第23話 物語の終わる時と、始まる前の曖昧な境目、の巻
時が経ち、あれから幾年も幾十年もたったある日の谷。
風がふかなくなったラダー渓谷に、久しぶりの良い風がふきだした。
谷の人々はジャンという少年とカスティヨッサという少女の飛行大会にまつわる話などとうの昔に忘れていたし、また人々は、あのころあった飛行大会の顛末のことなどを言い伝えやうわさ話、年寄りたちのどうでもいい思い出話の一つくらいにしか思っていなかった。
「いや年寄りじゃなくても覚えているさ!」
村長のベスパ・ピジャンツは太い腕を振り上げて、藤の枝で織り上げた大きないすをゆらした。
「あれからいろいろあったさ。この村なりにね。本当にいろいろあった。けど、あの日のことを忘れた奴なんていないぞ」
杖を振るいベスパが熱弁する相手は、この話の聞き手の名脇役、受付嬢の元お姉さんである。
『なおこの番組は、手話の同時通訳も合わせてお伝えしています』
闇の中から突然あらわれた黒人通訳男性が、勝手に出てきて勝手な文言を付け加えた。
書くことも特にないので、お詫びもかねてここに記そうと思う。
この物語は今から約十年前、自分が自分自身にひどく打ちひしがれて本当になにも書けなくなってしまった時に、自分を鼓舞するためにノープランで一気に書き上げた代物です。
この物語に出てくる登場人物はすべてモデルがいて、キャラクターにも、世界観にも、十年前の私自身の思いとか、当時考えていた何らかの因縁や願いのようなものが練り込まれた、自分による自分のための作品でした。
たしか十二時間ぶっ通しで、世田谷区八幡山のマクドナルドに引きこもり書いていた記憶があります。
隣の席では漫画家の女性が編集さんらしき人と話し合いをしていたのも覚えています。
今でも創作意欲は減衰し、なんだか得体の知れないやるせなさに心が侵食されつつありますが当時も同じような思いに心を悩まされ、それを吹き飛ばすためだけに、勢いを付けて、ゴールを目指そうとしていたわけです。
だから、この物語にもゴールがあります。なんだかよくわからないけどゴールがあります。
あちこちを迷走し、誰にも分からない謎の小道を開拓し、具体性もない方向性も見えない抽象的なまでの「ゴールのためのゴール」に向かって、とにかく突っ走ってみようとしたわけです。
主人公の心境はまさに自分自身でした。でも彼自身のモデルは、実家にいる「わんこ」という名前のシーズー犬を参考にさせていただきました。
いや犬に向かって丁寧語を使うのも癪なので、使いました、にしましょう。
ちなみに女の子のカスティヨッサ嬢は、同じく実家の黒猫、「ネコ」がモデルです。
「うちのお嬢様がいちばんかわいい!」って、言いたかったんですね。
スーさんは実家の近くの海辺で、カモメと競って餌をとろうともがいていたカラス。ベスパは実家の先代ネコをモデルにしています。
私自身が航空機と縁のある人生を歩んできまして、経歴としては日本航空高等学校で航空工学の勉強をして、航空自衛隊で戦闘機と練習機の整備士を経験し、今は空撮映像の解析会社に勤めています。
ラダー渓谷やエプロン村などのネーミングはすべて航空機の部材の名前や空港の区画名ですし、作中の飛行時のトラブル対処方法は実際に戦闘機が飛行中に事故が起きた際の事故対応マニュアルをそのまま使っています。
そして作中のタコや深海魚たちは、私の心情そのものですね。他作品にいつも登場してくるきもちわるいもの、深海の生き物や地下湖の生物たちはほとんど同じものです。
つまり、私の心の中に棲きている魔物をモチーフにしています。
自問自答を繰り返す主人公のジャンは、自問自答の末に地下湖の中に引きずり込まれてしまいますが、まさに私の心境は「自問自答の末に、答えられない問いに答えられず沈んで逝ってしまう」心境だったわけです。
それは今でも同じです。だからといって、そんな自問の悪魔に負けたくない。
その願いを込めて、作中でジャンは地下湖の中からあらぬ方法で脱出を遂げました。
どうやって脱出できたのかは私にもわかりません。おそらくジャンにもわかっていない。
具体的な方法は誰にも分からない。もしかしたらあの世界は、ジャンが地底湖の悪魔に引きずり込まれた時点で実は終わっていたのかもしれない。
その後の超展開は、いろいろな意味で話がぶっ飛んでいき、理屈抜きで物語をゴールへと導いていきました。
どうしてそうなったのかはわかりませんが、とにかく必死でしたね。書き終わるために、とにかくがむしゃらに書いていた気がします。そうでもしないとまた物語が終わってしまうんじゃないかと不安だったんです。
私はあの作品を書きながら、不安と戦っていました。そして当時は、無事に物語をゴールに導いて勝利を得たのです。作者である私がね。
作品のテーマは「空を飛ぶ」でした。ですが、作中でジャンのお父さん、「(自主規制)」と表記されていた男性は、「なぜ我々は空を飛ぶことができないのか」というサブテーマを持ち込んできました。
なぜ我々は空を飛べないのか。それは、私たちはいつか地に足を付けなければならないからです。それに恋に落ちるとか恋に落ちたって言うのは、いちどどこかで舞い上がっていないと落ちられないからです。落ちるためには空を飛ばなきゃいけない。父、ピヨールマルクにはこういうサブテーマを持たせたかったなと思いながら、とにかく書いていた記憶があります。
もう十年ちかく前の話ですか。とおい昔の話ですね。
私の記憶の中ではつい最近のようなものでしたが、この物語ももうすっかりさび付いて、人様に見せるのは少々恥ずかしいような気がしています。
今も昔も変わらず誤字脱字が多いですが、この作品は、言い訳をすると「自分のために自分の思いを心の叫びのままに書いてみた作品」でしたしね。
この作品を書く前に、実は別の長編作品の構想を練っていました。
構想を練って練って練りまくって、何が書きたいのか自分でも分からなくなって五年近く放置していた作品があるのですが、それがカクヨムにも載せている別作品「そして僕らは」です。
自分はなにがしたいのか、何が書きたいのか、書きたい思いはあるけれどもゴールや方向性が分からなくて右往左往していた当時の思いが、「そして僕らは」の作品の最初の自問自答部分でした。
もうそのままですね。この前半部分を十三回ほど書いて消してを繰り返して放置していたわけです。
そして、何も書けなくなった。
意気消沈していた自分自身を鼓舞するために、この作品を書いて自分自身に発破をかけた。
ゴールが見えた。自分自身がどうしたいのか、なんとなくだけれども方向性が見えた気がした。
この作品を書き終えてから、私は「そして僕らは」を書き終わらせることができました。
闇の中でもがく姿はまさに自分自身。当時はそれで良かったんですよ。それでも良かったんです。書いていて、楽しかったですからね。
この度は私の作品、「ひこうき雲」を読んでくださり、まことにありがとうございました。
作者、キャラクター一同、こうやって読んでいただけたことに感謝しております。
この話には続きがあります。もちろん、これまでのいきさつや語られなかった別の話もあります。
いつどのようなどういう話だったのかは誰にも分かりませんが、あった、ということだけは事実です。
そうそうスーさんの生い立ちをお話しするのを忘れていました。でもここでお話するには、すこしページ数が物足りない。
いつかその話を皆様におはなしできる機会があれば、またいつか、お話を書かせていただこうと思います。
またどこかで会える日が来ることを。
きっとまたどこかで。
空の上でお会いしましょう。
闇の中で、でたらめな手話を繰り返す黒人通訳男性は消え入りながらにっこり微笑んだ。
ひこうき雲 名無しの群衆の一人 @qb001
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