短編集 The Rose Without Necter was in Love with The Free Butterfly
鏡宮琳音
Alarm Clock
カーテンを閉め切って、明かりを消して。布団を被って蹲る。気が狂いそうな静けさの中、手繰り寄せたコードの先にある四角いそれを握りしめる。例えば、もし、今、バイブが鳴れば。例えば、もし、今、コールがあれば。この先に進まなくて済むのに、なんて。馬鹿みたいな幻想だとはわかっているのに。少し期待している自分がいたりする。
午前0時42分。目が眩む明るさの中、何とか読み取ったその文字。正直、溜息しか出ない。いつの間にこんな時間になってしまったのだろう。もっと早ければ、あるいは。……どちらにしても、特に変わりはなかったかもしれない。
また戻ってきた暗闇は、先ほどよりも暗く感じた。スマートフォンを放り投げ、枕の下から手探りで取り出したものを両手でしっかりと握りしめる。そうでなくては、取り落としてしまいそうだったから。そうでなくては、手の震えに気づいてしまいそうだったから。乱れた息が妙に響いて耳につく。いつになっても慣れない。いや、慣れなくていいのだ。そうでないと、もう、戻ってこられない気がする。戻る気があるのかと言われれば、どちらとも答え難いが。それでも、まだ大丈夫なのだと思える。まだ、完全に狂ってはいない。
カリカリと小気味のいい音が響く。零れた笑みが自然となのか、わざとなのかも分からない。左の袖を捲り上げる。目に飛び込む傷だらけの腕。目を逸らしたくなる。にも拘らず、いつまでも見つめていたくなる。震える指でそっと撫でると、瘡蓋で凹凸だらけ。やすりのようで。いい加減治さねばと思わないこともない。
刃先を肌に押し当てる。いたって平静であるつもりだ。それなのに上手く力が入らない。いつもそうだ。手が震えているせいだと気づいたのはいつのことだったか。恐怖という感情が感じ取れないのだと気づいたのはいつのことだったか。少なくとも、最初は気づいていなかった。それほど、何もかもが分からなくなっているらしい。
僅かな痛みと、間をおいて浮かぶ赤い玉。その程度だ。それ以上の力は入れられない。無数の白い線は、すぐに蚯蚓腫れへと変わっていく。今日も、赤い線は数えるほどで。溜息を吐く。呆れなのか、安堵なのか。
いけないとわかりつつも、傷に舌を這わせる。僅かな鉄の味、次いで、痺れるような激しい痛み。思わずうめき声が零れる。手で押さえると、指先がほんのりと赤く染まった。脳内が痛みで支配される。嗚呼、今なら。余計なこと、考えなくて済みそうだ。そしてそのまま。眠りに落ちてしまえたら。
けたたましいアラーム。手探りでスライド、解除。今日は土曜日。だというのにアラームが鳴るとは。起きるつもりはなかったのに。昨日の自分を呪う。とにかく、もう少し寝かせてほしい。寝返りを打ち、枕に顔を埋める。
「ねえ、大丈夫? おはよう。何か喋って?」
遠くで何か聞こえる。聞き取れたのは、一部だけ。それでも、誰の声かはすぐに分かった。
「……え、あれ、○○くんの声が聞こえる。遂に幻聴まで。……はは、もうだめだ」
まだ大丈夫、は、気のせいだったようだ。ここまで来たら。やっぱり、ロープの出番だろうか。輪っかに結んだまま放置されている、太くてやわらかめのロープ。
「何寝ぼけてるの。昨日のメッセージ、びっくりしたんだよ。何があったの?」
「え?」
飛び起きて、スマートフォンの画面を見つめる。目に飛び込んできた『通話中』の三文字。真ん中に表示されたそれは、間違いなく彼のアイコンで。スピーカーをONにする。
「ご、ごめん、気づいてなかったの。アラームと勘違いしてた」
「えぇ、なにそれ」
いつもの笑い声。温かくて穏やかな彼の声。何よりも落ち着く。黒い感情が、考えが、小さな雫に姿を変えて。カーテンの僅かな隙間から差し込んだ光が、星のように煌めかせた。
短編集 The Rose Without Necter was in Love with The Free Butterfly 鏡宮琳音 @rinne_kagamiya
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。短編集 The Rose Without Necter was in Love with The Free Butterflyの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます