開拓

スヴェータ

開拓

 一面の銀世界。そう言えば聞こえが良いが、この地には雪しかない。橇で進む。行き先を見失いそうだ。目印はなく、雲間からの光を雪が反してぼんやりと明るい。この地は、ただそれだけの世界に思えた。


 シショルにとってこれは好都合だった。これからこの地に街を作る。祖国、大ゼレロイカ帝国の領土を広げる第一歩。余計な障害はない方が良い。まずはある程度探検し、開拓を進めることとなっていた。


 ひたすらに橇を走らせていると、頼りない木材を寄せ集めたような家が立ち並ぶ集落を見つけた。先住民の村だ。祖国とも貿易を行っていたと聞くが、シショルはずっと南の出身で、この北国の事情に詳しくなかった。


 銃と、ピンを抜いて投げれば5秒で爆発する爆弾を握りしめ、シショルたち開拓団は集落へ近付く。食事時だったか、何やら良い匂いがした。歌声が聞こえる。女たちが働く音。掛け声のようなものが歌の合間にかかると、カンッカンッと木のぶつかるような音がした。


 恐る恐る、しかし何かあれば殺してやろうという気持ちで、集落に足を踏み入れる。すると、1人の老婆が何やら分からない言葉でニコニコと話し始めた。敵意はないらしいが、歓迎というのも不気味。訝しげにしていたが、あれよあれよという間に1番奥の大きな家へと案内された。


 家に入って最初に目に入ったのは、開拓先遣隊の者たちだった。10人送り込んだうちの、3人。彼らはこの家でくつろいでおり、先程した良い匂いの正体と見える汁物を食べている最中だった。


「お前たち、何をしている」


「これはこれは、シショル分団長」


 先遣隊の3人は、シショルの姿を見るなり椀を置き、スッと立った。その傍で老婆が汁物をよそい始めている。張り詰めた空気。家に響くのは、老婆が椀に汁物をよそう音だけだった。


「我々は吹雪に見舞われ、他の7人とはぐれました。方角も見失い、雪原の中野営することも叶わず、死を待つばかりというところをこの方たちに助けていただきました」


 先遣隊の男は笑顔を見せつつ話す。シショルはそれを良く思わなかったから、努めて厳しい言い方をした。


「それはいつの話だ」


「3日ほど前です」


「なぜ吹雪は止み、既に回復した様子なのにまだここにいる」


「それは……」


「仕事を忘れたわけではないな。早く荷物をまとめろ。まだ先まで調査しなければ」


 その声で、先遣隊の3人は部屋の隅に置いていた荷物を取りに背を向けた。それを見ていると、シショルたち開拓団に老婆が汁物を差し出した。いらない、と断ったが、どうにも通じない。ただ分からない言葉を添えて差し出されるばかりだ。


 仕方なくシショルはその汁物を受け取り、ひと啜りした。するとどうだろう。シショルがこれまで口にしたどの汁物よりも美味ではないか。この辺りで獲れたらしい魚介類に、この雪の中どうやって手に入れたか葉物野菜まで。シショルは思わず椀から顔を離し、しげしげと観察した。


 シショルに倣って他の開拓団の者たちも汁物を啜る。途端、あちこちから「美味い」と声が上がった。先遣隊の者たちはその様子を見て、自分たちもこれに夢中で腰を上げられなかったのだと白状した。やはりシショルはそれを良く思わなかったが、納得せざるを得ない味だった。


「せっかく作ってくれたのだから、その鍋が空になるまでなら良いだろう。この先、食料には困るかもしれない。ここで1食済ませておこう」


 こうシショルが決定すると、先遣隊の者たちも、残りの開拓団の者たちも、皆が大喜びした。鍋のある囲炉裏のようなものを囲んで皆がわらわらと座り出すと、老婆は喜んで他の女たちを呼んだ。こうして大宴会が始まった。


 汁物だけではなく、魚卵混じりの漬物や、彼らが独自に作ったであろう白く濁った酒も振舞われた。鍋が空になるまでいるつもりだったのに、鍋の中身は一向に減らない。どうやら知らぬ間に継ぎ足されているようだった。


