きみに会うための440円

善吉_B

 

 メニューと睨み合い始めてから、かれこれ十分以上は経過してしまった気がする。

 

 深夜も過ぎ、夜明けを数時間後に控えたファミリーレストランの中は閑散としていた。

 郊外の車通りに面した広い店内も、この時間帯では何もない空間の占める割合が大きすぎて、かえって窮屈にすら感じられる。

 空席ばかりの店内で、更に目立たないような隅の席を選ぶことが、この場合とても重要だ。

 店員が存在を忘れ去る程度の場所に、ひっそりと座る位でちょうどいい。何かあれば呼び出しボタンがある。こちらから動かない限り、基本的には完全放置。

 まったく実におあつらえ向きの席だ。店員がよく通る席だとこうはいかない。これだけ注文せずにじっとしていれば、水の注ぎ足しと称して近寄り「ご注文お決まりですか」の牽制が飛んできてしまう。


 腕を組んで一つ唸る。視線は尚もメニューの上から下までを行ったり来たり、右往左往を続けている。


 どのメニューを選んでも中途半端だ。これならハンバーガーショップの方が良かっただろうかと思ったが、あちらは夜でも人が多すぎる。前に一度試してみたが、店内のざわめきがどうにも落ち着かなかった。

 もう一度舐めるようにメニューを眺める。今度は右から左へ、目だけでなく指でもなぞって内容と金額を一つ一つ確かめた――――と、そこで先程は見落としていたスープのサイドメニューがあることに気が付いた。

 お値段通常メニューに120円の追加料金。そういえば、先程320円のパスタを見かけた気がする。

 もうすっかり料理の並ぶ位置を覚えたメニュー表をめくれば、思った通りカルボナーラのたまご乗せ無しがその値段だった。

 これならいける。一人で謎の達成感を覚えながら、意気揚々と机の隅に置かれたボタンを指で押した。ようやく出番を与えられた呼び出し音が、音の少ない深夜の店内に得意げに響き渡る。


「たいへんお待たせいたしました。ご注文お決まりでしょうか」

「カルボナーラの卵無しと、あとサイドメニューでスープをお願いします。味は......えーと、じゃあコンソメで」

 ようやく存在を思い出されたのだろう花田のところに店員がやってきたのは、それから二、三分は経ってからだった。

 どこかで見たことのある顔だな、と思ってから、入り口のレジでぼんやりとしていた青年だと思い出した。恐らく今の時間帯、ホールの対応は一人だけに任されているのだろう。そういえば先程彼の「ありがとうございました」の声が聞こえていたような気がする。どうやら別の席の数少ない客の一人の会計と、タイミングが被ってしまったらしい。少しばかり申し訳ない気分になり、思わず注文にしてはやけに丁寧な声で返してしまう。


 注文を復唱した店員が一礼して席を去る。その後姿を三歩分見送ってから、花田は斜め向かいの壁に掛けられた時計に目をやった。

 時刻は午前四時二十八分。新聞配達員しか通らないだろう暗闇を自転車で飛ばしてこの店に着いた時にはまだ四時を過ぎたばかりで、少し早すぎただろうかと思っていたのだが、結局組み合わせに悩んでいるうちにこの時間になってしまった。

 早めに家を出て正解だ。料理がくるまでに時間を過ぎてしまえば、ただの真夜中に重めの夜食を食べに来ただけの人になるところだった。


 数分更に立ったところで、食器のぶつかる微かな音と共に、あの青年店員がこちらにやって来た。

「お待たせいたしました。お先にセットのコンソメスープです」

 自分の前に置かれた小ぶりなカップを少しだけ机の反対側に押しやりつつ「ありがとうございます」と店員に向けて頭を軽く下げる。

 一礼してまた去る店員の三歩分まで見送ってから、カップを更に奥の方――――机を挟んで反対側の席の方へと押しやると、隙間の空いたスペースに頬杖をつき、窓の外に目をやった。


 午前四時半の外の景色は驚く程暗い。周りの店も家も何もかもが、夜の中に暗く暗く沈み込んでいる。

 時々街灯と信号がぽつりぽつりと小さな明かりを落としているが、郊外の車通りでそれ以外に光るものはほとんど見当たらない。時々思い出したようにまばらに横切る車のヘッドライトで、ようやくこのレストランの目の前が道路だということを思い出す。

 目を凝らすと、遠くの方に光るコンビニの看板を見つけた。自転車でこの店に辿りついた時に、ぽっかりと夜にこの店だけが明るく浮かび上がっていたのを思い出す。

 あと一時間もすれば徐々に空が明るくなると頭では理解しているのに、この時間、この辺りに存在しているのはこの店と、遠くのコンビニと、時々通り過ぎる車だけのような錯覚を覚えそうだ。



