春を待つ。

或る、君の話。


 ――洪水の影響により、当列車はしばらくのあいだ、運転を見合わせております。お客様にはご迷惑をお掛け致しますが――


 高所落下の錯覚。実際は乗せてた肘から頭が滑っただけだろう。


「………………。寝てた」


「見りゃわかるよそんなん」


 雨上がったし、と視線で車窓しゃそうの外を示される――成程なるほど。地平の彼方かなたまで満たされた水で真っ青だ。ソラとのさかいが一切ない。随分と明るいから夜ではないだろうが、太陽は見えなかった。おそらくは全天ぜんてんそそいでいるのだろう。下を覗き込む……うん。見事なまでにした線路レイルが、無限に等しく伸びていた。


わりィ。なんの話題だったか」


「いいっていいって。結局何徹なんテツしたのよ?」


「二ってとこかな」


「っは! お疲れさん。えーっと話がれまくった、なんだっけ。あ、そうそう。桜だ。あと紙巻タバコくれない?」


 箱ごと見合い席のテーブルに放る。言われる前に燐寸マッチケースも。


 ゴッツォサーン、という砕けきった礼を受け取って、ふと。


「てかお前さん、煙管キセルはどうした。上等なヤツ持ってたろうよ」


「あー……アレね」


 紫煙をたっぷりと吸い込み、吐き出す。


「ふぃー……さっすが下賜品かしひん、質が違いますな。煙管はあのあと井戸に放り込んじゃった」


「マジかオマエ」


「大マジのマジ。それで桜の話だったんだけど、結構白熱しちゃってさ」


「ぁン?」


。花をでる文化を出した時に切り離せない存在じゃんか、やっぱ。はどう思う?」


 と言われてもだな。


むしろ完璧でない桜なんざ、生まれてこのかた見たことねえンだが――」


 持論を展開させようとして、



「ちょおー! ケムい! 本気煙マジケム! 吸うなら窓開けて! あと混ぜて! あっ隣おじゃましまーす! やったぜ」


 会話をぶった切って文字通り机の上に割って入ったソイツは、あーヤダヤダと言いながら窓を開け、おそろしく強引、つこっちの了承りょうしょうも取らずに隣の席に陣取った。


「マジかオマエ」


「大マジのマジ」


 やべえ会話が円環してやがる。


じゃんか、モテるね兄さん」


「あァ?」


 意味が解らん、とすくめる肩がやたらと狭苦しい……気づいたら窓側――右隣まで占拠されていた。一瞬前まで、この席はおれと対面といめんの一人しか居なかったはずなのだが。


 知らん仲でないのは確かだけどさ。その自由さは如何どうなのか、と視線こうぎを送る。受け止めた瞳は、悪戯イタズラが成功した、と言わんばかりに笑っていた。


牡丹アタシとも、このことも違うの話。いちゃおうかしら」


妬いてしまう、ではないあたり愉しんでるなコイツ。


 ――これは、いよいよ収拾が付かなくなってきた。会話の着地点どころか発射点も不明なまま、わいわいきゃーきゃーとおれを置き去りに盛り上がっている。……話の要点キモにおれを置いたうえで。


