さくら、さくら。
――四月。今年もまた、この季節がやってきた。
吐く息からは白さが抜け。永い眠りから覚めるように、
少女の名前は
よく晴れた日曜日の朝。行儀作法に勉学と、しなければいけないことはたくさんある。名家の子女として恥ずかしくない振る舞いを、どんどん身に着けていかなければならない。
自分が生まれるまでの二年、それはそれは大変な道のりだったのだという。いま、こうして一花が笑って生きることのできる世界の営みは、当時元に戻そうと奮闘する人々が、多くの嘆きの中に在り、それでも諦めずに勝ち取った『宝』なのだと。
家族みんなで
「
屋敷の二階。
「今日も変わらずに可愛いよ、一花」
「父さま」
「ん、何だい。何かあるなら言ってごらん?」
「では失礼して――」
近づき、そのまま父のいる作業机も通り越し、窓へ。
しゃあ、と勢いよく
「あ、こら一花」
「
小さな両手で窓を全開にした。とたん、まだ少し冷たくもやわらかい春の風が、待ってましたとばかりに閉じた部屋へと舞い込んだ。書類の束が踊るように舞い上がる。
「
見てください、と急かすように窓の外に顔を向ける。
この
強制的に入れ替えられる空気に、父はとうとう観念したようだ。彼の仕事はこの
「仕方がないな……」
小さな背中。寄り添って景色を見る父の気配に、ふふんと一花は満足げに鼻を鳴らした。
そして。
庭の中間、屋敷の正門へと向かう短い道の上で、母と誰かが話しているのを見つけた。
母は手を差し出している。客人は、だが小さく首を横に振っていた――いけない。これは予断が許されない。肺いっぱいに春の空気を吸い込んで。
「つくもさまーーーーー!!!」
窓から身を乗り出して手を振る。
「あれ、来たのか?」
確か今日は、と少女の背後で父が首を捻っている。なんて悠長な。
大声で自分の名前を呼ばれた客人が顔を向ける。そして、少女とその後ろに見つけた父親に、小さく手を上げて見せた――よし。
「すぐお迎えに上がります! お待たせは致しませんので!」
くるりと転身。少女の姿が窓際から消えた。
/
「あら。おはようございます。お早いですね」
出会って早々、彼女は頭を下げた。使用人もいるだろうに、こんな朝っぱらから庭の掃除か。
お手荷物を、と手を差し出されるが、軽く断った。
「いいよ、出がけにちょっと寄っただけだ。行ってくる、とアイツに伝えておいてくれ」
見るべきものは見た。うん、もう戻っていいな、と彼は思い。
「すぐお迎えに上がります! お待たせは致しませんので!」
と、窓から姿を消した少女に、困ったように笑った。
「……一花は貴方様が大好きですから。お会いになって差し上げてください」
なんて、強くはないが甘えるような引き留めの言葉。どうしたもんか、という
「悪ィ、やっぱりちと持っててくれ」
書斎の奥に消えた少女、一花は階段を駆け下りて扉を開ける――なんて
「あっこら!」
「一花!?」
部屋の隅まで助走をつけて、開かれた窓から二人のいる庭へと飛び出す。
目標までの最短距離。傘のように広がる洋服の裾を片手で押さえながら、短い放物線を描いて飛び降りる。どう考えても飛距離が足りない。けれど少女には落下の不安など
果たして、彼はその
練り上げられた気が、常人の身体能力を超えて駆動する。予測される落下地点に先んじて到達し、両手を広げながら
――放られた祝福の花束を受け止めるように、男は少女を抱きとめた。
「あのなあ
「ふふふ! ごきげんよう、つくもさま。言ったでしょう? 一花は殿方を待たせません。立派な
「立派な淑女は二階から飛び降りたりしねェわ」
下ろそうとすると、首に両腕を回された。それは嫌だ、という声なき
「ね、ね。つくもさま! お茶をご用意致します! だから少しだけ、いいでしょう?」
「次の便で
「少しだけ! ねっ?」
そんな遣り取りをしていると、とうとう家の主が下りてきて、扉を開けた。
「おはよう。そういうわけで、僕も今日は仕事にならなそうなんだ。君も一花の
「おはようさん。つっても節分の時も同じこと言われた。ンで
「もう一か月です!」
「…………はァ。灰皿あるか」
「はい! つくもさま専用です!」
即座に返る少女の言葉。
甘えるように寄せられる頬を、彼は――
――余談だが。この家を含むごく一部では、節分の時に豆を捲かないという風習が発生していた。福も鬼も、一緒に内に。なんのゲン担ぎなんだか。