 どれだけぼんやりしていただろうか。ふと顔を窓から店内に向けると、時計が四時四十分を少し過ぎていたところだった。


 慌てて目の前に視線を戻す。顔の位置を動かしたその瞬間、先ほどまでは見当たらなかった、浅黄色のパーカーが視界に突如飛び込んできた。


「コンソメスープよりも、ミネストローネの方がこのチェーン店は美味しいと評判らしいですよ」


 ――――――相変わらず、マジックショーみたいだ。


 何度経験しても、そんな考えがこの瞬間にはいつも花田の頭をよぎる。

 ちょっと何かに気を取られた隙に、いつの間にかトランプの絵柄が変わっている。あの瞬間にとてもよく似ていた。

「どうせなら、そっちの方を試してみたかったのですがねぇ」

 花田が店内の時計に気を向けたそのほんの数秒間の間に、いつの間にか花田の反対側の席に腰掛けていたその人物は、これまたいつの間にやら籠から取り出したスプーンでカップの中身を救いながら、口先ではひどく勝手なことを言っていた。

「そう贅沢を言うなよ。結構難しいんだぞ、金額を合わせるの。因みにミネストローネなら更にプラスで50円かかる」

「私としては、それはそれで構わないのですが」

「おれが構うんだよ。学生の少ない貯金を舐めるな。バイトも給料日前なんだよ」

 そうですかと少しばかり不満そうな顔を浮かべながら、ファミリーレストランには不釣り合いな上品さですくわれたコンソメスープがそいつの口の中に消えていく。

「お、これはこれで美味しいですね。コンソメに免じて許してやります」

「許すも何も、手順通りにやっただけだろ。金額揃えなきゃ来ないくせに、50円オーバーさせたらただの無駄な注文になるじゃん」

「いやいや、気が向いたら来たかもしれないじゃないですか。こちとら毎度、お宅のおかげで妙なものに巻き込まれているんですから。ボーナスだと思えばいいんですよ。というわけで、次回があれば宜しく頼みますね。期待していますんで」

「おいおい、やっすいボーナスだなぁ」

 検討しておくよと笑いながら、花田は手元の水を一口飲んだ。



    *   *  *



 その都市伝説がいつ頃、どこからはやり始めたものなのだか、花田は知らない。


 気が付いた時にはネットや噂話で、当然のような顔をして広がっていた。

 真夜中というには少し遅い、午前四時四十分。

 時刻と同じく四百四十円分の食べ物を用意しておけば現れて、呼び出した相手の知りたいことを一つだけ、教えてくれるのだという。

 質問に答えるのではなく願いを叶えてくれるのだとか、逆に呼び出した相手を喰らってしまうだとか、いや食ってしまうのは四百四十番目に呼び出した奴だけだとか、話の尾鰭はいわしのそれからマグロの形まで何種類も耳にした。

 それでも話に出てくる数字だけは、どのバリエーションでも必ず「四百四十」で変わりがない。

 そのお決まりの数字からとったのだろう。「ししおさん」という名で呼ばれ、語り継がれている都市伝説は、奢ってもらえると現れるという怪人の噂だった。


 あまりにも今どき過ぎる呼び出し方に、最初に試した時には果たしてこれで来るのかどうかと半信半疑だったのを覚えている。

 だが、公衆電話の「さとるくん」から携帯電話の「怪人アンサー」になるように、時代に合わせてお供え物の方法を変えているだけだと考えれば、なるほど実際はとても都市伝説らしい存在だとも言えなくはないのかもしれない。

 それでもセオリーを押し曲げてまでチェーン店の人気メニューを要求してくるその様子は、今どきの怪人を通り越して、少々俗世に染まりすぎではないかと、花田はいささか疑問に思う。


「それで、今日は何用なんですか。場合によってはデザートも追加でほしいですね」

「さすがに図々しいぞ都市伝説。頼むから噂の通りに四百四十円で我慢してくれ」

 青年店員が続けて持ってきた出来立てのカルボナーラをくるくるとフォークで巻き取る姿は、料理の選択も相まってやはり午前四時四十分らしさがあまりない。

 それでも花田は、これまで呼び出した時からずっと、この浅黄色のパーカーの相手が確かに人間ではないと知っていた。


 だから本題に入るとき、自然と言葉を慎重に選んでいる自分がいることも知っている。


「――――――この間から、サークルの可愛い後輩が一人行方不明でさ」


 窓の外を眺めつつ、何気ない風を装って話を切り出す。

 ちらりと相手の方を見やると、カルボナーラを上品に頬張るという器用なことをしながら、何の感情も映っていない片目でじっとこちらの方を見ていた。

「そいつ、あんまり自己主張激しくないやつでさぁ。どうも前から気の強い派手なグループによく絡まれていたというか、まぁパシリみたいなことさせられたりしていたみたいなんだよな」

