功勲在らねど首は存野


 強がって、立ち上がった幼い日。その厚みを実感などできない、一枚また一枚と半紙はんしを重ねるような鍛錬たんれんの中に、何度『諦め』がぎったかわからない。


 木刀を振り続けたてのひら肉刺マメが潰れ、血がにじみ出しては痛みが走る。


「もうやめてしまえ」と、自分の中の自分が言う。


 誰もお前に期待をしていないのだ、と。


 知っていた。そんなものは知っていた。


 こんな鍛錬に意味などない。どれほど月日を重ねても。どれだけ剣を振るっても。


 


 しくも現況げんきょうはそんな自身の半生に似ている。そう思った。



 絶望のおり。もう、何処どこで誰が止まっても、とがめる者は居ないのだろう―――――――――――で、あるからこそ。




 ……? 別に。


 見限られた未来。奪われた現実。訣別けつべつの痛みに、その悲嘆ひたんに顔をうつむかせるのは全部が全部終わってからでも、きっとゆるしてもらえる。そんな甘えを、今は受け入れて。


「、〈なぎかぜ〉ェ――!」



 使。無様に足掻あがき、死にそこね、ながらえたツケをこの場で払う。


 ――果たして刀霊なぎかぜは自分の姿を、声を認識できないあるじの願いにこたえる。ばきり、と真鉄しんかねが割れて折れた。



 地に堕ちたタカ最期さいごの飛翔をみせる。とききた



 空白くうはくたばねて得た、正に千載一遇せんざいいちぐうの勝機へと向かう。



 /


 ……した刀霊〈生駒いこま〉が状況を認識するまでに費やした時間である。


 連中は死力を尽くした。まではいい。それでしまいだ。何も変わらない。


 。可能性は絶無。尚も奮起ふんきしようというのならそれを認めたうえで、叩き落す。


 百鬼なきりりつが〈於宇姫おうひめ〉に。朝霞あさか神鷹じんようが〈凪風〉に自身の瘴気を喰わせた。特に赦せない。われらを。


 現世への憎悪ぞうおに染まった魂は、だからそのを正しく認識できなかった。


 一歩。真っ赤な彼岸ヒガンの花弁を散らす踏み込み。


「あさ、か、さま……!」


 救いを求めるように伸ばされた深山みやま杏李あんりの手。それではなく。


 差し出した一本の脇差の柄だった。


 受け取って進む、次の一歩――その瞬間に、


 彼岸をあらわした花の地平が、深紅しんくから白色はくしょくへとした。


(何が――何が起こった!?)


『……あの一門が、忘れてなぁい?』


〈於宇姫〉めの末期の言葉を反芻はんすうする。……いや、そんなこと――!


「ッッッ巫山戯ふざけるなよ!? 真逆まさか、認められるわけがなかろうが――!」



 この地は! 深山は! 霊脈を奪取し完全に落とした! もはやこの世ではない! たった百ばかりの正数いのちで、この幽世かくりよ負数を覆す道理などあり得ぬのだ!


 そう。そればかりは絶対だ。総数を競った時、現世はこの傾ききった天秤てんびんを再び持ち上げる命を、これ以上増やすことなどできない。なればこそ。




 ――


 。開かれた霊脈からは文字通りに等しい霊魔があふでるが


 かつての平安。さして重要でもない一国で、けれどそれは達成された。


 怪異を全数で斬る者ども。


 ども。



 神話にふるく。その大岩は、此岸せい彼岸を明確に千引せんびいた。


 そのつかさどるモノの末裔まつえいは、だから生涯しょうがいにした。


 彼岸あちら此岸こちらは違うモノ。その、世界を創った神でさえ超えられなかった境界を、みすみす譲るつもりはない。


くに全土、夕京ゆうきょう全土ならいざ知らず。たかだか五芒ごぼうの右の下。しかも悠久ゆうきゅうではなく一日以下。それがわずか一刻、どころかほんの一時いっときだと? くらいで良いのなら、百鬼われらにとっては朝餉あさげまえよ――!』


 病犬ヤマイヌと。病的なまでに魔を狩ることしか考えていない連中だとあざけった山犬オオカミが。と果ての大地こたに遠吠とおぼえる。



『こ、の、ものどもめら――!』



 三歩目にして必殺の間合い。朝霞神鷹は、不意に昔のことを思い出した。



 いつかも、何度もこうして諦めそうになった。


 手を離せば楽になる。そんなことはわかりきっていて。だというのに、木刀を握る手が、どうしたって離れない。


 ――誰かの。自分のものよりも、もっとずっと大きくな手が。


(いいえ、いいえ。ここからですとも。)


 そう、が、優しく包むように。


 見えない手。聞こえない声。実在するかどうか、僕には確かめるすべすらない。けれども確かに僕は勇気を貰って、踏み出した。


 思い返せば、椿つばきから初めて一本取れた時も、こんな――


 肩に入った一本。幼い日の椿は初めての黒星を、当たり前のように受け入れていた。


 なるようになるべくしてなった、とでも言うように。



「――〈無銘むめい〉」


 ありがとう、と。


 万感ばんかんの想いの後、消え去った思考で振るわれる『無想むそうかすみ二段にだん』。死して尚、全刃ぜんしんを走り抜ける。反射的にその何の変哲もない袈裟けさ斬りを受け止めようとして、刀霊〈生駒〉はおのが不覚をさとる。


