第17話 ベトナム戦争とは何だったのか

【戦争被害】


フランスとの戦争では、フランス軍は7万5000人、フランス軍以外のフランス連合軍は1万9000人が戦死し、7万8000人が負傷した。またベトミンは兵士50万人の死傷者と25万人の民間人戦死者を出したとされる。


アメリカとの戦争での戦闘による直接の死者数

南ベトナム政府軍24万、同民間人41万、アメリカ軍関係者5万6千人、韓国等の同盟軍6千人、北・NFL軍100万以上、北民間人3万3千。

これはベトナム戦争終結後フォード米大統領が公表した数値である。負傷者はアメリカ軍の33万人を入れて全体で400万人とみられている。


一般の戦争に巻き込まれた民間被害(死者)者数は南で160万、北で300万、不明者数南北で200万とされる記録もあるが、長い年月に渡る激しい戦争で正確な数字は到底把握出来るものではない。北爆で投下された爆弾の量は200万トンと推定されている。太平洋戦争で日本本土に投下された量は16万トンである。北ベトナムの面積は日本の3~4割である。


【戦争終結後のベトナム】


戦場となった国土は荒廃し、破壊された各種インフラを再整備するためには長い年月が必要であった。統一後の性急な社会主義経済の施行は、フランス統治時代よりの資本主義経済と、それがもたらす消費文化に長年慣れ親しんだ南ベトナム経済の混乱を招き、また統一後の言論統制など、都市富裕層や華人への弾圧があったり、その後多くのベトナム難民(ボートピープル)を生むこととなった。アメリカはこれらの多くを移民として受け入れた。


【ベトナム戦争とアメリカ】


アメリカが初めて敗北した戦争といえる。アメリカの威信は傷つき、多額の戦費は深刻な財政赤字をもたらし、ドルの基軸通貨としての信用は低下し、ドル危機が進んだ。ドル危機はドル=ショックにつながり、ドルを基軸とした国際通貨制度であるブレトンウッズ体制を崩壊させ、資本主義世界での三極構造(西ドイツ・日本の追い上げ)への転換などをもたらした。アメリかの経済の絶対的優位はくずれ、慢性的な貿易収支の赤字に悩むことになる。


アメリカ国内での反戦運動がベトナム撤退に繋がったが、「多額の戦費を使って、多数のアメリカ兵の死傷者を出してまでする値打ちがベトナムにあるのか」という比重が大きく、ベトナム人の被害を思いやり、ベトナムで行った反省、また、「共産主義の侵略」のワンパターンな見方で、ベトナム人民の独立戦争と理解したものではなかったところに限界を私はみる。イギリスからの独立戦争、それがアメリカの建国精神ではなかったのか・・と思うのである。


1991年、ソビエト連邦が崩壊すると、ベトナム戦争の終結から20年後に当たる1995年8月5日に、ベトナム社会主義共和国とアメリカ合衆国が和解し、国交を回復した。

ベトナムも社会主義経済を修正したドイモイ(刷新)で経済的な発展を遂げつつある。


中国を承認しないとした政策、極度の社会主義へ警戒、民族自立の大きな歴史を読み誤った頑なな政策、こうしてみると、結果、平和が一番いいのであって、ならばなぜ平和的な解決方法が最初になかったのかと思ってしまうのである。


   

   了

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戦争と革命の時代・冷戦下の戦争(朝鮮戦争、ベトナム戦争 ) 北風 嵐 @masaru2355

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