ヤバいあとがき

 二次創作。それは、権利者への「敬意」「尊重」を前提に許されたアウトローの遊戯。

 私の二次創作の基本スタンスはこれです。一次創作畑で活動していたこと、コンテンツ産業のサラリーマンとして、知的財産を借りる側・貸し出す側の両方の立場を経験していたこと、これらの経験は「厚意で貸し出された(あるいは無許可で使わせて頂いている)知的財産」を扱う上での「権利者の尊重」という精神的なポリシーを形作っています。

 そんな中にあって、本作「明き翼に願いを乗せて」は、私の持つポリシーと対立する姿勢で書かれた作品とも言えます。今回のあとがきにおきましては、この物語を書くに至った経緯や、葛藤を、泡沫創作者の抱えた「二次創作」と言う難儀な世界への苦悩の一例として、赤裸々に書き残すことが出来ればと思います。


 遡ること、「けものフレンズ2」の放送中。私は作中情報を照らし合わせて、各キャラクターの持ちうる情報ベースに、その背景や心情を推し量ることを楽しみの核として、毎週の放送を楽しんでいました。その中での最初のフック、イエイヌちゃんの物語は、当初は私も「反感」を持った一人であり、周回試聴で情報を洗っていった結果、各々の立場をフラットに見て、満足のいく結論を出せたという形です。ここへの考察の結果は、三人の気持ちを各々の視点で描く、拙作「言うは難くも花は咲く」に繋がりました。今では9話は大好きです。

 山あり谷あり、後の展開に期待と不安の入り混じる、最終話放送日。早めに仕事を切り上げて11話連続上映を見た私は、「けものフレンズ全体のコンセプトや、キュルルちゃん&かばんさんの描写や人格から考えて、最終回はきっとこうなるはずだ!!」という確信を持って、リアルタイム試聴に臨みます。さて、賽は投げられました。

 ――結論から言いますと、翻弄されるキュルルちゃんの心情の変化については、等身大の子供として割と納得感もあったのですが、問題解決に向けた諸々の展開に対しては「なぜ…?」となる箇所が多く、完全な納得は出来なかった、というのが一視聴者としての実情でした。それは、試聴する前に持っていた、私個人の「予想」が「確信」にまで変わってしまっていたため、実際の試聴内容とのギャップに戸惑っていたのも、一因であると思います。


 その後の私は随分荒れていました。権利元への憎悪や、礼儀に欠ける創作スタンスの隆盛にうんざりして、空中ディスを飛ばしてはプチ炎上したり、逆に自分が本放送で納得いかなかった箇所が評価されることに疎外感を感じたり、それを「あそこがこうだったら、もっと楽しかったのに…」と愚直に表明することで、2ファンの方面にさえ、ひたすらに敵を量産したりと、それはもう色んな所で「信者」とも「アンチ」とも呼ばれながら、白にも黒にも身の置き所の定まらない、全方位自動敵作りマシーンとして、灰色のファン生活を送っていました。


 私は、キュルルちゃんやカラカルの間柄の機微がとても楽しみでしたし、イエイヌちゃんの一途さと身勝手さのせめぎ合う人間らしさも好きでしたし、フレンズたちの子供らしい営みは魅力的で愛着も深かったですし、サーバルちゃんとかばんさんのこれからがどうなるかも気になっていました。色んなギミックのある世界観も冒険感があってとても楽しんでいました。

 故に「そんな自分を、アンチなどと呼んでくれるな…!!」と歯ぎしりする気持ちの裏で「だが、納得もしきれていないんだ…!!」という一視聴者としての叫びがありました。巷に溢れる「救済」に「それは違う!!」と叫びたくなる気持ちと同時に、本編に対して「もっと他の道だって…!!」と漏らしてしまう気持ちを感じました。自分はこのアニメとどう向き合えばいいのか、完全な迷子になっていました。