「こんなに良い日なのですもの。みんな休んだって良いと、神様たちも
春風に揺れる満開の
一花が指を向けた先には、彼女の生まれた日に植えた桜が。それは見事に花開いていた。
/
慶永八年、四月。その
帝都
労いの言葉。落ちる涙。果たした使命と、果たせなかった約束の数々。
そしてこの先――日ノ国という
『ンなもんは最初から決まってただろう』、と。迫間家の
『陛下。開国を
だから、その当たり前を皆が忘れた。
『人も物も大事にし、粗末にしない。そうでなければ生きられなかった時代が生んだ信仰の根幹ですが、
万物万象に神が宿る、極東の島国。その神秘性は時代が慶永へと移った今も、変わっていないのだと。
根付いた習慣。食事の前後には手を合わせ、新年には多くの民が
朝霞
『
ともすれば一本の刀が世を
――だから、することは最初から変わらず、変えなくてもいい。
子を産み育て、懸命に生きる。今までそうしてきたから今が在るのだ、と。
そんな、当たり前を彼らは口にした。
そして。この
無償でのはたらきは時に崇高と思われることもあるが――度が過ぎれば不気味にみられる。
どれだけの損害を出しても、役目を完遂した者。その報酬がこの取り戻した日常で、それはとっくの昔に貰っていたものだと言っても納得はされない。
百鬼が迫間とした契約は『百鬼は
ならば、と椿は落としどころを提案した。
『では、今回の件は内々に。
後世に遺すような名ではない。その家名の威を向けるのは、現世に生きる人々ではなく――その領分を脅かす、別の世界の存在だけでいい。
不認知という名の報酬を、椿は望んだ。それから。
『……陛下。どうか健やかに永く在ってください。おれも、まあそれに努めます。『椿』は父、
薄く笑う。
依花も笑った。
『はい。それらを
『百はいくら何でも長すぎます。神鷹に子が生まれたら一年分くれてやりましょう。差っ引いて『
十二の時に捨てた名前だ。今更拾って、果たして
『あぁでも。『椿』が
/
【霊境崩壊】による〈
在りし日に見た夢の話題を思い出す。
比べるまでも無い。桜は常に完璧だ。そこに優劣が存在するのであれば、それを見る者の心ひとつだけだろう。
それが
一生を懸けてでも追い求める価値がある――その、未来という美しさ。
「一花も大きくなったなァ」
「はい。今年で
「殿下とは仲良くやってるかい」
「もちろん! 朝霞の娘として恥じないように努めております!」
抱きついた
「桜は好きか」
「はい、とっても! 毎年が楽しみです! 一花はでも、椿の花も好きですよ。ほら、あそこにも」
指が示した先には、落ち頃を
「冬の
「そうかい。そいつは何よりだ」
「百鬼様?」
「あァ、悪ィ。いま行くよ」
かけられた声に足を向ける。
よく笑う女に育ったなぁ、母娘ともども。
「少し驚きました。この
証明するように上げ下げをする。
「いいンだよ、帰りには重たくなってる」
「お戻りになられたらお土産と、お話をしに寄ってくださいね、つくもさま?」
「あァ。お前さんの誕生日までには戻るさ」
おれがいてもいなくても。世界は
――あぁ。これが
何度目かの確信をして、彼は屋敷――
/ある
「悪かったな、待たせちまって」
「それも百鬼殿のお勤めの
危うく昼飯まで引き延ばされそうになった朝霞邸での歓談を打ち切って、結局二本遅れた列車の席で車内弁当を二つ買い、二人で食う。
「それに、
日々の見回りに加えて迫間の霊脈の管理と花守の補充。やらされる仕事は多く、あの世の連中には急がなくていい、と言われたが。生きてる間はそうそうゆっくりするにも手が必要だ。連れまわすにはこういう、名は売れてないが腕の立つ野郎は実に便利がいい。
互いの近況報告を兼ねて他愛のない話をしていると、列車は
かたん、ことん、と身を揺らす列車が、東海道の
(つばき。)
その名前でおれを呼ぶのは、もうこいつくらいだろう。
「うん?」
〈
(海が見えるよ。)
/禱れや謡え花守よ・異聞―功勲在らねど首は存野― 劇終。
功勲在らねど首は存野―禱れや謡え花守よ・異聞― 冬春夏秋(とはるなつき) @natsukitoharu
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