彼岸を飾る、


 黎明れいめいおとずれず、現世うつしよの命運は此処ここに決した。


「ふん。……どれだけえてみせようが、まぁこんなところよな」


 つまらなさそうに深山みやま名護なもり――の死体を操る刀霊とうれい生駒いこま〉は吐き捨てた。深山邸の大広間には手折たおられたいくつも無様に散らかっている。


 血だまりに沈む深山杏李あんり


 膝を屈し、それでも〈凪風なぎかぜ〉を突き立て倒れるのを拒む朝霞あさか神鷹じんよう


 そして――最後の一輪も、終わろうとしていた。


土台どだい無理な話だったろう? だがせぬ……、どうして現世そちら側についた?」


「かっ……は……」


 周囲にっていた視線を戻す。左手が――深山名護の肉体で百鬼なきりりつの、〈生駒〉の霊体で刀霊〈於宇姫おうひめ〉の首をそれぞれ掴み、持ち上げたまま不思議そうに問う。


 ――土台無理な話。それは、そう。この状況はかりきっていた。


 この地が彼らの手により〈幽世かくりよ〉へとちた。最後の『鍵』……深山名護の死によって最早もはや此処は死者の国そのものだ。ゆえにそこの住人である〈生駒〉を――。あらゆる剣技も霊力も、神威しんいも無駄に終わった。くつがえせないその道理。生と死の比率が、あまりにもかけ離れている。生きてこの地に踏み込んだ者は百に満たず、対して死者――霊魔の数は。完全なだった。かたむききった天秤てんびん。〈魔人〉の介入、〈鬼〉の奮闘。すべてが無意味だった。


 この地を取り戻すには深山名護と〈生駒〉をたねばならず、それをすには霊魔を上回る命の数が――用意できないその数が、必要だった。


 それほどまでに周到しゅうとうに。これほどまでに悪辣あくらつに。この〈生駒れいま〉は、いのちの生きる世界を呪っていた。そのさくに、花守かれらは敗北した。


 だからこそのを問う。


「なあ、〈於宇姫えきがみ〉よ? 幽世こちら側であるならば存分に愉しめようぞ」


『……ッ、……ッッ』


 、と。


 ――よく似た問いをこの口が発した覚えがある、と。くびを締められながらその疫神えきがみ他神事たにんごとのように追想ついそうした。



 /


 当世とうせい百鬼椿つばきと会話をしたのは後にも先にも一度きり。彼がワタシの契約者、九瀬くぜ律を九瀬家から奪いひき取った夜の事だ。


 結論から言えば、妾はこの男を好きにはなれなかった。


〈魔〉を狩る鬼。などという、。徹し過ぎた一貫性を。


『……妾は、百鬼アナタが斬る対象ニ、ならナイのかしラ?』


『あァ?』


 今日イチで下らねェ質問されたわ、と言わんばかりの顔で。


『今日イチで下らねェ質問されたわ』


 と言ってけたこの男を。


『お前さんのことは知ってるさ、〈於宇姫〉殿。有名どころの怪談。乙女の夢、未来を奪う。一等級のじゃあねえか。分霊わけみ本霊おおもとかまでは知らンが、現物げんぶつが九瀬にあったのは驚きだよ』


 呪物じゅぶつたぐいまで集めるとは見境みさかい無ェなあ、などと紙巻タバコくわえながら椿カレはそう言った。


 怪異殺しの百鬼オニの一門。その頭領とうりょう。その異名はながく生きた怪異であれば誰でも耳に入れたことだろう。何せ千年前からこの時代まで、変わらずソレをし続けたなんていう、こっちからしてみればそれこそ筋金入りのだ。


 ――そう。妾の性質は呪いだ。ふるくは水面。やがては青銅。発見と試行錯誤の果てに、人類が成功した。それにともなう、若さを失うということへの。未来に対する漠然ばくぜんとした。そうした人々の思念が妾を作り、名を与え、カタチができて、こうして存在する。


 百鬼が狩るではないか。なのにどうして、と。


『自殺願望あるならを律に持たせて投げさせろ。綺麗に割れてしまいだ。おれの手をわずらわせるまでもねェや』


 くっっっっだらねェぜ、と紫煙を吐いた時の顔を、覚えている。本当に、どうしてそんなことをいてくるのか不快でたまらないと、ありありとその顔に書いてあった。


 思えば。妾がに他者を呪い殺したいと思ったのも、これが最初で最後ではなかろうか。


『妙な心配なンかしねェでもお前さんが律にいてりゃたたッ斬ってたよ。逆に訊くがお前さん、どうして――』




 /




 ――刻限おわりを告げる。現世から乖離かいりされた深山の地表を、この大広間を赤い赤い彼岸花ヒガンバナが埋め尽くす。いっそ感動するほどに、深山邸の窓から見えたそれは美しい光景だった。


