戒め──細川夜

 夕焼けに包まれた駅の改札をくぐると、今日もあの男子がベンチに座っていた。

 少し焼けて茶色くなった肌に、スポーツ刈りの髪。爽やかな印象の強い男子。

 名前は知らない。けど、僕が赤井さんと帰らなくなってから赤井さんと一緒に電車に乗る姿をよく目にする。

 赤井さんのことを嫌いになるつもりなのに、気付けば赤井さんを目で追っている。赤井さんが他の男子と喋っているところを見かける度に胸が締め付けられて痛くなった。

 でも……胸が締め付けられる一番の原因は名前も知らないあの男子だ。

 僕が赤井さんのことを下の名前で呼んだことないのに、軽々しく赤井さんのことを葵って呼び捨てにしている。

 それに、あの男子と話している時の赤井さんはいつも笑顔だった。赤井さんの笑顔が他の人に向けられるのを見る度に苦しくなる。

 付き合ってもいないのに、嫉妬なんて……本当はいけないってわかってる。でも、嫉妬してしまう。

 片想いがここまで辛いなんて知らなかった。


「細川君じゃん」


 ホームのベンチに座っていると、突然横から声をかけられた。

 振り向くとそこには、赤井さんといつも一緒にいる女子がいた。


「なに」


 ぶっきらぼうな返事をする。


「相変わらず冷たいなー、細川君は。私の名前思い出せなかったでしょ?」


 と言いつつ彼女は僕の横に座ってきた。

 いつもなら人の気持ちを考えたらどうだ。と思うところも何故か、今回は思わなかった。


「興味無いからね」

「酷いこと言うね。日向結衣よ。ちゃんと覚えてよね。今更自己紹介することになるなんて思わなかった」


 と言って、隣にいる彼女は笑っている。


「で、なに」

「あんたさ、葵のこと好きでしょ?」


 いきなり何を言い出すかと思えば、想定外の発言で驚いた。

 僕が彼女との間に隔てた立ち入り禁止の看板を無視して、踏み込んでくるような雰囲気を感じる。

 でも、嫌な気持ちではなかった。彼女は人の隔てた立ち入り禁止の看板もするりと避けて……いや違う。

 立ち入り禁止の看板なんて元からなかった。と思わせるような、もとから僕と彼女は仲がよかったのでは。と思ってしまうくらい彼女の態度と言葉遣いは相手のことを1番に気にかけていた。気を使いすぎず、でも、馴れ馴れしいわけではない。

 この力は彼女の才能だと思う。きっと彼女は誰とでも仲良くなれる。


「そんなことないから!」


 僕は戸惑いつつも全力で否定した。


「動揺してるね。葵がよく君の話をするんだけど聞いてると分かっちゃうんだよねー。あ、これ細川君、葵のこと好きなんだなって」


 彼女は笑っている。


「赤井さんが僕の話……?」

「あれ? 珍しく君から話に食いつくなんてね。やっぱり……」

「どんな話をしてるか気になっただけだから」

「へぇー、まぁいいや。細川君と一緒に勉強したー。とか、抱きしめられたとか細川君に嫌われたとか色々話してるよ」


 抱きしめられたって改めて言われると恥ずかしい。それにしても僕に嫌われたことまで話していたのか……。彼女は赤井さんに相当信用されているらしい。この調子だと、僕の特殊な力についても聞かされているかもしれない。でも、二人だけの秘密って言ったのは赤井さんだし、流石にないか。


「でさ、君は本当に葵のことが嫌いなの?」

「それは……」


 言葉につまる。

 本当は赤井さんを嫌いなわけない。嫌われようとしてから片想いでこんなに苦しんでいるのに。他の男子にすぐ嫉妬してしまうのに、嫌いなはずがない。


「まぁ、君にもなんか事情があるのかな? だから、聞くのはやめておくよ。けど、葵は本当に嫌われたって思って相当悲しんでたよ。どうしようってなってた」


 彼女はただ前を向いて独り言のように呟いた。


「うん……」


 僕はなんて言えばいいか分からなくて、とりあえず曖昧な相槌を打つ。


「葵はさ、自分に自信が無いの。昔からそうだった。だから、嫌いとか言われると真に受けちゃって自分に自信を無くしちゃうのよね。君も聞いたことない? 葵からごめんって。葵ってすぐにごめんって言うの。それも、葵自身が自分に自信を持ってないから。すぐに謝る」

「言われてみれば聞いたことある……」


 確かに言われてみれば赤井さんの口からごめんって何回も聞いた。赤井さんが悪いわけじゃないのに、なんで謝るんだろうってこともこれまで何度かあった。


「だからさ、私は葵に自信をつけさせるの。葵なら出来るって。そのためなら、いくらでも相談に乗るし、やれることはやる。今までもそうしてきたし、今までもそうするつもり。だから、今も君に声を掛けてる」

「うん……」

「でもさ、やっぱり私の力じゃ無理だったの。葵は自分に自信を持てなかった。だから、葵は君とも今こうなってるわけだろうし……」


 隣にいる彼女は自分の力不足を身に染みて感じているようだった。

 僕は、なんて声をかければいいかわからなくて黙っていた。


「君にこんなこと言っても何も変わらないよね。ごめん。今のは忘れて」

「うん……でも、赤井さんの話が聞けてよかったです」


 僕は気まずくてぎこちない返事をした。


「なんで敬語なの」


 と言って彼女に笑われた。


「いいんです」

「細川君って変な人だと思ってたけど、余計に変な人だと今日で感じた」


 と言って彼女は笑った。


 駅に肌寒い風を運びながら、電車がやってくる。

 僕は席を立った。


「でも、やっぱり僕は赤井さんのことが嫌いです」


 ベンチに座ったままの彼女に向かって言い捨てる。


「そう……」


 ベンチに座ったままの彼女は悲しそうな顔をしていた。

 この言葉は僕自身への戒めだ。赤井さんと離れることが僕の中で最善だと思う。赤井さんを不幸にしない為の1番いい方法だ。

 赤井さんが1番幸せになれるなら、僕のことなんてどうでもいいと思えた。

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