 名護なもりの体はとうに死んでいる。受けずに斬られてやれば良かったのだ。


 とおる事象。深山名護の死体が斜めにズレる。そして現実――〈無銘かずうち〉の刃金はがねが、〈生駒めいとう〉の野望のろいごと、その刀身をち砕いた。


 鮮やかに過ぎる。こんな美事みごとな一刀を、この世で何度も見ることになろうとは。


 その、刀としての賞賛よりも。


『……忌々いまいましいものよ。ヒトの分際ぶんざいわきまえておらぬ』


 神域に踏み込んだ才無さいなしめ、とさげすむ方を〈生駒〉は選んだ。


『呪おうぞ、現世うつしよ花守はなもりどもめらが。決して赦さぬ。千年経とうが万年経とうが、このの呪いは尽きることは無いと知れ――』


 ついに上った、朽ちていく呪詛じゅそ


成程なるほど。〈そそぎ〉殿のげんの通りだ」


 取り戻したあかつき。濡れるように輝く〈無銘〉の刀身。それをみそぐように一度振るって神鷹は口にした。


「――。貴方には納戸なんど蝶番ちょうつがいが似合うな」


 退しりぞかされていく闇。実に道理だ。もはやよいの幕は、この日ノ国のどこにも無い。


 屋内だというのに、一陣の風が吹いた。具象化された彼岸花がさらわれ、消えてく。


 その、とても現実とは思えない光景の中。


「……椿様……!」


 悪夢ユメから覚めるように、律はバッと顔を上げた。


「……椿は戻って来れないよ、律殿」


 気を失ったのだろう。死んだように眠る杏李を抱きかかえ、神鷹はもう本当に現世と幽世の関係よりも覆せない事実を口にした。


「だから」


 神鷹の続く言葉を置き去りに、否定するように走り出す。痛みを忘れ、昇る朝日よりも早く、早く、早く――もっと早く!!!


 涙が滲む。こぼれて玉になったそれを中空ちゅうくうに置き去りにして、律は古谷こたにとの境界へとひた走った。


 間に合わない。そんなわけない。絶対に嫌だ。そんなものは見たくない。見たくないです、椿様。



(――頑張れ、律。)


 もう聞こえない誰かの声が、ヒトではない四本の腕が。背中を押してくれる気がして。










 ――そうして。少女は奇跡のような光景を見た。壮絶そうぜつなまでに美しい。侵しがたいほどの真空性。このまま永遠に時を止めて保存しまいたいという欲求は、一秒後の未来さえ投げうってでも支払いたいものだった。


 その存在もって境界をいている。数々の刀剣が乱雑に突き立っている。あるいは折れ、砕けて転がっている。


 其処そこにあったのは、無限の〈霊魔〉を根絶やした者たちの、安らかな末路だった。





 /功勲こうくんらねどこうべ存野ありしの



 そうして、百鬼は百鬼の百鬼たるを実行した。周囲一帯、霊魔の一匹も存在しない。死の空間にいてそれは、およる手段の中で最も乱暴な選択だったろう。


 天秤がどうしても生に積み重ねられないのなら。


 そんな荒唐無稽こうとうむけいって退けた。



 もう、視界には何も映らない。びっくりするくらいに何も聞こえない。最後の方は、上げた声が言葉になっていたかどうかさえわからない。


 ――〈雪〉に、しるしはどうだと問うまでもない。


 これで駄目なら、本当に打つ手がない。神鷹たちが仕損じるとも思えないので、杞憂さえも浮かばない……当人たちからすれば、彼のそのは、いっそと取れる程だったのだが。


(さて。)


 左手には〈薄氷うすらい〉がある。。それで終いだ。


 百鬼椿は間違えない。間違えることが


 その為の余力を残す程に、その人生は徹底されていた。


 符合ふごうすれば親だろうと親友だろうと馴染みだろうと――或いは、恋焦がれたひとですら、その首を斬って捨てる。


 視えやしないが刀身はこの八年、変わらず在った相棒だ。今更その取り回しをあやまることもない。後ろ肩に担ぐようにして、切っ先に右手を添える。


 完成させる断頭台。つむったところでもう、視界に明暗へんかは訪れない。


 ――刀霊〈薄氷〉との契約は、これで完遂かんすいされる。百鬼の『椿』は六十三を数え、この先はない。


 六十三代目さいごは、鬼ではなく人として死ぬこと。次代じだいに刀きの大神オオカミとして連なることを良しとしない、神刀との契約だ。実に都合が良かった。


 だから〈しょだい〉が始めたは、末代おれで終わる。煉慈おやじが後にどうするかは、まァ外の話だ。ンだから、余生を愉しく過ごすがいいや。



 止める者などこの世のどこにも、あの世のどこにも存在しない。


 また、後世こうせいいてこの一世一代……否、で行ってきた当たり前に、その功勲こうくんたたえる記述は存在しない。


 それでいい。それがいい。


 ――侵したモノを凡て殺して、築いたせかいが此処にる。


 いつかありし日に見た、の世界が。



 一切合切いっさいがっさい迷いなく、遺す未練も特に無し。


 力を込める――そうして、彼の意識せかいはすとんと落ちた。



 椿の花のようなあっけなさだった。


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