『ふ……フ』


 白無垢しろむくに身を包んだ無貌びぼう女霊じょれい――〈於宇姫〉は二本の腕で、自身の頸を締める〈生駒〉の左手を掴んだ。


ーー!』


「――ほう?」


 ぱきん、とかおヒビが入る音がする。視界がズレた。構わない。


 全神全霊ぜんしんぜんれいを込めて、ヒトならざるに握った硝子ガラス片で、不埒物ふらちものの腕を刺す。刺す。刺す。刺す。――とおった。〈生駒〉と連動する深山名護の、律を掴んだ腕から血が噴き出す。


「かはっ……げほっ……こほっ、おう……ひ、め……?」


 彼岸の花絨毯はなじゅうたんに落ちた律が〈於宇姫〉を見上げる。


 百鬼椿の大刀だいとうそそぎ〉が激昂げっこうしたと聞いた時には驚いたものだが。今ならその気持ちがよく解かる――〈生駒コイツ〉はとても、で。しかもこともあろうに――


ワタシ編纂つくっタわけでモ、ナイものが……ァ――!』


 覆らない現世と幽世の天秤。生者の数は余りに少なく、死者の数は無限に届く。この抵抗に意味は無い。この激怒は彼女だけのもの。


 ――は怪談。乙女のうら若きを呪う年増としまひがみと、若者が想う未来へのうれい。ヒトの子のいとなみに吹溜ふきだまった二十歳はたちを迎え後は枯れ行くだけならば、いっそ摘み取られたいという後ろ向きな願望けがれなきすがたを映し出す紫鏡ムラサキカガミ




 律を抱きしめる。可哀想かわいそうな娘。霊と肉。二つの体は触れ合えない。それでも良い。


 /


『――どうして?』


 を刀に宿した男は問う。解かりきった答えをわざわざ口に出すのも面倒くさい、と。


 万物ばんぶつに宿るからの付喪神つくもがみだ。ただ呪うだけであるならば、わざわざ鏡から出て刀に憑く必要なんてないだろう。


 理由は、ひとつしかない。いやふたつ? みっつでもいい。


 どの道、怪談わたしは、人の世が続かなければ存在できないのだから。



 /


 ぱきり、ぱきりと罅が入っていく。


「だめ、やめて、〈於宇姫〉……!」


 


 割れた無貌むぼうの、ないはず水晶体がんきゅう契約者りつの姿が二つ、三つと増えていく。


「私を助けないで……独りにしないで……っ!」


 残念ながら、その願いは聞き届けられない。


『……たくさん、ヲ。救うん、デショ?』


 じゃあ、一番最初にを救ってあげないとダメ。


「わた、私の未来! あと二年後を、奪って……すくってくれるって……」


『あァ。それネ……律と暮らしテ、思ったケレド』


 これは紛れもない事実だ。


。妾に献上けんじょうしたいなら、もう少しマシな未来を、夢見えがいてくれないと』


 少女の姿がにじんで見える。嗚呼あぁ。妾は泣けたのか。硝子ガラスなみだがぱりぱり落ちる。


 さあ、立ち上がって。そう。いい子。



「……今生の別れらしいが、もう良いか?」


 死体なごの左腕の傷はもう無かったことになっている。退屈そうに〈生駒〉が言う。十分だ。


『アリガト。もうイイ』


「そうか。では消えろ、花守と疫神」


 振り下ろされる打刀うちがたな


「……っ! 〈於宇姫〉ぇ――ッッ!」


 律が取り戻した霊力と、妾の神気でそれを打ち払う。砕け散る〈於宇姫たんとう〉の刃。それと同時に、私の霊体カラダも砕けて散った。



 妾は怪談。言われる通りの疫神だ。だから最期に呪いを遺すし、


『言い忘れてたけどね、〈生駒〉?』


 律の左手が逆手に小太刀こだちを抜く。〈六連むつら〉の刃がはしった。


 ――妾は百鬼椿という男は好きになれなかった。律の懸想けそうも、あのひとでなし相手では辛く終わるだろう。特に、


『……あの一門が、か忘れてなぁい?』


 という、在り方が。あまりにもニンゲンらしくなくて、好きじゃあない。


「な――に――?」


 そう、それ。


 好みはこういう、調だ。


(頑張れ、律。)



 踏み込みに舞い上がる、彼岸を飾った花の赤。


 その中に確かに、深山名護の血液が混ざっていた。


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