳も分からず乙葉さんを見ると、乙葉さんも全身ずぶ濡れになっていました。
「ソンクラーンはタイ発祥の水かけ祭りなの。今ではシンガポールでもやってるんだけど……。こんなの聞いてないわよね」
二人とも笑うしかないという様子で、仕方なく逃げ帰るように解散となりました。太郎が亀田さんのいるホテルに戻ってくると、亀田さんは察したようにニヤニヤしながら話しかけてきました。
「太郎君どうしたの? 海水浴でもしてきたのかい?」
太郎は笑いながら、「ちょっと海に入ってみたかったんですよ」と冗談でも言うしかありませんでした。ただ、太郎の顔はまんざらでもなく、爽やかに笑っているようにも見えました。
<続く?>
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