気恥しさと嬉しさ──赤井葵
細川君に嫌いと告げられた翌日のこと。
放課後になり、わたしは細川君の姿を探していた。
細川君に言いたいことがある。今日一日中細川君に話しかけようとしても、無視され続けた。でも、今じゃなきゃだめなんだ。
わたしが細川君にこだわる理由が見つかった今じゃなきゃ。
東階段を下っていると、2階の踊り場に細川君の後ろ姿があった。
「細川君。待って」
わたしは急いで声をかける。
細川君は気づいていないのか、わたしを無視してそのまま階段を下っていく。
「細川君待って!」
わたしの声が階段中に響いた。周りにいた生徒の視線が集まる。
なんの騒ぎ? あれ、葵? たしか、細川ってあの冷たい子だろ。
嫌でも周りからのヒソヒソ話が聞こえる。
細川君はさすがにわたしの声に気がついたのか、歩みを止めてわたしの方を見上げた。
「ねぇ、つい昨日、赤井さんのこと嫌いって言ったよね? それに、もう協力しなくていいって言ったよね? なんで、そんなに僕に付き纏ってくるんだよ」
改めて細川君に嫌いって言われると辛くて泣きそうになる。
うわ、サイテー! サイテー! 野次馬から、ブーイングが飛んでいる。
「なんでって……だって……」
「だってってなんだよ?」
細川君が畳み掛けるように冷たい口調で言い放つ。
周りの視線が痛い。でも、もしここで言うのをやめたら……いつまでたっても変わらないままだから……。
「だって……わたし……細川君のことが好きだから……」
言い切った……。気のせいか周りの視線がより一層痛くなったのを感じる。
不安とか、緊張とか、周りからの視線が痛くて声が震えて、小さくなってしまった。わたしの想いは細川君にちゃんと伝わっただろうか。
わたしは恥ずかしくて細川君の方を見ることが出来なかった。
下を向いていると、階段を駆け上がる音がした。
「……ずるいよ」
耳元で囁かれるけど、細川君の声が小さくて上手く聞き取れない。
わたしが困惑していると、もう一度細川君の優しい声が耳元で囁かれる。
「……ついてきて」
わたしは突然のことによろつきながらも、手を引かれて走り出した。
「どこに……いくの?」
「……黙ってついてきて」
途中で先生に廊下を走るなーと怒られた。細川君が軽く謝ってそのまま走り続ける。
クラスの前を通りかかった。
あれ? 赤井さんと細川……? 手を繋いでるし、何があったんだ。
クラスの友達のひそひそ話が聞こえてくる。
ドアの小窓からクラスの中を見ると、部活の準備をしている結衣が目に入った。
その時の結衣はわたし見ると微笑んだ。嬉しいことがあった時のあの笑顔……。
3階の廊下を走りきると、突き当たりにある図書室に入った。
図書室を利用している生徒はいなかった。どうやら先生もいないようだ。
わたしは細川君に手を引かれたまま、カウンターの後ろにある小さな部屋に入った。
この部屋は、図書委員の休憩スペースとして使われているところだった。
繋がれていた手がほどかれる。
細川君は、奥の壁によりかかりながら座った。
わたしはどうすればいいか分からなくて、その場に立ち尽くす。
すると不意に紺色のハンカチを差し出された。
「赤井さんの泣いてる姿は見たくない」
細川君に呟かれる。
細川君に言われて初めて自分が泣いていることに気づいた。
「ありがとう」
わたしはハンカチを受け取って目に当てる。
久しぶりに触れた細川君の優しさにまた涙が零れそうになった。
「ずるい。本当は僕が言いたかった。赤井さんに好きって伝えたかった。本当は嫌いなんかじゃない。でも、出来なかった。この特殊な力があるせいで赤井さんを不幸にしてしまうと思ったから。もう赤井さんに、辛い過去を見せたくなかった。だから、赤井さんのことを嫌いって言えばもう関わることはなくなると思った。赤井さんに嫌われて潔くこの関係を終わらせることが出来ると思った。それなのに……」
細川君が顔を膝に埋めて呟いた。
え、わたしに好きって伝えたかった? ずっと嫌われたと思ってたのに……。
細川君はわたしの事を嫌いになったわけじゃなかったんだ。
細川君はわたしの事を考えてくれてたんだ。たとえわたしの事を好きだとしても、わたしを不幸にしないためにわざと距離を置こうとしたんだ。
わたしに嫌われるために細川君はどれだけ辛い思いをしたんだろう。
ずっと片想いしてきたから分かる。好きな人に嫌われる辛さが。
「細川君の本音が聞けてよかった。細川君はわたしの事を本当に嫌いになったわけじゃないんだ」
「うん」
わたしは細川君の前に座り込む。
「細川君。俯いてないでわたしの目を見て?」
「でも、そんなことしたらまた……」
「わたしが細川君に協力するって言った時から、特殊な力も全部受け止めるって決めたから」
「うん」
細川君は仕方なく顔を上げた。
細川君と目が合う。
でもいつもとは違った。いつもの寂しげな瞳ではない。どこか微かな希望を感じ取っているそんな瞳だった。
わたしの意識はその瞳に吸い込まれて……目の前が真っ白になった。
ここは……学校の東階段?