「っていうか!」


 ぶった切ったな。


「つーさんナンデ!? ウメ公って何さ! あーしは犬か! 性格キャラ的には猫タイプだと思うワケ!」


「そりゃお前さんがおれのことを『つーさん』とか謎の呼び方するからだろ」


「手に入らないなら、せめてあーしだけの二人称が欲しいっていう乙女心をご存じない?」


「おれがウメ公って呼ぶのもおまえだけだよ」


「は? 最し突然の供給で全あーしが死ぬ。死んだ。死んでた。結婚しよ?」


つつしんでお断り申し上げます面倒めんどくせェ」


 主に家柄が。……性格はまァ、嫌いじゃあないよ。あとその性格キャラ付けは百年くらい時代の先をっているからさ。慶永けいえいだぞ現代いま


富貴ふきひめ、何とか言ってやれ。つつましさの何たるかならお前さんの出番だろ」


ぁよ」


 ふい、とそっぽを向かれる。


「敵かよ」


妓名ぎめいで呼ぶ御館おやかた様の言うことなんて聞きません」


 せっかくふたりきりなのに、と。


「二人じゃないが」


「二人じゃないが」


「あ、灰皿ないじゃんどうしよう」


「お前さんほんとブレねえなぁ」


「兄さんには負けるさね」











「申し訳ございませェーん。他のお客様のご迷惑になりますのでェー。大きな声での会話はおひかえくださァーーーい」


「マジかオマエ」


「大マジのマジ。切符きっぷ拝見はいけんしまァーす。ほらほら霧原きりはら山郷さんごう花魁おいらんもさっさと出せよ。後がつかえてんだよね実際」


 車掌しゃしょうかよ。


「くっっっっそ似合わねェンだが。斉一せいいち、おまえ解かってンのか? おれらの中で一番の出世頭しゅっせがしらだったンだぞ」


 皇室こうしつ近衛このえ師団しだん一兵卒いっぺいそつなんかとは比べ物にならない。花守はなもりなんつー、時が過ぎればただの神職よりもよっぽど将来だったじゃねえか。


 ぱちん、ぱちんとロクに確認もせずに三人分の切符にハサミを入れる。


百鬼なきり、ほら」


 切符、と催促さいそくされて――あン?


「……ェが」


 つーか買った覚えが無ェが。


「最高だよお前。車掌ボクの目の前で無賃乗車キセル宣言とかやっぱ只者ただものじゃなかったわ」


煙管キセルだけに」


「霧原、話の腰折らないで? さっきからもうバッキバキの複雑骨折なんですケド?    コイツ周りの会話」


良くキレたツッコミの後。


「まだ発車しないから乗り場で貰ってきて。代金は払ってあるし」


「まさかのおまえ持ちとかいよいよ気色悪ィンだが」


「うっさいなァー。ボクは借りた分を返しただけでェーす」


 ……そりゃあ、まァ。


 おれのおごり扱いだったか。








 一拍分の空白。椅子に座るタダ乗りを放り出すかのように、おれは抱き上げられた。



「…………大きく、なったなあ」



 ――縮んだのでは。もう、そんな幼子おさなごのように。アンタが抱き上げることなどできないくらいに成長しただろ、おれは。ずっと見てきてくれただろうに。


「……親仁おやじ殿。なんで腹なんてした。お陰でおれが、どれだけ苦労したと思ってやがる」


わしが『来い』と言ったら来てしまっただろう。お前は優しい子だもの。あの時にはもう、迫間はざまの家はどうしようもなかった。あずさ寄越よこしてくれただけで十分だ。……〈八雲やくも〉を有難ありがとうな。それと、煉慈れんじの願いをないがしろにするんじゃあないよ」


 って? そんなこと言われてもなあ。


 下ろされる。


 駅の乗り場ホームと発車待ちの機関車。汽笛きてきは鳴らない。それだけが世界のすべてで、残りは全部、青だった。



 ぽつんとひとり。さて、切符売り場は何処どこだろう――と、見回したところで。待合室まちあいしつ椅子いすに座る、懐かしい顔を見た。



「……お前さんまで居るとは、流石に思わなかった」


 乗らないのかい、とたずねてみる。客車きゃくしゃは随分な賑わいだった。


「はい。あの列車は便ですから。わたしは此処で、あの方を待ちます」




 /


 知った仲だ。少しの話くらいはしてくれるだろう。



「アイツ当分来ないと思うぜ、七香なのかくん」


「それは嬉しいことですね。百鬼様、有難うございます」


「何かしたか、おれ」


「言う機会に恵まれなくて。これ」


 お気に入りなんです、と髪飾りを揺らして彼女――深山みやま七香は微笑んだ。


「選んだのはアイツだぜ。くっそ時間かけてたわ」


「ふふ、はい。そうでした。――百鬼様。神鷹じんよう様に言伝ことづてをお願いしても、よろしいでしょうか」


「つっても、おれも切符貰って戻るだけなんだが」


「では、ということで」


「……ま、逢えたらな。すれ違ったら無効でいいか?」


「十分です。そうですね……どうしましょう。話したいことはうんとあるんです。えっと……」


「それこそ神鷹が来たらでいいじゃねえか」


「あ、そうですよね! ふう。ふふ、はい。……『七香は待てますので、どうか存分に』と」


「そんなことでいいのか」


「はい。このくらいで、いいんです」




 /


「兄さーーーん! 忘れ物だー!」


 開かれた窓から春雪はるゆきが手を振り、次いで勢い付けて投げて寄越したソレを受け取る。


「いいカバンじゃん。なあ!」


 だろう?


