第6話 ルーマニア革命・独裁者の末路
(6)ルーマニア革命・独裁者の末路
ポーランド、ハンガリー、ブルガリア、チェコスロバキアでは国内の政権移譲が穏健に済んだのに対して、独裁者チャウシェスクは政権に固執し、大量の血が流された。
ルーマニアも対外債務による経済的困難であったが、他の東欧諸国と違ったのは見事に完済したのである。チャウシェスクは経済開発のために西側から130億ドル以上の融資を受けたが、1980年代、チャウシェスクは対外債務返済のため、あらゆる農産物や工業品の大量輸出を行い、国内では食糧の配給制が実施された。一連の強引な飢餓輸出により、ルーマニア国民は日々の食糧や冬の暖房用の燃料にも事欠くようになり、停電は当たり前になるなど、国民生活は困窮の度合いを深めていったのである。
それにもかかわらず、チャウシェスクは首都ブカレストに「国民の館」と呼ばれる巨大な宮殿を建設し、党や国家の要職もチャウシェスクの家族・親族で独占し、一般国民の生活を顧みない政治姿勢であった。1989年12月16日、遂に国民の怒りは爆発した。民主化を求めるデモが首都で発生した。これを鎮圧しょうとした治安維持部隊と市民の間で、衝突が起こり多数の命が犠牲となった。
危機感を抱いたチャウシェスクは国防相ミリャに対し軍隊による群集への発砲を指示した。しかしミリャはこの命令を拒否、チャウシェスクの逆鱗に触れ、その後ミリャは自室で死体となって発見された。翌日、国営ルーマニア放送は「国防相が自殺した」と報じたものの市民には「処刑された」との噂が広まった。軍首脳の中にも国防相処刑説が広がり、国軍は協力を拒否した。ここにルーマニア社会主義共和国は崩壊し、民主政体を敷くルーマニア共和国が成立した。22年間独裁者として君臨したチャウシェスク夫妻は逃亡先において、革命軍の手によって公開処刑(銃殺刑)された。
1990年10月3日には東西ドイツが統一され、1991年7月1日にはワルシャワ条約機構が廃止され、同年12月25日にはソビエト連邦が崩壊した。
戦争と革命の時代・東欧革命 北風 嵐 @masaru2355
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