辺りを見渡すと2階の踊り場には見慣れた細川君の後ろ姿があった。
でも、さっきとは違って周りに生徒はいない。
わたしは階段を早足に細川君の元へと下っていく。
『細川君って部活動とかやってるの?』
わたしが声をかけるのと同時に細川君が振り向く。
『やってない』
その声を聴くと細川君は目の前からいなくなっていた。
ああ、わたしが細川君に初めて話しかけたのも二階の踊り場だったな。
細川君って最初は本当に冷たくて……でも、この時からわたしはもう既に細川君に惹かれていたのかもしれない。と思った。
その時突然、目の前が白く霞んだ。
眩しい光……?視界が眩しくてよく見えない。
やっと視界が開けると、わたしの右手は細川君に引っ張られてわたしは細川君に激突した。
路上にトラックが急停止する。
『赤信号なんだからしっかり信号見ろよ』
トラックの運転手さんが出てきて怒られた。
トラックに引かれそうになったこともあったな……。でも、細川君がギリギリのところで助けてくれて……。
と思っているうちに、わたしは細川君の背中に乗っていた。
『僕の能力についてみんなには秘密にしておいてくれないかな? 赤井さんしか知らないわけだし』
『当たり前でしょ? 細川君の能力は2人だけの秘密だからね』
細川君の家で細川君の秘密を知っちゃって、帰り道に2人だけの秘密ってなんかいいなって思ってたな。
細川君が恐がるわたしを落ち着かせようと、優しい声で話しかけてくれたのを今でも鮮明に覚えている。
また、目の前が微かに白くなった。
ここは……細川君の家だった。
『悪いと思うなら慰めてよ……』
過去のわたしはこんなことを口走っていた。
たしか、結衣に花火大会で細川君に出会ったことを伝えられなくて、結衣を傷つけちゃった時だ。
わたしは細川君に抱きしめられていた。わたしの背中に細川君の手が回っている。
過去のことだから温もりとか感じるはずがないのに、体が細川君の温もりを覚えていた。
この時細川君に慰められて、心が軽くなった。わたしなら出来るって少し思うことができるようになった。
目の前が真っ白になる。
目の前には細川君の顔があった。
「…………」
「…………」
わたしは恥ずかしくて顔を逸らす。細川君は右手で自分の口元を隠していた。
自分でも分かるくらいに顔が火照って今は見られたくない。
「ごめん」
細川君が謝る。
わたしは何も言わずにこくりと頷く。
「今の過去……今までのように辛い過去じゃなかった……赤井さんと僕との思い出」
細川君が静かに言う。
「うん。今までは細川君の特殊な力で辛い過去を見せられた。けど、今みたいに細川君の力によって嬉しかったこととか、楽しかったこととか。そういう過去も見ることができるんだよ?」
正面にいるのが恥ずかしくて、わたしは立ち上がって細川君の左隣に座る。
「うん……。でも、なんで……今までみたいに辛い過去じゃなかったんだろう」
「わかんない。けど、細川君の瞳を見るといつもどこか寂しさを感じるのに今回は感じなかった」
「もしかして……」
細川君が何かを思い出したように呟く。
「赤井さん。もう一度僕の瞳を見てくれない?」
「え、急にどうしたの? いいけど……」
わたしは右を向く。
細川君もわたしの方に振り返った。
もう一度細川君と目を合う。
細川君とそのまま数秒間見つめ合っていた。
「……あれ?」
わたしは首を傾げる。なぜか今回は目を合わせても視界が白く染まらない。
「やっぱり……」
細川君はまた呟いた。
「やっぱりってどういうこと?」
「前に解決方法が見つかったけど、赤井さんには教えられないって言ったことあったよね?」
