浦島太郎、地球へ行く

サンセット

浦島太郎、地球へ行く

第1話 俺ら地球さ行ぐだ

 浦島太郎は毎日毎日、「おら、地球さ行ぐだ」と言い出しては、周りの大人を困らせていました。


 太郎は生まれて以来、「空」というものを見たことがありませんでした。太郎はずっとスペースコロニーに住んでいて、そもそも身近に空がなかったからです。太郎はさらに、「海」というものも見たことがありませんでした。スペースコロニーは広い空間を確保できないので、水遊びと言えば小さなプールに入る程度が関の山でした。


 太郎は、スペースコロニーで第3世代目に当たる住民で、第1世代の人が来たのは今から50年近く前のことでした。太郎は第1世代である自分の祖父母から、かつての地球の話を聞くのが好きでした。特に、祖父母がいた日本については、美しい自然や文化があったと伝え聞いていました。ずっとスペースコロニーに住んでいる太郎にとっては、その話はまるで夢のように聞こえました。


 浦島家では、自分たち家族の他に、亀田さんという人の面倒を見ていました。亀田さんは第2世代に当たる人で、生まれはスペースコロニー出身ですが、何度か地球に行った経験がありました。スペースコロニーには地球のことをよく思っていない人もいて、亀田さんはたまに悪質な嫌がらせを受けていました。けれども太郎は、そんな亀田さんの話を聞いたり、一緒に勉強したりするのが好きでした。太郎にとって地球は、特に日本へ行くことは、一生の憧れでした。


 スペースコロニー内には国境がありませんでした。かえってそれが、日本語を話す人々のナショナリズムを高揚させ、スペースコロニーに独自の文化を出現させました。浦島家も例外ではなく、太郎たちは昔の農民のような口調で話していました。


 そんな中で、太郎は地球への思いを膨らませていきました。太郎が「地球さ行ぐだ」と言うたびに、周りの大人は「そげなこと言っても金がねえ」とか「悪いがおめえじゃ無理だ」などと言いました。太郎はだんだん、地球に行った亀田さんに懐くようになり、亀田さんも太郎の面倒をよく見るようになりました。




 浦島太郎の祖父母がスペースコロニーに来たのは、かつての地球で起きた大きな戦争がきっかけでした。その戦争の発端は、ユーラシア大陸の東の端で、台湾の独立運動が起きたことでした。


 太平洋戦争から100年近くが経ち、当時の戦争を知る人もほぼいなくなった頃、台湾の人々はもう中国大陸へ戻ることが現実的な選択肢ではなくなっていました。中国との関係は経済的には強かったものの、中国が少しずつ中台統一政策を進めるにつれて、台湾はアメリカや日本に接近するようになりました。かつての勢いに陰りが見えていた中国は、やがて武力による強硬策もチラつかせて台湾の動きを厳しく牽制しましたが、かえって台湾や国際世論の反発を招きました。そして、最終的に台湾は独立宣言を行い、アメリカも台湾を国家として承認しました。


 その状況を断じて許さなかった中国は、台湾に武力攻撃を行いました。中国は、チベットやウイグルなどもドミノ式に独立宣言することを恐れ、「国土防衛」のためにあくまでも強気の姿勢でした。一方で、アメリカと台湾には台湾関係法による事実上の軍事同盟があり、アメリカが軍事介入する可能性もありました。ここにアメリカが参戦すれば、激しい戦争になることが予想されました。


 けれども、台湾を戦略上失いたくなかったアメリカは、「人道的理由」を名目にして軍事行動を行い、第7艦隊や第5空軍といった部隊が南西諸島に展開され、やがて中国側のミサイルを打ち落としたりもしました。腰を据えた中国はいよいよアメリカの空母打撃群への攻撃も行い、後に引かないアメリカも中国大陸側の軍事施設を攻撃するようになりました。


 台湾へ派遣される米軍は、主に沖縄の米軍基地から送られていました。来る所まで来てしまった以上、日本はアメリカを支持するしかなく、佐世保や呉にいた自衛隊も応援として派遣されました。中国はその状況を見て、待っていたと言わんばかりに南西諸島の攻略を始めました。東京や大阪などの都市圏では、重要施設にサイバー攻撃やミサイル攻撃などが行われ、まともな生活を送ることが難しくなっていきました。誰もが中国は本気なのだと思いました。


 韓国ではこの事態にどう対応するか、方針を決めることができていませんでした。そうした中で突然、北朝鮮軍が軍事境界線を越えて韓国に侵攻しました。韓国軍はもちろん応戦しましたが、台湾に気を取られている米軍の反応は鈍く、境界線に近いソウルはたちまち火の海になりました。日本は台湾の有事だけでなく、朝鮮の有事にも対応することになり、外交面ではロシアなども牽制する必要がありました。こうした状況を見て、太郎の祖父母たちはアメリカにいた親戚を頼り、日本から亡命したのでした。



 日本では連日、特別法の審議と採決が行われていました。そんなある日、東京で水素爆弾が炸裂しました。爆心地は市ヶ谷の防衛省付近で、山手線の内側などはほとんど壊滅し、東京駅や新宿駅辺りまで全焼、品川駅辺りでようやく半焼の建物があるという有様でした。死傷者も膨大なものでしたが、特に皇居や国会議事堂などが被害を受けたのが痛手でした。天皇を含む皇族の安否は分からず、内閣閣僚も全員が死亡、国会議員も3分の1以下しか生き残りませんでした。


