虚構の帝王
幽閉開始から五日目、使者が到着したことで屋敷の中は俄かに騒がしくなった。それは神楽に纏わる一連の因果がようやく収束することだけでなく、訪れた使者が土御門家の頭首と葉隠家の嫡子であることにも関係しているのだろう。言伝を託すにしては、その人選はやや采配が過ぎるというものだ。爺さんが来るとは思っていなかったと軽口を叩いてやろうともして、それだけ此度のことを土御門家が重く受け止めていることの表れなのだろう。
「査問会の結論から伝えよう」
爺さんが口火を切る。
「此度のこと、全て不問に付すとの仰せだ」
「全てとは、土御門家が律華に加えた所業についてもなかったことにすると?」
「……異議を唱えるかね?」
「それは、俺が判断することじゃない」
あっさりと引き下がったことに目を丸くしてから、爺さんは改めて律華に向き直った。
「神楽――いや、姫条律華だったな。どう判断するかね」
「もしも私が異議を唱えればどうなるのですか」
「そうなれば審議は厳正に行われる。愚弟である宗絃を始めとした土御門の蛮行に対しても、それを殺めたあなたの罪に対しても。そうなれば土御門家は没落するだろうが――」
「私もまた、自由を失う」
「察しの通りだ」
律華は自由と言った。本当に自由が与えられるのかと、疑ってしまう自分がいる。
律華が神楽を封じ込めたと、事実的に討伐したことを査問会は信じているのだろうか。信じられたのだろうか。事の収束を目論むあまり、虚言を講じているとも捉えられるのに。
それが妥当な判断であるとさえ、言えるのかもしれない。
「裏はないのか」
「……憶測でしかありませんが」と謳い文句が添えられ、聰明は律華を指差した。
「現状、律華さんは神楽を討伐した英雄であるとともに人間にとっての脅威でもあります。あなたの内に渦巻く神楽の妖力を軽視することはできません。主導権をあなたが握っていることも含め――機嫌を損ねることを怖れている。英雄に復讐者となられては困るのでしょう」
トガメとの会話で充分に察することができる。律華が土御門家を赦すことはない。赦すことが善であると見做すのは第三者の立場からでしかない。それを促すことは傲慢だ。聖人君子になれるような人間は稀であり、少なくとも律華はその類ではなく、そして、それが普通だ。
赦さないと断じる心は復讐を駆り立てる原動力になる。人間がこれ以上不当な扱いを律華に向けるのであれば、不遜な態度を取り続けるならば天秤は傾くことだろう。
俺の存在も、やはりここに拍車をかける。俺が律華に傾倒していることは明らかだった。
人類を破綻の瀬戸際まで追いやった不死身の帝王、神楽を引き継いだ人間が二人もいて、二人は徒党を組んでいる。刺激してはならないと誰もが思う。査問会とて同じだ。
「受け入れます」
承諾の言葉は、これ以上の干渉を望んでいないようにも聞こえた。
「ありがとう」
爺さんは低頭した。額を畳に擦り付け、律華に謝罪する。聰明もそれに倣った。
「あなたに計り知れない傷を負わせたこと、愚弟に代わり、心より謝罪する」
律華の目が冷めるように細められた。泣きそうになったのかもしれない。爺さんと聰明の姿を遠目で眺めながら何度か唇を動かして、それでも彼女は何も言わなかった。
叫びたい言葉は胸中で渦巻いていたはずなのに。
「もう、そのくらいでいいだろう」
促されたことで爺さんはゆったりと頭を上げた。後腐れなく、とはいかない。
「私達は今後どうなるのですか」
爺さんは一度頷き、書簡を取り出した。
「俺にか?」
差し出された書簡を驚きとともに見つめ、思わず訊ねた。
「新しい務めだ、志郎」
「査問会は、俺をまだ退魔師として認めているのか?」
「志郎の他に適任者がいない、と言った方が正しいだろう」
爺さんの言葉が僅かに崩れた。こういう時は、決まって裏があることを知っている。
