第45話 破壊の衝動

 フィスにはルースの声が聞こえなかっただろう。いや、そもそもルースは音と言えるようなものを発しなかった。

 だから、ツバキにも『声』は聞こえなかったはず――しかし、ツバキにはその声が『見え』てしまったのだ。


――壊す。


 唇の動きがそうさせたのか、それとも例えばランダーとプラヴァシーという繋がりがそうさせたのか、ツバキには分からない。

 ただそれ以上に、ルースのその言葉に足りない情報――『何を』について考えるのがツバキには怖かった。


 そのせいだったのだろうか、ツバキは聞きたいと思ったフィスについてのいくつかの質問をしそびれたまま、出撃時の定番の衣装となっていたドレスに着替え、ティシュトリアの操縦席に座ることとなった。


 ツバキがフィスと体を合わせていたことについて、ルースは何の感情も抱いていないようだ。いや、そもそもツバキをフィスに預けてセレスへと行ったのは、フィスがツバキと二人きりでいられる時間を作ってあげたようですらある。


『時々、どうしようもない程にキミを壊したくなるんだ』


 ふと、ルースの言葉がツバキの脳によみがえる。考えてみればルースは『ツバキを』とは言わなかった。

 キミ――それは誰のことなのか。ツバキのことか、それとも『コノエ』だろうか。そもそも『壊す』とはどういうことなのか。『殺す』ではなく『壊す』。ルースの口ぶりでは、『コノエ』は何度もルースに殺されているようだ。


 プラヴァシーにとって肉体の死は本当の意味での『死』ではない。その魂は再びランダーの元へと帰ってくる。ランダーがいる限り。

 そしてランダーにとっても肉体の死は『死』ではない。プラヴァシーがいる限り、再び肉体を得て舞い戻る。

 永遠の共依存。にもかかわらず、ルースは、ルシニアは、己のプラヴァシーを何度も殺したという。その根底に流れるものを、『憎しみ』と呼ばずして何というのだろう。


 アイサがコノエを恨んでいるというのは、ツバキの記憶にはないものの、その原因を聞けば理解できた。じゃあ、ルースは?

 ルースはツバキを愛してると言った。しかしルースはアイサ以上に『コノエ』を憎んでいる。

 なぜ? ツバキに思い当たることと言えば、一つしかない。


 己の存在に不可欠な存在が、己の最も憎むべき存在。その闇の深さに、ツバキは身震いをせずにはいられない。

 マルスの宙域から、次元ドライブでミドルスフィアへと飛ぶ。そのモーター音や振動すらも、ツバキの心に染み付いた恐怖を増幅させるものでしかなかった。


――『コノエ』は、この恐怖を感じていなかったのだろうか。



 薄暗い廊下を、コツコツという無機質な音が規則正しく響き渡る。その音は金属製の重厚な扉に差し掛かると前触れもなく止まった。


 開けられた扉の向こう側で、簡素なワンピース姿の女性が、長くまっすぐな黒髪を床に垂らして床をじっと見つめている。部屋への侵入者にも全く反応を見せなかった。


「ユウ、出撃だ」


 部屋に入ってきた金髪の女性が、無感情なハスキーボイスでユウにそう言葉をかける。ユウを見つめる瞳が、エメラルドグリーンに瞬いた。


 ユウは部屋の中央に置かれたパイプ椅子に座っている。他には手すりがへこんだベッドとひっくり返ったテーブルだけが詰め込まれた四畳ほどの空間。それ以外に何もない。幾何学的な模様が描かれた壁紙は所々穴があいていて、部分的に崩れたコンクリートがむき出しになっていた。

 牢屋というにはその部屋の内装はもともと小綺麗だったのだろう。ただ、この部屋に唯一ある窓は、手も届きそうにない高い場所にあり、鉄格子がはめられている。


「我は戦わぬ」


 床から視線を動かすことなく、ユウが女性に尋ねる。


「 その為に、肉体という『器』をお前の魂に与えたのだ。やらないというのなら、『コノエ』は未来永劫、あの死神の囲いの中から出ることはできない」


 女性の答えに、しかしユウは黙ったままだ。しばらく待った後、金髪の女性は言葉をつづけた。


「たとえこの世で添い遂げられなくとも、また次の世で会えるのだろう? その時、コノエの傍に死神がいなければ良いな」


 その言葉が終わるやいなや、ユウは座っていた椅子を女性へと投げつける。しかし椅子は、時が止まったように女性の前でピタとその勢いを止め、そのまま下へと音を立てて落ちた。


 ユウは何事もなかったように歩き出し、長身の女性――ウィルの横を通り過ぎると、扉から出ていく。

 ウィルは喉から規則正しい小さな破裂音を数回立てると、ユウに続いて部屋を出ていった。

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翼騎姫―ツバキヒメ― たいらごう @mucky1904

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