「それはそれは。で、そいつらに何かされて消えたんですか」

「いや。調べてみたら、そのグループの奴らも、一人を残して、まったく同じタイミングで仲良く一緒に消えていたんだよ」

 残された一人を訪ねてみれば、彼らは居なくなる日の前日、とある計画をしていたのだという。

 リーダー格の一人の彼氏だというその男は、半べそをかきながら花田に彼らを探すのを手伝ってほしいと泣きついてきた。

 花田としては心配なのは後輩一人だけだ。他の奴らに面識もなければ義理もない。

 むしろ後輩としては彼らがいない方が、平穏な大学生活を過ごせるのではないかとすら思う。

 そんな先輩心から大変気が進まなかったのだが、手持ちのクーポン券やら食堂の回数券やら、ありったけの渡せるものを押し付けながらそいつに頼みこまれてしまったのだ。仕方がないので「ついで」に一応探すと請け合い、今に至る。食堂の回数券は大切だ。どうせ探す手間も当たる先も同じなのだから、もらっておいて損はない。

「そいつら、どうも肝試しみたいなことをしようぜと、そんな話になっていたらしいんだよ」

 残された一人は、たまたま当日の深夜にバイトが入って参加しなかった。

 その時は一人だけ参加できないという不幸だったわけだが、結果的にはそれが彼の身を救ったことになる。災い転じて何とやら。

「とはいっても、特にどこかの心霊スポットに出かけたわけじゃあない。代わりに二十四時間やっている牛丼屋に行くことにしたらしい」

 遠出してまで肝試しをする気は起きないが、何か少しだけ刺激が欲しい。

 そんなときに、たまたまネットで見かけたそれは、格好のネタになったのだろう。

「この頃巷ではやる都市伝説を、試してみようとしたんだと。まぁ、こっくりさんをやってみようとする小学生みたいなノリだったんだろうな」


 牛丼屋で、四時四十分に四百四十円分の注文をしてみよう。

 果たして本当に出るかどうかは、きっと彼らには関係なかった。


「俺の後輩はかわいそうなことに、呼び出す役を押し付けられていたらしい。それを聞いた時は、他の奴らを探すのはやめてもいいかと思わず言いそうになったよ」

 実際に試す役は、都合の良い相手に押し付ける。

 自分たちは少し離れた安全圏から、遠巻きに笑ってみているだけ。

 出てくればそれはそれで面白いし、出てこなくても呼び出す奴の、不安を隠せぬ言動という二段構えでの笑いがある。

 そう、きっと彼らにとっては、いつもと同じように面白い、いつもより少し刺激的な話だったのだ。

 ―――――ただ一人を除いては。


「ししおさん、先週の木曜日に、俺と同じくらいの年格好の奴ら数人に呼び出されたりしなかったかい?」


 いつの間にかパスタを食べる手を止めて、話をじっと聞いていた「ししおさん」は、黙ってこちらを見ているだけだ。

 その顔に浮かぶあまりにも静かな笑みが、先ほどの軽口やパーカー姿とあまりにも不釣り合いで、ようやく人間ばなれした何かと相対している気分になる。

 時刻はすでに五時を過ぎた。外の暗闇が薄くなり始めたのがわかる頃、ようやく午前四時四十分らしさを感じさせる表情を浮かべたまま、ゆっくりとその口を開いた。

「豚丼定食を頼んでくれた、小柄な子供ならいましたねえ」

 三つ編みの、気の弱そうな女の子だと続いたのを聞き、花田は小さく頷いた。

 間違いない、自分の後輩だ。

「何か願いでもあるんですかと聞いたらね、蚊の鳴くような小さい小さい声で、こいつらを消すことはできますかと、そう逆に尋ねてきましたよ」


 ――――――もう、面倒くさくなっちゃって。


 にやにやしながら遠巻きに見ていた周囲には、聞こえなかったのだろう。それでも当初の予定ではない方向に進んでいることだけは、彼らにもはっきりと分かった。

「話が違う、何をやっているんだと、合図を送っているのが私にもばればれでしたよ。どうやら私が目を離した隙に、その子供に豚丼の中身を一口摘まませるという悪戯も考えていたようで」