 二次創作者としての信念と、原作への理想の投影は、衝突を続けます。

 やがて、私の前に“悪魔”が現れ、ささやきかけるようになりました。

「あの時、自分が見たかった景色を、そのまま形にしてしまえばいい」


 私は、悪魔に向かって反論します。

「クリエイターが骨身を削った作品を『書き直す』なんて、失礼だ」

「その道のりを心から楽しんでたなら肯定的に受け入れるべきだ」

「もし、公式作品を気に入らない、もっと良いものを作りたいと思うなら、それに悪態をつくような真似をするんじゃなく、自身が責任を持って版元と交渉し、ライセンス作品を生みだす立場になるのがスジというものだ」


 私は宣言します。

「悪魔なんかに、絶対負けたりしない!!」


 それを聞いて、悪魔はこう答えました。

「でも、作りたいんだろ?今すぐに」

「一期の時だって、みんなオレオレ最終回書いてたんだし大丈夫だって」

「それに散々言いたい放題して、いまさら公認を目指すもクソもないだろ」

「そもそもお前、今作りたいもの我慢できるほど忍耐強くないじゃん」

「というか漫画の原稿進んでないし、このままじゃコミケに出す新刊ないぞ?大丈夫か?」

 

 負けました。開き直りました。「絶対に負けたりしない」は、悪魔を前にしては死亡フラグだったのです。

 作ってしまおう。このまま延々と、堂々巡りに振り回されるぐらいなら、あの時、不確定性が作り上げていた夢の世界を作ってしまおう。許されざる悪魔の創作を。

 言い方はなんかカッコ良さげですが、そこに渋いピカレスクロマンなんかはありはしません。ただただ「自分の理想を、愛着を、その叫びを、知って貰いたい」という、泥臭く、みっともない、子供みたいな主張を通すために。気がつけば、CarasOhmiは悪魔の靴をキャンディのようにペロペロと舐めていました。

 のど飴が小さくなると噛み砕いちゃう癖はそろそろ治したいです。


 ……と言いながらも、別に自分は目的として、公式へのヘイト創作が作りたいわけでも、マウントが取りたいわけでもありません。

 そもそも、あくまで私はファン活動として二次創作を展開する身の上。公式を委縮させて、オオウミガラスちゃんのちょびるめぷち・トマソン作り起こし3Dモデルの新作映像・博物館コラボが遅れてしまっては元も子もありません。ドードーちゃんのネクソンEXとリデザもください。

 自分の言いたかったことはただ一点「あの時、自分の中にはこんな夢が広がっていたんだ」という気持ち。どこにも知る者の居ない「自分だけの思い出」を形にして、それを楽しんでもらえる形に、共感してもらえる形に、まとめ上げること、それだけです。

 ……とはいえ、「本編を一視聴者の美意識において描き直す」という行為自体、不遜の極み。無論、公式はいちいち場末の二次創作者に目くじらを立てないでしょう。

 ですが、私の小説を読んでいただく読者はさにあらず。なにせ、私自身が「自分の表現の為に本編に手を加えること」を快く思わない者の一人なのですから。「公式クリエイターが骨身を削って作った物に手を加えて、出来上がったのがこの程度か?制作会社に頭下げて出直してこんかい!!」と、愛深き人から罵倒されてもなんの文句も言えません。


 では、果たしてこの「忌むべき創作」を「快く読める読み物」にするためには、どうまとめるべきか。一発で解消する方法は「公式作品になる」ですが、まあ、普通に考えて論外です。自分がIP関係者の立場だったら「あの同人作家、SNSで好き勝手言って炎上してるやべー奴なんで、仕事振るのはマジ辞めた方がいいっすよ…」と上司に告げ口…もとい、進言すると思います。「裏でエロも描いてるんですよ…」とか、根も葉もないデマは流さないでいただきたい。


 というわけで、あくまで表現の方向性を反感を持たれないないようにする方向で考えて行った結果、「元の表現とテーマを尊重する」「必要ない会話の改変はしない」「他メディアミックスやWORLD考察、本編のオマージュや伏線化など、ファン的にポジティブに掘り下げられる箇所を散りばめる」という方向性でした。

