呪術

韮崎旭

呪術

 園田紫苑。その最悪に冗談のような名前は母親がつけた。当時読んでいたヤングアダルトの小説に影響を受けたのか、しゃれた名前だとでも考えたのか真相は不明だ。この世は呪いに満ちている。例えば紫苑の名前とか。生活を憎んだ。

 紫苑が気分を悪くするのは、深夜帯、生活圏内、スーパーマーケットでの食料品や生活物資の購入、日の光、などに曝露されたときが例として挙げられる。もうこれ以上「生活」することはできないと考える。「生活」自身の呪いにより、またそれを経由した、より強い、母親という呪いにより。簡単なミームだろう。母親、呪い、快適な家庭。なされなかった理想の肩代わり。ここに摂食障害などを持ち出し、さらにさらに母性を含んだ女性性の拒否を含むことで、母親とのアンビバレントな関係性の表現としての、死への傾倒と食への葛藤が表れる。めでたし。紫苑は全くめでたくなかった。

 まず自身の感覚が信用できない。生まれてこのかたおいしいものをまれに食べ、大半は不味いものを食べてきたから、食料品の味が分からない。「おいしい」食事は「ぜいたく品」であり、「外食」は「ぜいたく品」であり、「趣味」は「ぜいたく品」であり、「実用的でない衣類」はぜいたく品であると「教育」された。それが、彼女の母親の、幸福な、役割の達成であるからして、彼女は教育者たらんとし、また、その、職業としては挫折した願望を、終わらせることが不可能な契約関係では済まない家族内関係でかなえようとした。彼女は一時期、教員だった。(教員として、職業的な教育をできない人間が、一人間の全人格にかかわるような教育というより重い課題を引き受ける、それも進んで引き受けるべきではないのではないか?)だが、そう遅からずそれをやめた。そして結婚し、そして堕胎を怠った。きっと、「これが最後の子供を持つチャンスだから」と考えたのではないか。最悪なことに。

教育はあくまで定式化された再生産可能な科学であるはずだから、そこに手前のねばりつくような感情を持ち込まないでくれ、そこの人間。


 紫苑はまた、食事をしないと具合が悪くなる時期に自分がいることを、鬱状態から確認する。日に2度の抗うつ薬の服用は、身体症状のひどさに阻害されていた。抑うつに始まり、頭痛、腹痛、体が水をため込むような、しかし医学的に病的なむくみではないなにか、機能不全な正解。どこにも行けなくなるのだ。不具合に不具を重ね合わせたような劣悪な身体の在り方はあきらかに生きることを困難にする。常に問う。「これほどの手間をかけて、自分をだまし続けて維持する価値が、私の生存にあるものか?」複合的な不具合が、紫苑の持つところの困難であり、それはあきらかに複数の診療科に、相互作用を複雑に起こしながらわたっていた。紫苑は買ってきたチーズをかじりながら、二度と小麦粉を使ったカレーなんて死ぬほど食べたくない、アンチ母親の家庭料理過激派なので、と独り言を言う。小麦粉に罪はなく、カレーにも、罪はない。カレーがまずいのはカレーのせいではなく、製作者のせいだし、いかようにも使いうる材料を不味い料理へと加工するという形で台無しにする人間こそが科を負うべきものだ。小麦粉を使ったカレーにも食べやすいものはありそうなのだが、カレールーなどから作られる、日本家庭料理的カレーライス(べちゃべちゃとねばりつく米は、炊飯時の水が多すぎたし、カレーは粉っぽい)には大抵小麦粉が入っているから、こういえば、紫苑は考える、彼女の母親はカレーを供することができないと。


『なぜ、嫌いであるにもかかわらず調理をするのか。大変だといいながら生存するのか。誰への怨恨がそのような自傷的復讐にそれ;紫苑の母親を駆り立てるのか。なぜ、生活が強いられているのであれば自殺しないのか。なぜ養育費に対して被・養育者に愚痴を言いながら養育を続けるのか。三歳児がかわいいのに保育士免許は取らないのか。三歳児は愛玩動物か。お前の紫苑は愛玩動物か。お前は家畜なのか。生きるのがたいへんだから調理をいい加減に済ませていいのか。生きることは調理に優先するのか。くそ不味い合成食パンを無理に食べてまで行う価値が生存にあるか。生存は拷問だ。拷問に何を見るか。なぜ、金がかかると嘆くのであれば、金がかからない、「子を持たない」選択をしないのか。なぜ、大変な生活を故意に続けるのか。教育学部に行く意志はあったのか。目的意識はあるか。生物学に関心はあるか。最悪の事態を想定しているか。やさしさだけで人間を左右できると思うか。馬鹿な女のふりは楽しいか。自身がたいそう学んだであろう生の「大変」さをなぜ、存在しなくてもいい人間に、それをわざわざ存在させてまで押し付けたか。貴様の呪詛の跡継ぎか。いまからでも遅くないから無理心中しようとは考えないのか。悲惨な未来を語って何がしたいのか?』


 そういう怨嗟が、小麦粉たっぷりに思えるざらざらしたカレールーと、吐瀉物のように水気の多いべちゃべちゃ下不味いコメ、やさしさと軽薄さと悪辣がにじむオノマトペでいっぱいの、いやむしろオノマトペで窒息しそうな無内容な発話が作り出す悪環境に重なる。飽和する。生活。息ができない。スーパーマーケット。食べ物の味が分からない。味覚がおかしいのだろうか?

 アンチ母親の家庭料理過激派としては、できるだけそれと異なる料理を行いたい。しかし、母親の料理を再現することも、母親の料理と意図的に描け放して調理をすることも、母親の支配に包摂されていることのそれぞれ異なる表現型でしかない。幼児のように話し続ける母親は、昔からこうであったのか、よくこんな人間とともにいて気が狂わなかったと紫苑は思うものだが、以前は学校といえを往復する生活でいえでは予習と試験勉強と食事と入浴と睡眠くらいのことしか行わなかったから、気がつかなかったのだろう、ああなんと幸福な……。そう思う。だからといって、アンチ母親の家庭料理過激派がいまさら呪いを見知らぬころには戻れず、それは死人のように水気を多く含んだ様態で膨らんだ、手がつかんでいるようにどんな時間でも、想起として紫苑に頭痛やめまい、耳鳴り、嘔吐などを引き起こす。なんと憎らしい体を持ってしまったことか……。

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