第3話 備蓄と記憶

草木も眠る丑三つ時、現代風に言えば午前2時に、誰もいないはずのキッチンで人間の形をした何かが動いていたら、普通は悲鳴をあげて家族を起こさなければならない。午前2時というのは、そういう時間だ。


でも、寝室を出て階段を降りてトイレに向かう途中でを見たとき、最初に頭にうかんだのは、

「あ、起きたんだな」

という言葉だった。模様ガラスごしの街灯に浮かび上がったのは、縁側に座らせておいたはずの自動者の姿だった。幽霊でもなければ泥棒でもなかった。


肩を左右に振りながら、床上戸棚の取っ手をつかんで開けようとしている。でもうまく開かない。指が分離しておらず、ミットグローブみたいな手袋をつけているせいで、うまく取っ手がつかめないのだ。


ひとしきり取っ手をつかもうとした後、今度は諦めたように戸棚を片足で蹴りはじめた。体重が軽いせいでたいした衝撃は加わらない。上に乗っている食器棚がカタカタ言うくらい。何度か蹴ると、今度はまた取っ手をつかもうとする。その2パターンの動作を機械のようにくりかえしている。あ、機械か。


そういえばこの床上戸棚、昔は磁石式で押すだけで開く形になっていたけど、小学校のとき壊してしまって買い替えたのだ。中には備蓄のお菓子が入っていて、毎日1個食べていい決まりになっていたけれど、夕飯前にお腹を膨らせてはいけないので、帰宅後に1秒でも早く食べようとダッシュ&キックを食らわせていたのだ。小学校に入る前くらいからそうだった気がする。


そんなことを毎日続けると、こちらも育ち盛りだったせいか気づかぬうちに脚力が向上し、ある日戸棚の板を蹴破ってしまった。お母さんにさんざん叱られたあと、コメリで新しい戸棚(磁石式ではない引き戸)を買うことになった。さすがに今となっては懐かしい思い出だ。目の前の自動者を見てると、そんな日々を思い出す。


しょうがないやつだな、と思って戸棚を引いてやると、小さな自動者はルマンドを引っ張り出した(今でもこの棚にはお菓子が備蓄されている)。袋を開けようとしているらしいけど、やはりミットグローブの手ではどうにもならないようだった。


そのいじらしい動きをしばらく眺めながら、ここでルマンドを開けてやるべきなのか、でもって人間の食料を食べたりするんだろうかと、その場で少し考えた。そもそも顔がないから口もないし、あの排気口みたいなところに突っ込んだら大変なことになりそうだ。


昨日来ていた社員さんが、燃料液を注ぎながら「飲むと結構甘いものです」と言っていたのをふと思い出した。いま関係ないか。いや関係あるのか? ちょっと分からない。


さてこいつをどうしたものか、と椅子に腰掛けて眺めているうちに、気がついたら朝が来る。どうやらその場で寝てしまったらしい。外でよく分からない鳥が鳴いている。お母さんがパジャマのまま起きてきて、


「あらまあ」


という。その目は戸棚の前でルマンドの袋を持ったままぐったりしている自動者のほうに向けられている。ビニールを長い時間引っ張りすぎたせいで、透明のはずが不透明になっている。お父さんもお母さんの後から出てくる。仲良し夫婦か。


「ああ、こいつ、またお菓子取ろうとしたのか。懐かしいなあ」


と言い出す。え、どういうこと? これは予想外の展開。


「え。コレって、おじいちゃんが工場で使ってたものじゃないの」

「ああ、最初はなあ。工場畳んだあともしばらくうちに置いてあったからな」

「あんたが小さい頃までは動いてたもんだよ。うちで」

「うちで? なんで?」

「お義父とうさんがそういうの好きだったからねえ」

「お前が怖がるから、収納庫にしまったんだっけ」

「幼稚園くらいの頃だったわよね」

「結構、動かすのに金もかかってたみたいだしな」


と父さん母さんが左右からステレオで言う。全く覚えてない。両親の会話を完全シミュレーションできるつもりになってたけど、さすがに知識にないことはわからない。



その日、ミカワ自動者工業に電話をかけて、「なんか動いて一晩で止まった」という旨を説明した。電話に出たのは、最初に電話したのと同じ女性だった。


「え、動いたんですか?」


と電話口の女性は言う。ちょっと意外そうな口ぶりなので、なにか間違ったことをしてしまったのだろうか、というかやっぱりこないだ来た男性は偽物だったのか、と一瞬でいろいろな不安が駆け巡る。


「そちらの社員さんが、うちで作業をされまして、そしたらその夜に少し動きました」

「作業ですか?」

「ええ。なんか変な男性の社員さんが来まして、なんか黄色い液体を注入されてました」


あっ、「変な」って言っちゃった。


「変な人でしたか? はい、了解しました」


分かったらしい。思わずくすっと笑ってしまうと、電話の向こうからもかすかに笑い声が聞こえる。電波を介して2人で笑い合う。なんだか話が合いそうな人だ。


「で、とにかく動いたんですけど、なんか、子供のころの自分? みたいな動きをしていたんですけど、これって、なんというか、正常なんでしょうか」

「ああ、それは……ずっと家に置いてらしたんですよね? 見てるだけで動きを覚えちゃうこともありますから」

「そうなんですか?」

「ほら、長く一緒に暮らしているお年寄りのご夫婦が『あれ取って』というだけで、あれが何なのかわかったりするじゃないですか」

「あー、それなら分かります」

「自動者もそういうことができるんですよ」


そう言われると色々と納得が行く。使っていたのが幼稚園の頃までというから、あの床上戸棚が変わっていたのには戸惑ったかもしれない。


「家庭で使うことって少ないんですか?」

「そうですね、主に業務用ですし」

「ええと、メーカーの方にこんなこと聞くのも変ですけど、なんでうちの祖父は、そんな事をしていたんだと思います?」


ああ、なんかまた変なこと口走っちゃった、と思いながらも、少しの沈黙のあと返事が来る。


「ちょっと私にはわかりかねますが、ご家族と直接コミュニケーションを取るのが苦手だったから、とかじゃないですか」


なるほど〜と適当なリアクションを打ちながらも、やることが若干アブノーマルじゃないかおじいちゃん? と思う。


その後、電話口の女性社員さんは回収手続きについて説明をはじめたけど、やっぱり回収はやめてもらうことにした。法律どうこう以前に、ちょっとこれは捨てていいタイプのものではないようだ。


というわけで、この自動者はまだうちの収納庫で眠っている。たまに身体を拭いてやろうと思う。


(おわり)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

我が家のオートマン 柞刈湯葉 @yubais

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る