 水爆が爆発した理由は、中国による攻撃と考えるのが本筋でしたが、アメリカから秘密裏に持ち込まれた水素爆弾が爆発したのでは、と考える人もいました。しかし、国の中枢が核爆発で吹き飛んでしまった以上、その真相を知るのはほとんど不可能でした。


 この事態を立て直すには、衆参両院で総選挙を行ったり、総理大臣を指名したりする必要があると思われました。しかし、日本国憲法の第一章より、衆議院の解散(第七条第三号)や総理大臣の任命(第六条)は、天皇の国事行為となっていました。その天皇がいないので、新天皇の即位が必要かと思われましたが、第二条より皇位は世襲制となっており、皇族が安否不明の状況で新天皇の即位は見込めませんでした。また第五十六条より、衆参両院で議事を開くには、それぞれで総議員が3分の1以上出席する必要がありましたが、多くの国会議員が死亡した状況ではそれも不可能でした。


 こうして、皇室と内閣が突然なくなり、国会もほとんど機能しなくなったことで、これまでのルールに基づいて法手続きを行うことが難しくなりました。外交的にも、外国からすれば日本と交渉する窓口がないことになり、台湾有事などに対応する自衛隊の指揮系統も管理が曖昧になりました。


 間を置かずに、東京を除く全道府県知事が名古屋に集まり、国の立法と行政を代行することになりました。首都核爆発以前の組織については、大部分が現在も「存続」していると解釈し、しばらくは全国知事会が「代理」として国務を担うこととしました。アメリカや中国などの諸外国は、全国知事会による代理機関を通じてコンタクトを取るようになりました。この頃には、太郎の祖父母たちが日本に戻ることは、難しい情勢になっていました。



 メディアはかろうじて、台湾と朝鮮の戦況を報じていました。朝鮮では北朝鮮幹部の死亡説が流れ、平壌の制圧も間近に迫った一方で、台湾はほとんど中国が制圧しようとしていました。地の利を活かした中国が、沖縄やグアムを拠点とするアメリカより優位に立ちつつありました。


 アメリカは手口を変えて、日本の首都核爆発は中国の核兵器によるものだとして、国際人道法に違反すると非難しました。また、北朝鮮をけしかけたのも中国だと主張しました。事実は定かではないものの、首都核爆発や北朝鮮の参戦が中国に有利だったことは間違いなく、国際的に中国を批判する論調が高まりました。


 アメリカも中国も長期戦をする気はなかったようで、休戦の申し入れが米中双方からありました。朝鮮での戦闘が韓国側の勝利に終わりつつあった頃、台湾での戦闘も停止されました。台湾亡命政府はひとまず日本で存続し、アメリカは台湾を国家として認める一方、中国は台湾政府を認めない状況が続くことになりました。


 戦争の結果、台湾や朝鮮はひどく傷つきましたが、日本も同等以上の被害を受けました。一方で、日本国外に避難した日本人たちは、日本を棄てたとして批判されることもありました。太郎の祖父母たちも、避難先のアメリカで肩身の狭い思いをしており、「台湾や朝鮮の有事にもアメリカの後方支援しかしなかった民族」として差別されました。


 東アジアの戦後処理が落ち着いてきた頃、軍需産業により莫大な利益を上げたアメリカでは、民間企業による宇宙開発がますます活発になりました。そしてやがて、民間人を対象とした、スペースコロニー計画が発表されました。計画の主担当となった企業は、かつての「スペースX」が前身で、今は「デイリーポータルZ」と名乗っていました。この計画では、スペースコロニーで特定の労働をすることを条件に、かなり安価な金額で移住できるプランが作られました。人間が長期間住むことには多くの危険性もありましたが、太郎の祖父母たちはそれに応募して、ここまでやって来たのでした。




 浦島太郎たちのいるスペースコロニーは、90分ほどで地球を1周しています。太郎はスペースコロニーの窓から、日本列島の姿を何度か見たことがありました。それは地図でも見た通りでしたが、もうかつての日本はそこに存在しませんでした。夜に日本列島を通りがかると、名古屋を中心に街の明かりが見える一方、東京は少し薄暗く感じました。また、アメリカや中国やヨーロッパなどと比べると、日本の夜景には元気がないように見えました。


 祖父母が住んでいた地球、そして日本。春には梅や桜が咲き、梅雨に入れば長雨が降り、カンカン照りに暑くなればセミが鳴き、やがて秋には紅葉が広がり、冬には雪というものが降ると聞きました。田んぼのあぜ道、賑やかな駅前、古くからの寺社仏閣、天を貫く高層建築物。太郎はどれも知識としては知っていましたが、実際に体験できないことが歯がゆくて仕方ありませんでした。


 太郎はやがて大人になりましたが、子供の頃からの決意は変わりませんでした。自分の仕事をそろそろ決めなければならなくなった時、家族と亀田さんを前にして、太郎は言いました。


「おら、やっぱり地球さ行ぐだ」



<続く>

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