 これは良くないことなのだろう。シショルは酔い心地でそう思った。しかしもはやどうでも良い気もした。外に出れば雪原。無の世界。しかしここには美味い食べ物、美味い酒、温かい人たち。何でもあるように思えた。


 しばらく経って服が臭ってくると、女たちが着替えを持って来た。開拓者たちは元々着ていた服の洗濯を頼み、先住民の服に着替えた。温かく、動きやすい。実に着心地が良かったから、洗濯が済んでも着替え直さなかった。


 またさらにしばらく経つと、あまりもてなされてばかりなのも申し訳ないと思った開拓者たちは、先住民の手伝いをするようになった。ある者は狩猟を教わり、またある者は道具作りを教わった。シショルはもう、これらを「良くないこと」とは思わなかった。


 祖国の言葉はあっという間に忘れた。代わりに先住民の言葉をすっかり覚えてしまった。祖国を「隣国」と何度か言った。他国民が言うように、単に「ゼレロイカ」とも。シショルはこの地で生まれ育ったような気さえしていた。


 妙な嫌悪感があったから、持って来た荷物のほとんどは処分した。残したものは、武器と双眼鏡。これは狩猟でも使えるため手元に残したのだ。他の地図や衣類、「開拓団」と印字されたリュックや飯盒などは、全て捨てた。


 そんな中、当初の目的を覚えている者もいた。シショルの右腕、カロレウス。ひと月ほどは皆と同様に馴染んでいたが、ある夜中に頭を殴られたような衝撃が走り、全てを思い出したのだ。カロレウスは密かに外部との通信を試み、この状況を詳らかに説明しようとしていた。


 その姿をシショルは農具小屋で発見した。カロレウスは血の気を引かせた後、今度はカッと上らせ、シショルに向かって祖国の言葉で怒鳴った。


「我々は何をしに来たとお思いか!祖国の繁栄のため!祖国に住まう家族の幸せのためにここへ来たのではないか!ここで先住民のように暮らしていて良い訳がない!開拓団第3分団長!あなたの使命をお忘れか!」


 言い終わるや否や、カロレウスは右に避けた。シショルが鍬に似た農具を振り下ろしたのだ。木のバケツが積まれた先へ飛び込み、それを投げつつ逃げ惑う。カロレウスは荷物の全てを捨てずにいたから、爆弾を手に取り火を点けようとした。


 しかし寒さと焦りでマッチがうまく擦れず、またライターはポケットにあるというのにすっかり忘れ、いつまでも点火できずにいた。その間に何度も振り下ろされる鍬。結局、カロレウスは顔のど真ん中、鼻のあたりをザックリと刺されてしまった。


 悶え苦しむ中最期に聞いたのは、シショルが呻くように呟いた「ソネイレ フィチ "カイタク" 」だった。開拓を許すな。カロレウスはこの言葉を理解できたから、絶望の中息絶えた。


 まだほとんど真っ白だった地図は、カロレウスの血で赤く染まった。シショルはそれを物珍しそうに眺めた後、丸めてカロレウスの口に突っ込んだ。そのままズルズルと引き摺って外へ出ると、その姿を見た先住民とも元開拓団の者とも分からぬ者に褒め称えられた。


 その日の晩はカロレウスがこの地を彷徨わないよう送る儀式をした。それはつい先日、シショルの妻が懐妊した時の祝いとは違って厳かな雰囲気だった。カロレウスの入った棺が燃える。それを囲い、女たちが踊る。男はそれを少し離れたところから眺めつつ歌う。煙が天まで昇り、元々白い世界がさらに白く、ぼんやりとした。


 儀式の終わりに、シショルは自分が育てた葉物野菜をカロレウスの灰の上に置いた。香りが良く、青々としている。栽培小屋で作られており、寒冷な気候において細やかな気配りが必要であることから、管理に優れたシショルがこの栽培を任されていたのだ。


 あの時の汁物と漬物で食べて以来、シショルたちはそれを口にしていなかった。これは出会いと別れの時だけの、特別なものなのだ。久々にそのにおいを嗅いだ元開拓団の者たちは、恍惚とした表情を浮かべた。


 ここは未だ、先住民の地。どこの国も開拓を成し得ておらず、また、先住民たちの勢力は衰えることがないという。

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