 この作品の見据える到達点は「読破後に本編を、ひいては関連メディアミックスを試聴したくなる作品」にすることでした。つまり「同人を公式メディアミックスのノベライズのような目的で作る」というイメージです。一人の作家が、すでに公開された作品を独自にかみ砕いて再解釈し、その表現をメディアに最適化して出力する。それは現在、内藤先生が描いているコミカライズのような「愛と熱意を詰め込んだ、当該メディアならではのアレンジ」を作ること。

 二次創作とは、キャラクターや世界観という、エンタメにおいて最も重要な要素において、他人の引いた轍を拝借するものです。絶えずペダルをこがなくても倒れないのは、優秀な補助輪のおかげ。自身の非力をしっかり弁えた上で、自身の力に拘泥せず、先人の築いたけものフレンズ2の魅力を最大限に引き出す。そこを目指して、アニメやノベライズ、諸々の資料とにらめっこを続けました。


 この作品を読んだ読者に「満足したからけものフレンズ2はもう見ない」と言わせてしまったら、創作者としての私は敗北者です。二次創作者として版元に土下座案件です。

 勝利条件はただ一つ。この作品を読んで「使われた本編の小ネタを探したり、12話との表現の違いを楽しんでみよう」まで言わせて、初めてこの作品は私自身の弱さの産んだ悪魔の呪縛から離れられるのです。

 もう靴なんか、絶対舐めたりしない!!


 さて、そんなこんなで、泥にまみれたみっともなさと、解決しきれない自己矛盾を背に負って、「明き翼」はネットの海へと投じられました。

 振り返ると、このような矛盾したスタンスから産まれた、ダークサイドとライトサイドで反復横飛びするような危なっかしい作品を、フラットな目で楽しんでいただけた皆様には、感謝の気持ちばかりです。誠に恐悦至極に存じます。


 この作品は、「形なき思い出」を形にして、理解が得られない孤独をまぎらわせたかった、私の自己救済のための作品と言えます。それ故に、権利者への大義に欠けるスタンスになってしまい、きっとこの創作が好評を頂けるほどに、自身の働いた不義理への後ろめたさは増していくのかもしれない、ある種の呪いとなってしまう可能性もある、そんな作品でもあるも思います。

 ――けれども、あらゆる二次創作は「不遜さ」を内包しているものではないか、私はそうも思っています。それは「本編で見られなかったキャラクターの関係・独自のIF展開」を望む気持ちが、あらゆる二次創作の原動力となる以上、避けては通れない話なのかもしれません。

 「愛ゆえに、さらなる輝きを求め、公式作品にありもしない要素を付けたす」という「大好きな作品のありのままを愛する気持ち」との矛盾。満足しているのはずなのに、筆を動かさずにいられない、満ち足りない気持ち。

 「もっと見たい」「私の手で作り上げたい」。明言されることのない、ユーザーの些細な不満や不遜さは、作品の持つ夢や可能性を広げる一因でもあります。本作の版元である「けものフレンズプロジェクト」は、そうした「二次創作」に寛容さを示したり、「支え」と明言したりと、当初からファンアーティストを積極的に応援するスタンスを貫いてきています。

 ですから、私もそのスタンスに甘えてさせて頂き、この泥まみれの願望と、止め処ないドロリとした濃厚な愛情を、僭越ながら文章作品として書き残させて頂こうかと存じます。


 人生は、終わりなき自己矛盾との葛藤の旅路であり、それを割り切れない不器用な人間は、とにかく生き辛いものです。

 本作を受けて、私と同じく気持ちの踏ん切りのつかない不器用な人が「なんだこの失礼な創作は」と感じながらも「だが、自分は一人ではないのかも」と感じ、「これからも、けもフレを楽しんでみようか」という気持ちを持って頂けることを、一介のファン創作者として願いつつ、ここに筆を擱かせていただきます。


CarasOhmi

 

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明き翼に願いを乗せて CarasOhmi @carasohmi

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