「でもと思うぜ、僕は! トーカによろしく! 柊橋ひいらぎばしの井戸なんだ!」


 ああ、煙管か。まァ、そのくらいはってやってもいいか。


「つーうーさーん! ー! あーし待てるからー!」


 初雨うめが手を振っている。七香くんと似たようなこと言ったなコイツ。


 ――あぁ、そうか。不意に得心とくしんする。



 へだたれた彼方あちら此方こちら。何も少数意見の一致ではない。先に渡った者は皆、のこしていく者に、こんな風に――いのるのか。


 走らなくてもいい、と。



「「「「からあーーーーー!!!」」」」


「――はっ、ははは。はははははははっ」


 駄目だ、つい笑っちまう。


 宗教セカイかんごっちゃになりすぎだろ、おまえら。



 こんなに笑ったのは何時ぶりだったか。なんて――


 後ろ首に妙な痛みを覚えて、おれは目を開けた。







 /


 ――あと一ツ。充分じゅうぶんな力を込めて、自身の首を落とす。


 だが、どれだけしても刃は皮一枚より先の肉を断てない。


 止める者などこの世のどこにも、あの世のどこにも存在しない。椿自身も拒まない。


 だから、その断頭けつまつを未遂に終わらせたのは。


「……おい」


『つばき、すまない。――わたしはなまくらになってしまった』


 契約者と共に限界寸前まで戦い抜いた〈薄氷うすらい〉の、びるような声だった。、と。


 錆び付いた刀身では、もはや何も斬れはしない、と。


 、コイツ。


 いや、〈薄氷〉どころの話ではない。それだけでは、には届かない。


 痛みがある。かすんじゃいるが地面が見える。刀霊とうれいの声が聞こえる。口の中に鉄の味がいっぱいで、鼻は詰まって呼吸が苦しい。


 それが、何を意味するのか。起こりる最大級の懸念けねん――椿。それをあやぶむ思考自体が、生者のソレであることを、椿はまだ、気づかない。世界の変貌にも。


「……〈そそぎ〉。オマエもおれの瘴気を喰っただろう」


を〈薄氷〉殿に奪われたからなあ。少しばかりの余裕があった』


 素知らぬ顔――と言っても見えやしないが。大刀だいとう〈雪〉は笑っているようだった。


「ンなこた如何でもいい。


『……当世とうぜおもてを上げてみよ』


 マトとは外れたこたえが返る。まァもういいや、と右手を離し、肩に回した脇差を持ち上げて戻す。たったそれだけの動作に、人生全部分くらいの――〈魔〉の首を落としていた方が余程気楽なほどに、全力が必要だった。


 顔を上げる。その眩しさに、黒瞳こくどうを何度も瞬かせた。


「―――――――」


『いやあ、絶景よな。



 ほふり去った霊魔。奪い返した現世の暁。それでもこの地に、生命が舞い戻るのはもう少し後になるだろう。椿たち限られた生を除いては、この場所に生も死もない。その筈だった。


 言葉を失う。吹き抜ける朝風に、焦点ピントの合った瞳がそのサイを認めた。




 ――



 言葉の通りに椿は見惚みとれた。総じて面倒な連中であるという印象に変わりはない。だが、、と。


 口で呼吸を繰り返す。そうか。もう、瘴気はこの地に、この夕京ゆうきょうにはないのだな、と実感する。


 馴染んだ動作が、隊長服の胸から紙巻を取り出そうとして――その箱にあるはずの、を知った。



春雪アイツ……)



 列車の中。空席の対面に笑う、誰かの顔を幻視げんしする。



「……はァ。帰ったら、」


『我らを研いで直せよ、当世』


「やれやれだぜ、ったく」


 椿は瞳を閉じる。今度こそ、夢を見る余裕もなくなって。それはもう鮮やかに、すとんと落ちた。






 /






『……椿は戻って来れないよ、りつ殿。だから、




 ――そうして。少女は奇跡のような光景を見た。壮絶そうぜつなまでに美しい。侵しがたいほどの真空性。このまま永遠に時を止めて保存しまいたいという欲求は、一秒後の未来さえ投げうってでも支払いたいものだった。

 その存在もって境界をいている。数々の刀剣が乱雑に突き立っている。あるいは折れ、砕けて転がっている。




 其処そこにあったのは、無限の〈霊魔〉を根絶やした者たちの、安らかな末路ねがおだった。



 桜木さくらぎの下で、狩りを終えた大神オオカミたちが身を寄せ合っている。一際おおきな獣に抱かれるように、童女の姿をした刀霊と年若い彼らのおさが、と。その微睡まどろみこそがだと言わんばかりに、すやすやと。




 /眠れる花は、春を待つ。


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