 得体の知れない相手へのお供え物にそれは、さぞかし罰当たりな行為だろう。実際に現れた相手であれば、尚のこと何が報復としてくるか分かったものではない。

「もううんざりだ、こいつらがいない世界になってくれたら良いのにと、そう小声で言っていたその時だけは、気が弱そうには見えませんでしたねぇ」

「それで、そいつらを消したのか?」

「ええ、まぁ。頼まれたからにはねぇ。実際奴らが考えていたその悪戯も、奢られる身としては頂けませんでしたし」

 ハンカチを落としたから拾ってあげたという話をする程度の調子で言ってみせるパーカー姿のその表情は、相も変わらずひどく穏やかだった。

「結局、その日は中々のご馳走になりましたね」

 飴玉が配られていたから受け取って食べたという方が、もしかしたら例えとしてふさわしいのかもしれない。

「それじゃあ、何で俺のかわいい後輩まで居ないんだ? 頼んできた奴もついでに消したっていうのか?」

「まさか。後払い会計のお店ですよ、奢る人まで消しません」

 花田さん、わかっていませんねぇと手を振って、ようやく不気味なほどに凪いでいた笑みが呆れ顔に変わった。

「後輩さんなら、影すら残さず消えたのを見届けてから、ニコニコと会計を済ませて店を出ていきましたよ」

「だったら、何であいつは大学に顔を出さないんだ?」

「そりゃああの子の意思でしょう。自由の身になったんだから、どこへ行こうが勝手です」

 ハンカチの例えよりも飴玉の例えよりも、ほんの気まぐれから蜘蛛の巣に掛かっていた虫を助けてみた子供の方が、近いのかもしれなかった。

 小首をかしげ、もう良いですかと尋ねるパーカーを他所に、財布の中身を確かめる。

 記憶通りの目当てのものを見つけてから、花田はにやりと笑みを浮かべた。

「ししおさん、ここの苺パフェとか食べたくないか?」

「おや、先ほど五十円でぶつくさ言っていた人とは思えない太っ腹ですね。一体どういう風の吹き回しでしょうか」

 財布の中から紙切れを一枚抜き出すと、目の前の浅黄色のパーカーの目の前にそれを掲げて見せてやる。

「いやぁ、食券と一緒にクーポン券をもらったことを思い出してさ」

 栞程度の大きさの紙にはパフェの写真と、「期間限定パフェ 一回サービス」と書かれたポップなフォントが踊っている。

「あんたに美味しいもの食べてもらいたくなったんだ。四百四十円のセオリーは崩れないし、どうだい?」

「ありがたいですねぇ、初めて花田さんに呼び出されて良かったと思いましたよ」

「現金なやつめ」

「クーポン券だから、現金は動かないでしょう」

「屁理屈だ」

 笑って店員呼び出しボタンを押す。

 ピンポンと高らかな音が、夜明け前の店内に鳴り響いた。



「ところで花田さん、確認なんですけれども」

「うん?」

 すっかり冷めたカルボナーラの続きに取り掛かりながら、「ししおさん」は花田の方をちらりと見上げた。

「その後輩さんとやらの行方も、他の奴らと同じくそこまで興味は無かったんじゃないですか? ただ単に、私とどう関わったのかが聞きたかっただけでしょう」

 あなたはただ、面白い話を聞きたいだけの人ですから。

 そう続けてカルボナーラの最後の一口分をフォークで巻き取るのを、花田は二、三度瞬きをして見届けると、小さく声を上げて笑った。

「よく分かったな、さすが都市伝説」

「分からいでかです。これだけ何度も呼び出される度に面白い話をねだられたり、面白そうな話に首を突っ込んだ結果の、厄介ごとの解決法を訊かれたりすれば、いくら鈍くても分かりますよ」

 どうやらまた、他の数少ない客の会計とタイミングが被ってしまったらしい。

 なかなか来ない店員を待ちながら、自分も何か頼もうかと花田はメニューを手に取った。

「まぁ、確かに初めはその通りだったな」

「初めは、ということは」

「うん。今はちゃんと、あいつの行方も気になっているよ」


 まさかそんなことをしでかす奴だと思わなかったのだ。

 こんなことなら、もっと普段から親しくしておけば良かったかもしれない。そうしたら、もっと面白い話が色々と聞けたかもしれないのに。

「まさかパフェは、それを訊くためですか」

「いや、違うよ。単に俺の気が向いたからだ。あいつの行方についてはまぁ、生きていればそのうちどこかで会えるだろう。その時にでも聞くさ」


 時刻は五時三十分。窓の外はすでに白々とした紫を帯びていた。

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きみに会うための440円 善吉_B @zenkichi_b

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