細川君に言われて思い出そうとする。
言われた気がする。たしか、わたしの家で勉強会をしてた時だ。
「うん。わたしの家で勉強会してた時だよね?」
「そう。赤井さんがパンに目がなくて色んなの食べたいって言ってた時」
「一言余計」
「ごめん」
「よろしい」
「その時言えなかったのはその解決方法が赤井さんに教えたらダメなものだったからなんだ」
わたしは相槌を打つ。
細川君はそのまま話を続けた。
「その解決方法が、僕のことを強く想ってくれる人がいる事だったんだ」
「強く想ってくれる人……?」
「うん。それが多分赤井さんだったんだと思う」
「わたしは普通のことをしただけだよ? でも、たしかに細川君に嫌われてからずっと細川君のことが頭から離れなかった。もし、強く想ってくれる人が欲しいって教えられてたらその事がどこか頭から離れなくてこんなに自然に好きになることなんで出来なかったかも」
自分で言っておいて、恥ずかしくなって下を向く。
「耳赤くなってる」
「うるさい」
「ごめん。でも、嬉しかった。赤井さんが僕のことを好きで居てくれて。僕は赤井さんに酷いことしてた。話しかけられそうになったら、無視し続けて。みんなの前で赤井さんに嫌いって言った。連絡先も消したし……。絶対嫌われたって思ってたから……」
細川君が呟く。
「細川君に嫌いって言われた時はショックだった。家でも泣いた。けど、今までの細川君との思い出を振り返ったらやっぱり嫌いになんてなれなかったよ……」
「今までごめん」
「うん。でも、いまはこうして細川君と話せたことが嬉しいよ……」
細川君は何も言わなかった。
少しの間沈黙が続く。廊下から、生徒が話す声が微かに聞こえる。
この静かな時間が心地よかった。細川君の隣にいるって実感することが出来て。
わたしは立ち上がって細川君に向かい合ってまた座る。
「細川君……」
わたしが呼びかけると細川君はおもむろに顔をこちらに向けた。
目が合う。でも、もう視界が白く染まることは無い。
自分でも分かるくらいに心臓が強く脈打つ。今にも心臓が張り裂けそうだ。
それでも深呼吸をして心を落ち着かせる。
「ずっと好きでした。わたしとつき……」
「待って」
細川君に止められる。
「今まで言えなかったんだ。僕から言わせて」
「え……」
「嫌いなんて言ってごめん。でも、赤井さんのことが好きだ。僕と付き合ってください」
「……はい」
わたしは嬉しくて泣いてしまった。
「え、ごめん。もしかして、悪いことした……?」
涙で滲む視界の中で細川君は戸惑っていた。
「違う……細川君に好きって言われたことが嬉しくて……これから細川君に嫌われてひとりぼっちになることがないんだなって思うと嬉しくて……」
「嫌いって言ったのは本当にごめんって」
「……一生根に持つからね」
わたしはそう言って笑った。
「泣いてるのに笑ってるって変なの」
細川君が茶化すように言う。
細川君の両手がわたしを包み込むように広げられた。
細川君がわたしの目を見つめる。わたしは何も言わずにこくりと頷いた。
全身が温もりに包まれる。前と同じ、細川君の温もり……安心する。
「泣いてる時は慰める……でしょ?」
「嬉し泣きだって……」
わたしが泣きやむまで細川君の温もりに包まれていた。
南窓からオレンジ色の光が溢れてきた。
かなり時間が経ったらしい。でも、この部屋に時計はないので時間が分からなかった。
「あれ? そう言えば今日って細川君バイトじゃ……」
心もだいぶ落ち着いてきていた。右隣にいる細川君に話しかける。
「一日くらいバイト休んでも何とかなるよ。それよりも、今日は赤井さんと一緒にいたい」
わたしは恥ずかしくて膝に顔を埋めた。
よくそんなに簡単にわたしと一緒にいたいとか恥ずかしいこと言えるな、と思う。
「それにしてもさ、赤井さんがみんなの前で僕のことを好きって言うなんて思いもよらなかったよ」
「なんで?」
「だって、今までの赤井さんってどこか自分に自信がなくてすぐにごめんって謝ってたから」
「言われてみればそうかも……でも、今回は細川君にちゃんと気持ちを伝えなきゃって思ったら緊張したけど、言うことが出来たかな」
みんなからの視線の痛さは思い返したくないけど。
「日向さんちゃんと役立ってた……」
細川君が独り言のように呟いた。
「結衣がどうかしたの?」
「なんでもないよ」
「えー! 絶対何かあったでしょ? 教えてよ」
「また今度ね。それよりもさ赤井さんのこと下の名前で呼んでもいい……? 他の男子が葵って呼ぶところを聞いてずっともやもやしてた」
「すぐ話変える! いいけど……」
「ありがとう。じゃあこれからもよろしくね。葵」
細川君から初めて下の名前で呼ばれた。普段慣れていないからか、何だか気恥しい。
「うん……これからもよろしく。細川君」
「そこは下の名前で呼んでよ」
細川君が茶化すように言う。
「夜……細川君の方が馴染んでるから細川君の方がいいな」
「葵がそう言うなら仕方ないか〜」
細川君が少し残念そうに言った。
「気が向いたらね?」
「いつ、気が向くことか……」
と言って細川君は立ち上がった。
わたしもつられて立ち上がる。
「ね、これからはもう花火大会の時みたいに隠れなくて、細川君と一緒にいるところをみんなに見られてもいいんだよね?」
「うん。だって僕は葵の彼氏でしょ? それに特殊な力もコントロール出来るようになったから」
細川君の言葉ににやけがしてしまう。
本当に細川君と付き合えたんだな。好きな人と付き合えたんだ。自分でも夢かと疑ってしまう。
だって、細川君は本当にかっこよくて……多分わたしなんかじゃ釣り合わない。それでも、わたしの事を好きでいてくれる……。
細川君に初めて声をかけたあの時から神様は全てを知っていたのかもしれない。細川君がわたしに秘密を打ち明けて、わたしが特殊な力を受け入れるのも……。
不意に前にいた細川君が振り向いた。
「何にやにやしてるの?」
「なんでもない」
「変なの」
細川君はそのまま歩き出した。わたしもつられて歩き出す。
図書室の時計を見ると5時を回っていた。どうやら、1時間以上も話していたらしい。
「図書委員の仕事も時間すぎちゃったし帰ろうか?」
細川君がわたしの方を向いて尋ねる。
「うん」
わたしたちは図書室を出て、階段を下る。
外に出ると日が落ち始め暗くなり始めていた。秋の冷たい風が吹く。
隣にいる細川君が無言で左手を差し出してきた。わたしはそれを見て首を傾げる。
「手繋ご……恋人でしょ?」
「うん」
わたしは差し伸べられた左手に右手を重ねた。
「いつも一緒に帰ってた道を葵と手を繋いで帰ることになるなんて思わなかった」
「わたしもだよ……」
秋の夕方、日も暮れかけて冷たい風が吹いている。
寒い中、右手から伝わってくる細川君の温もりにうれしさと気恥しさを感じて、わたしは下を向いて火照った顔を隠した。
君はいつも孤独を望んでいた なぎ @yozakuranagi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。君はいつも孤独を望んでいたの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます