ハートレスモンスター

戒めツブヤ

ハートレスモンスター

 僕には心がない。僕の心は誰かに奪われてしまった。


 それに気が付いたのは、定期検診のことだった。

 病院でいつものように医師に心音を看て貰っていたら、僕の心音は忽然としなくなってしまったらしい。脈はある。けれど心音が聞こえない。


 だが、そう慌てることはない。よくあることだ。

 僕の心臓は、ただ単に誰かの体の中に転移してしまった。それだけだ。

 心のエネルギーが第六磁場を展開し、簡易ブラックホールが生成され……、僕の頭では到底理解できないロジックを辿った末、物理的に、人の心は誰かに奪われるようになってしまった。


 通説によると、『その人を想っている誰かに心臓を奪われてしまう』らしい。

 二つの心臓を手に入れた猟奇犯に無理心中されたアイドルもいる。最初は奇病・オカルトとして扱われた心臓コンバーション転移だが、今は心臓を転移し合う『心臓の交換』こそが真実の愛であると真しやかに囁かれている程である。


 だから、僕は心臓がどこかに行ってしまっても全く心配していなかった。

 僕の心臓を奪った犯人に心当たりがあったからだ。


「え、心臓を奪われたの?」

「うん。キミが盗んだんだろう」

「あたし、……知らないよ」

「またまたそんな、キミ以外の誰が僕なんかの役に立たない心臓を奪うというのさ」


 僕の心臓を奪ったのは僕の恋人だ。

 そう思っていたけれど、恋人の胸に何度耳を当てても、聞こえるのは彼女のトクントクンと鳴る控えめな心音一つだけだった。


「あたしじゃ、ないよ。ねえ、誰があなたの心を奪ったの」

「そんな……、わからない」

「でも……私じゃない誰かが、あなたの心を奪ったのね。私がどんなに願ってもあなたの心を奪うことはできなかったのに」

「例え心を奪われても、僕が本当に好きなのはキミだけだ」


 僕の恋人は、悔しいと一言呟いて、ホロホロと泣いた。そんな恋人を見て、僕はより彼女が愛しくなる。ツウと涙があふれてくるのに、僕の心には突き刺すような痛みが走っているはずなのに、僕の心は何ともなかった。


 僕の心を奪ったのは誰だ。


 心臓が誰かに奪われ――盗まれる時代。『心臓窃盗保険』や『心臓探し専門の探偵』なんていうのもある。僕は、僕の持つ多くのお金を支払い探偵を雇ったが、僕の心臓は見つからなかった。


 心臓がなくなってから、僕の体はとても軽くなった。走っても何をしても、僕は自由だった。心臓は痛まない。今までこんな心臓なくなってしまえと何度願っただろう。願いが叶って、僕はとても幸せだった。僕の心を奪った知らない誰かに大金を渡して礼を言いたいくらいだった。

 嬉しくなった僕は、生まれて初めて、渋谷にある宮下公園で毎夜のようにやっているフットサルに参加した。誰も知り合いはいない飛び入りの参加を果たした僕は、自分でも驚く程ヘタクソだった。それでも、僕はとても楽しかった。息が切れる程走っても、僕の心臓は痛まない。ヘタクソながら、新しく出来た友人にボールを追う粘り強さを褒められ、僕にとっては天にも昇る嬉しさだった。


----------


 軽やかな身体になった僕は、こっそりとスキューバダイビングの体験に参加した。

 僕の友人には、毎週末離島に繰り出し、月末には食う金にも困るというバカがいた。会うたびに、どこどこの島に行って、こんな魚をみた、こんな地形があったと熱弁をしてくる。


 僕は身体の都合上、スキューバダイビングをやるのはリスキーだった。一度僕のかかりつけの医師に相談したところ、一応許可は出たものの、それを押して潜る程の魅力を僕は感じなかった。水族館の光景で十分満足していたし、友人は水族館に行くたび『こんなに理想的な海、あるわけがない』と妬ましそうに言っていたからだ。それはつまり、本物の海は水族館より美しくないということだ。


 とはいえ、僕は海の中の世界に興味があった。水族館より美しくないと言いつつ、何故友人はあそこまで海の中に惹かれたのか。友人はその海の中で何を見たのか。僕はそれがとても気になった。


 実際に参加してみたスキューバダイビングは、確かに水族館のそれより美しくなかった。魚は少ないし、あんなに色とりどりの魚の群れをみることは叶わなかった。その日はあいにくの天気で、海の中はどんよりと暗かったし、渇いた空気で喉はカラカラだった。

 でも、それはとても楽しかった。普段感じることのない無重力の中、触れられそうな距離感で魚と併走し、岩の裏や小さな穴の中を覗く。そうすると、水族館では見たこともない小さなマヌケ顔の魚が顔を出したり、飼育が難しい青いナメクジを見ることができた。

 美しさだけなら、水族館には敵わない。だけど、潜らなければ見られない光景がそこにはあった。

 帰り際、一瞬だけ差した太陽光によって出来た光のカーテン、さんざめく水面越しの太陽に、僕は思わず息を飲んだ。あいつを海の中に惹きこんだものはコレだったのかと、僕は納得した。


 その日の帰り道、『なあ、そうだろう!? 海は最高だろう!?』そう破顔する友人を思い浮かべ、僕はにやりと笑いながら電話を掛けた。

 しかし、友人の反応は僕の思いも寄らぬものだった。


「え、ダイビング、……したのか? 今日?」

「ああ! 最近は身体の調子もよくてな」

「お前、……本当は今、心臓がないんじゃないか」

「え?」

「お前がこの前フットサルに行ったってSNSにあげてたあの日、そして今日。ひどく心臓が痛むんだ。俺は、誰かの心臓を奪ってしまった。その"誰か"は、どうやらお前だったらしい」


 僕の心臓を、あいつが?

 あいつが、僕の心臓を奪った?


 予期せぬ事態に僕は言葉に詰まり、変な間が空いてしまった。

 それはあちらも同じらしく、快活な友人には珍しく「あー」と歯切りの悪い声を上げる。


「取り急ぎ、明日会えないか」

「うん、分かった。何時にどこ?」

「いつもの居酒屋。八時」


 僕の心を奪ったのは、僕の友人だったらしい。

 翌日の夜八時。いつも彼と雑談を交わす、海鮮と日本酒が美味しい居酒屋にやってきた。いつもの席にはいつものように友人がいる。

 友人は僕を見つけると、「よう、お疲れ」といつものように声をかけ、僕にメニューを聞くこともなく日本酒を一号とお猪口を二つ。それから『本日の盛り合わせ』を注文する。


 よもやこの友人が、僕に対して激情までに似た恋心を持っているとは到底思えなかった。


「さて、で、早速本題に入るが。――俺はお前のことを愛しているんだろうか」

「そんなこと知る訳がない。キミには悪いけど、僕は僕の恋人のことが好きなんだ。僕の心臓を誰かに奪われたと泣いている。僕の心臓を返してもらえないか」

「まことに遺憾ではあるのだけれど、それはできない。何故なら俺はお前のことを愛しているなんていう自覚は全くないんだ」


 俺は女が好きだ。心の底から女が好きである。お前も知っているように、俺はもうすぐ同棲を始め、半年後くらいにはプロポーズをしようと思っている。柔らかい彼女の胸や手足や、ほっとする匂いや、普段は小生意気だがたまに可愛い彼女に俺はキュンキュンしている。そうそう、ついこの間のことなんだが――


 友人は話し始めるとすぐに脱線する。これは友人の悪い癖だ。僕の心臓の話をしていたはずなのに、いつの間にか友人の犬も食わない惚気話へと脱線していた。

 話を戻すと、友人は悪びれもせずに呵呵かかと笑う。僕の心臓より、彼女との惚気話の方が重要だと言わんばかりの笑顔だった。


「あまりに可愛い俺の彼女。翻って、お前はどうだ。お前には全くキュンキュンしない。報われぬ恋に切なくなることもない。俺はお前を大切な親友だと思っているが、お前の心を奪う気など全くなかったのだ。どうやら俺は図らずもお前の心を奪ってしまったらしい」

