カルボナーラの憂鬱

和史

カルボナーラの憂鬱

 日向ひなたで昼寝をする猫を横目に、僕はパスタを茹でている。

 正確には茹でようとしている。


 グツグツと音を立てる湯を眺めながら、片手にはパスタを一掴み。どれぐらいの時間、こうしてキッチンに立っているのかは記憶にない。


 蒸気が前髪に当たってしっとりしだしている。

 もういい加減パスタを投入しなければ、とパスタ投入ロボットになりきってようやく右手を動かした。


 程なくバラバラに広がった小枝どもは腰から砕ける様に湯の中へ消えていった。



「ロレンツィオ、アルデンテにしなきゃ」



 ふと、頭の中に鮮明に彼女の声が響いた。それはとても鮮明に。

 僕は慌てて熱湯からパスタを救い出し、スパゲッティーサーバーからこぼれた一本を排水溝手前で死守した。水道水で洗って味見をする。


 硬すぎだ。でも、もう一度茹でる気にもならない。

 このままゴミ箱に捨ててしまおうと、皿を掴んですぐに思いとどまった。



 何がいったいいけなかったんだろう、と。




 表面に塩味が効いたスパゲッティに、熱々に温めたカルボナーラソースをかける。彼女が好きな外国のレトルトソースだ。


 やさしいクリーミーな香りと、きつめのチーズと黒胡椒の香りが目の前を他人事のように過ぎていく。実際他人だ。人ですらないけど。


 はたしてソースの力でスパゲッティはちゃんと食べごろの硬さになるんだろうかとぼんやり考える。


 そういえばパンチェッタは別売りの様だ。パンチェッタ抜きのカルボナーラははたしてカルボナーラなんだろうか。


「なあ、お前」

 小さな机に皿を置き、すり寄ってきた猫に話しかけた。


「これ、食べるか? 僕はどうも食欲がないんだ」

 何故食欲がないのか、猫は聞いてはくれない。


「それに、これ、彼女が好きなスパゲッティなんだよ。僕は好きじゃない」

 仕方ないので自分で理由を話す。猫はだからどうしたとばかりに欠伸あくびをした。


 目の前のパスタが、彼女の艶やかな髪を連想させる。プラチナブロンドの柔らかい髪を。


 スパゲッティにフォークを差し込むと、グニャリと塊で絡まり、それは食べごろを逃がしたことを意味した。別に食べたかったわけじゃない。僕の好きなスパゲッティは鮭のジェノベーゼだ。彼女はそのことを知ってるだろうか。


 フォークを置くと、机の上にある鍵を手に取った。彼女の家の合鍵だ。

 あと数時間で、彼女がこの鍵と猫を取りにやってくる。


 手の中の硬く冷たい鍵を見つめ、いったい何がいけなかったんだろう、と繰り返した。


 アルデンテ。

 

 それを守らなかったからだろうか。

 塩水しおみずが入り過ぎて辛くならないよう、パスタソースが入ってパスタ自体にうまみが入るよう。


 してきたつもりだった。

 





 僕は鍵を掴むと、まだ湯気が立つ茹で汁にそれを放り込んだ。

 溶けてなくなればいいのに、と。



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