長い渡り廊下で

烏川 ハル

吊り橋効果

   

 僕の通っている高校には、もう使われていない旧校舎がある。新校舎と呼ばれる棟――三階に僕たちの教室がある――とは、長い渡り廊下で繋がっている建物だ。


 不整脈で入院していた僕は、初めての登校が、五月の連休も終わった頃になってしまった。休み明けの独特な雰囲気と同時に、当時クラスで話題になっていたのが、旧校舎の噂だった。

「知ってるか? あの旧校舎……。女生徒の幽霊が出るらしいぜ」

「昭和の時代に亡くなった、薄幸の美少女らしい。お前も一度、見に行ってみないか?」

 面白半分に、そんな話を持ちかけてくるクラスメイトたち。

 怖がっている気持ちが僕の顔に出てしまい、それを見て、さらに話を進めようとする者もいる中、

「やめてやれ。そいつ、怖がりなだけでなく、心臓が弱いんだから……。冗談じゃなく、命の危険になるぞ」

 同じ中学だった知り合いが、きちんと止めようとしてくれた。

 ただし、

「しかも、ただ『怖がり』なだけじゃない。そいつ、霊感あるらしいからな。俺たちと違って、本当にしまうんだよ。……大事おおごとになるだろう?」

 と、おそらく親切心なのだろうが、余計な一言を付け加えてしまう。

「えっ? 霊とか見えるのか! そりゃあ、ますます……」

「噂の真相を確かめるには、絶好の人材だな!」

 まだ友人とは呼べない、無責任なクラスメイトたち。彼らは、僕の気持ちなど置いてけぼりにして、勝手に盛り上がる。

 それでも僕は。

 頑として首を縦に振らなかった。

 彼らの心霊調査とか肝試しとか、そういったものには決して近寄らなかったのだが……。


「嫌がってても……。どうせ、そのうち行くことになるぜ。旧校舎には」




 その発言の意味を僕が理解したのは、体育の授業へ向かう時だった。

 運動場は二年生や三年生が使うらしく、一年の体育は、体育館で行われる。この体育館が、旧校舎を越えたあたりに設置されていたのだ。

 もちろん、ぐるっと迂回して行くのが正しいルートだ。しかし、近道しようと思ったら、旧校舎の中を突っ切る形になる。

 そして。

 急ぎの場合は、みんな、そちらの『近道』を使うのが通例となっていた。

 あんな噂で盛り上がっていても、幽霊の存在なんて、誰も心から信じてはいなかったのだろう。仮に信じていたとしても、そこにあるのは好奇心だけで、恐怖心は皆無だったようだ。


 僕は激しい運動を医者から止められていたので、体育の授業は見学だけ。それでも「授業は必ず相応しい衣服を着用した上で受講すること」という校則があったため、いつも運動着に着替える必要があった。これがなければ、クラスメイトより先に教室を出て体育館へ行けるのだが……。


 ある日。

 直前の授業が少し長引いて、教室を出るのが遅くなった。

 時間がないということで、みんな走って体育館へ向かう。走れば旧校舎を迂回してもギリギリ間に合いそうだし、中には、走った上で『近道』を使う者もいた。

「お前も、遅れずに来いよ。まあ歩きでも、旧校舎ルートなら間に合うさ」

 そう言い捨てて、先に行くクラスメイトたち。

 僕は、医者から「心臓の負担になるから走るのもダメ」と言われていたのだ。


 結局。

 クラスメイトのアドバイスを受け入れて、嫌々ながら、旧校舎を突っ切るために、長い渡り廊下へ足を踏み入れた。

 すると。

 渡り廊下の、旧校舎に入る少し手前のところで。

 髪の長い少女が、佇んでいた。

 手すりを掴んで、ぼうっと外を眺めている。

 僕の位置からは、横顔しか見えない。だが、物憂げな視線と相まって、その美しさは僕の心に深く刻まれた。

 同時に。

 彼女の着ている制服が、明らかに今のものと違うことも見て取れた。クラスの女子が来ているブレザーとは異なる、昔風のセーラー服だ。

「昭和の時代に亡くなった女生徒……」

 クラスメイトから聞かされた言葉が頭に浮かび、無意識のうちに、僕の口から飛び出していた。


「あら? もしかして、私のこと、見えるのかしら?」

 僕の言葉が聞こえたようだ。彼女は、ゆっくりとこちらへ顔を向けた。

 正面から見ても、やはり整った顔立ちだ。薄幸の美少女という噂は、間違っていなかったらしい。

 それでも。

 美少女と知り合えた幸福感よりも、幽霊と出会ってしまった恐怖心の方が上回る。僕は気づいていないふりをして、わざとらしくないように徐々に視線も逸らして、まっすぐ前だけを見て進む。

「ねえ、見えたのよね? ねえったら! 無視しないで、反応してよ!」

 耳に入る言葉は無視して、とにかく歩く。旧校舎の中ではなく、ここに幽霊がいるのであれば……。とにかく渡り廊下さえ抜けてしまえば、大丈夫のはず!

 弱っている心臓がドクンドクンと、早鐘を打つように鳴り響く。それも聞こえないつもりで、ちょうど彼女の横を通り過ぎようとした時。

「もしかして……。これも知覚できるのかしら?」

 彼女がスーッと腕を伸ばして、僕の頬を撫でた。


 その瞬間。

 心臓が、限界に達して。

 僕の意識は、暗転した。




 次に気づいた時。

 目の前にあったのは、彼女の顔だった。

 倒れた僕の顔を、心配そうに覗き込んでいたらしい。

「ああ、良かった! 蘇生したのね!」


 ……『意識を回復した』ではなく『蘇生した』だと?

 身体中からだじゅうから嫌な汗が噴き出す僕に、彼女は説明し始めた。

「ここ、私の担当区域だから。死ぬ予定じゃない人が死んじゃうと、私が怒られちゃうのよねえ。私の力で蘇生できる程度の一瞬の死で、ほんと助かったわ」

 彼女は、噂されていた通りの地縛霊であると同時に、この近隣一帯を担う死神なのだという。どうやら幽霊の世界も大変であり「成仏できないなら現世で働け」ということで、彼女は『死神』の仕事に就いているらしい。

 地縛霊なので当然、このポイント――彼女が身を投げて死んだ場所――から動けないのだが、死神として、亡くなる者の魂を刈り取りに行く時だけ、ここから離れることも出来るそうだ。

「……そういうシステムなのよ」

 にっこりと笑う幽霊に対して。

「はあ、そうですか」

 一応は生き返らせてくれた恩人なので、もう無視も出来ず、適当に言葉を返しておく。

 だが、悠長に彼女の相手をしている場合ではなかった。

「あのう……。僕、急いでいますので、これで!」

 体育に遅れると困るので、駆け足にならない程度のギリギリで、僕は足早に立ち去った。

「じゃあ、またね〜!」

 幽霊とは思えぬほど陽気な彼女の声を、背中に受けながら。


 幸か不幸か、体育の授業には間に合った。

 もちろん『間に合った』こと自体は、明らかに『幸』だ。

 しかし。

 あんなこと――心臓の一時的なストップ――があっても、それでも『近道』を使った方が早い、と判明したのは……。

 ある意味『不幸』と言えるのではないだろうか。

 だって。

 その後、体育に遅れそうになるたびに、僕は渡り廊下を通って同じ目にあうことになるのだから。

 何度も何度も、僕は彼女と出くわして、心臓停止と蘇生とを経験することになるのだから。




 こうして。

 また今日も、僕は……。

 長い渡り廊下で、長い黒髪の幽霊しにがみとすれ違って、心臓が止まる。

 そして蘇生してもらい、その場を立ち去る。

 でも。

 こんなことが繰り返されるうちに……。

 なんだか、幽霊あのひとのことが気になるようになってきた。

 彼女との交流に、ささやかな幸せを感じるようになってきた。

 これって……。

 もしかすると、恋なのだろうか?




(「長い渡り廊下で ――吊り橋効果――」完)

   

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

長い渡り廊下で 烏川 ハル @haru_karasugawa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画