「なんかその言い方腹が立つな」

「敢えてやった」


 友人はお猪口を仰ぎ、さらに継ぎ足そうとするが、既に徳利の中は空っぽになっていたらしい。友人は小さく舌打ちをした。


「とはいえ、本当に俺にはなんの身に覚えもないんだ。お前が俺に心を奪ってほしいと願ったのではないかとすら思っている」

「そんな症例きいたことがない」

「これが一件目かもしれない」

「僕はキミに心酔なんてしてない。いいから僕の心を返してくれ。僕はキミではなく僕の恋人にこの心臓を捧げると誓ったんだ」


 しかし、僕の心は一向に戻ってこなかった。

 僕の心を奪う程に、あいつは僕のことを想っていたのか。

 それともあいつが言うように、僕が僕の心を奪ってほしいと願ったのか。

 そもそも、心を奪うとはなんなのか。そのきっかけは本当に「恋情」なのか。僕には分からない。分かっていることは、僕の心はやはりあいつに奪われたということだけだ。


----------


 そうして、幾ばくの月日が滔々とうとうと流れた。

 僕は終わりを迎えようとしていた。


 僕の心臓は、もう施しようのない状態になっていた。だから酒だって飲むし、病院に引きこもったりしない。僕の両親は残念がっていたけれど、僕はこの選択に後悔なんてしていなかった。


 僕が無茶をするたび、友人は怒った。心臓が痛い、と。それでも僕は止めなかった。

 友人には悪いが、僕の心臓が痛んだところで、彼の心臓そのものには全く影響がない。友人に痛みを肩代わりして貰うことで、僕は僕が生きていた中で最も自由で、そして――。とにかく、僕は僕の人生を謳歌していた。恋人と何度もセックスをした。今までしたこともないような激しいプレイもした。高鳴る心臓に友人から何度も電話がかかってきてシラケたが、僕は最高だった。天にも昇った。


「お前、本当にいい加減にしろ。お前には分かってるだろうが、死ぬほど痛いんだぞ」

「別にいいじゃないか、キミはただ痛いだけだろう。僕はもうすぐ死ぬんだ。それくらい代わってくれたっていいじゃないか」


 そんな心無いことを言ったりもした。

 僕は文字通り心無い人間なんだ。仕方がないだろう。


 だが、そんな楽しい日々も終わりを告げ、僕は今、真っ白なシーツに包まれている。

 こんな状況になっても心臓は返ってこない。手の施しようがなかった。


「はは、ラッキー。あのビリビリ、苦手なんだ。痛かった?」

「ああ、痛くて死ぬかと思った」

「僕の痛みを共有できたのは、キミだけだったな。何が悲しくて、キミなんかと」

「それはこっちのセリフ。いい迷惑だ」


 結局、僕の心はってこなかった。

 あいつの体の中で、僕は溶けて消えた。


 僕は溶け行く中で、あいつの心の声を聞いた。

 あいつは、計画通りだと笑っていた。


「実は、俺はわざとお前の心を奪ったんだ。なあ、海は最高だっただろう?」


 海の世界は、まあまあだった。

 でも、楽しかった。


 ないはずの心臓がキリリと痛む。張り裂けそうな程痛む。それは病気のそれとは違う、もっと鋭利な痛みだった。

 閉じた視界の中、僕の両親と恋人と友人の声が聞こえる。


 最愛の僕の両親よ。

 僕のわがままを聞いてくれてありがとう。

 僕はとても楽しかった。これこそが人生なのだと、僕はとても満ち足りていた。

 『行かないで』という今生の願いを聞いてあげられないことは心残りだけれど、最後の最期、今まで恥ずかしくて言えなかったことを伝えられてよかった。父さんと母さんのことを、僕も愛しているよ。


 最愛の僕の恋人よ。

 僕の心を奪えなかったと泣くことはない。

 僕のこの痛みをキミに味わわせることがなくて、本当に良かったと思う。

 キミは痛みなんて知らなくていいんだ。キミは、僕以外の誰かと幸せになる。それには、あの痛みはあまりに大き過ぎる。どうか幸せになって欲しい。


 そして、最低な僕の友人よ。

 まんまとしてやれたよ。

 キミは文字通り、僕の心臓を背負いながらこの後の人生を謳歌するといい。僕の分まで、心臓をドキドキさせるんだ。

 そして最後、キミが死ぬときは僕が心を奪ってやろう。

 キミの心が、切なさと哀しみで引きちぎられないように。


 fin

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