「所詮、人間と妖の戦争はいたちごっこだ。頭目が失われたところで代わりはすぐに現れる。すでに北東の地で桜花と呼ばれる妖が帝王の名乗りを掲げておる」
「桜花を討伐しろと、そういうわけじゃないんだろう?」
「あぁ。どうにかして基盤は保たれておるが、人間の限界は近い。血で血を洗う戦争をいつまでも続けるわけにはいかなくなってきてな。査問会は根本的な戦争の解決を望んでおる」
「妖と和解する――そういうことですか?」
律華の言葉が、爺さんの首肯によって俺の胸に落ち込んだ。
「現実味がないと否定するかね?」
「いや――」
無造作に律華を引き寄せる。彼女の柔肌に手を添えながら、確信とともに返す。
「ここに実例がある」
「…………バカ」
律華の呟きは聞こえないふりをした。
「頼もしいことだ。知っての通り、妖の拠点は妖力と瘴気の嵐だ。人間が足を踏み入れれば途端に生成りを見舞うだろうが、妖力のみを核とするお主ならば耐えられるだろう。加えて、お主の外見も適しておる。今のお主ならば、生粋の妖であると謳ったところで納得されるだろう。優先すべきことは桜花と接触して和解を促すことだが、それが叶う見込みがなければ桜花を殺害し――お主が妖の帝王として台頭しろ」
「人間から妖へと堕ちた先は、虚構の帝王か」
胸が躍ることを抑えられなかった。
虚構の帝王――それは、かつての律華を踏襲することに他ならなかった。
「受けるよ」
爺さんを見据えて続ける。
「ただし条件がある。律華も一緒だ」
反対の声は上がらなかった。爺さんからも、聰明からも、律華からも。
ただ一言、ついていきますとだけ彼女の声が響いた。
出立は明くる日。見送りはおらず、彼女だけが傍にいた。
「シロも来てくれるそうです」
「俺というよりは律華についてくる感じだが、ありがたいな」
「困難が待ち受けていそうですね」
「一筋縄ではいかないことは理解している」
「神楽を殺すと息巻いたときも、同じようなことを言っていましたね」
「そうだったな」
「私も志郎さんも神楽を引き継ぎましたが、不死性に関してはどうなっているのでしょうね」
「さてな。一度は生き返ったが、試すわけにもいかないだろう」
「死んだら終わり。そう思って生きろ。そういうことですね」
「あぁ、それは――とても人間らしいな」
人間らしい。
自分で唱えた言葉に棘が含まれていることに気付く。いくら周囲が見做してくれたとしても、自分で人間だと思い込んだところで、生粋の人間から外れていることは確かだ。
「なぁ、律華」
ただでさえ、という思いが擡げてくる。少しだけ言葉を続けることを躊躇う。けれど、伝えたい欲求の方が強く、深呼吸を何度か繰り返すと俺は跪いた。律華と目線の高さが合う。彼女の瞳が揺らめいていたから、俺の瞳も揺らめいているはずだ。二人とも目を逸らすことだけはしない。律華は俺の言葉を待っている。俺の覚悟も、すでに固まった。
「俺は律華を愛している」
言葉にしてみれば何とも簡単なもので、何とも胸を絞め付けてくる。
「私も愛しています。志郎さんが好きです」
律華の頬が僅かに染められる。
「こんな外見でも、愛してくれるか」
「見た目なんて関係ないです。私は志郎さんの魂に恋をしたんですから」
志郎さんもそうだったんでしょうと訊ねられ、そうだと返した。
「キス、しますか?」
顔が近付いていることもあり、彼女のいたずらっぽい笑みはあまりにも眩しかった。
「でも、二度目ですよ」
続けられた言葉に驚きの声を漏らす。
律華はくるりと背を向け、数歩だけ俺から離れると満面の笑みで振り返った。
「奪っちゃいましたから」
ファーストキス。
虚構の帝王 亜峰ヒロ @amine_novel_pr
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