2

「おはよう。よく眠れた?」


その声で目が覚める。目を開くと、シルさんの顔が映る。


「おはようございます」


挨拶をして体を起こす。しかし、なぜか暗い。明朝の薄い暗さでは無い。不思議に思い空を見てみると月が浮かんでいる。夜だった。いくら朝早く出発すると言ってもこの時間では疑問を持たざるを得ない。ふと、また騙されたのかもしれないという考えがよぎる。理由を聞こうと改めてシルさんの顔を見ると、目が合った。


「なあに?」


そう言ってシルさんは微笑みを浮かべながら首を傾げる。


「こんな時間から、出発、するんですか?」


「ちがうよ。」


シルさんはそう言うと、僕の顔を両手で包み、顔を近づける。そして


「キミを…食べるんだよ。」


と言って、僕の顔を覗き込む。あまりの近さに青色の目の虹彩の線の一本一本まで見える。体が固まる。冷や汗がだらだらと流れる。

シルさんは口を大きく開き、舌を僕の腕に絡めた。シルさんの生暖かい息が流れてくる。ゆっくりと僕の腕を口の中へ引き込んでいく。口の中はとても熱い。唾液と柔らかい舌のざらざらとした感触が気持ち悪い。肘関節が硬いもので挟まれた。シルさんの歯だ。ゆっくりと力が加わる。嫌な音がした。と同時に二の腕から先の感覚が失われた。だが不思議なことに痛みは全くない。シルさんの口の中で骨の折れる音と肉の潰れる音がする。そして飲み込む音。シルさんがまた口を開けると、血生臭い息が流れて来る。ただでさえ赤かった口内がさらに赤赤としているように見える。


「痛い?苦しまないようにしてあげるね。」


シルさんはそう囁いた。口が大きく開くと、顔に迫ってくる。赤みを増した舌が首筋にべたりとくっつき、顎から頬にかけてゆっくりと舐められる。その時、声がした。


「大丈夫ですか?」


シルさんの声だった。今声を出せるはずはないのに。体が揺すられる感覚もある。


「そんなに寝心地悪かったですか?」


またシルさんの声がした。寝心地?今僕を食べようとしているのに、そもそも声はどこから聞こえてくるのだろうか。さらに激しく体が揺さぶられる。だんだん景色が暗くなり真っ暗になったかと思うと、今度はじわじわと明るくなる。


いつの間にか目をつぶっていた。目を開く。太陽の光が差し込んでくる。そしてシルさんの顔が映る。しかし、先程と違い、心配そうな顔をしている。


「あの、うなされていましたけど、大丈夫ですか?」


うなされていた…。さっき聞こえた寝心地という言葉を思い出し、今まで寝ていたのだと気づく。幸いにも食べられていなかった。


「はい、だ、大丈夫、です。」


まだ少し状況を理解出来ていないまま、なんとか答える。あれが夢だったとはいえ、一度見てしまえば正夢になる可能性を考えてしまう。これがただの人ならば気のせいだと思えるが、巨人相手では体格差という理由がある以上食べられそうになっても抗えはしない。その上、巨人が人を食べるという噂は、都市伝説のような扱いをされているとはいえ存在しているのだから。


「悪夢でも見ていたんですか?出発はもう少し落ち着いてからにしますから、まずは朝ごはんでも食べながらゆっくりしましょう。」


シルさんは優しい声でそう言うと彼女の大きなリュックの中をがさごそとあさり、朝食の準備をし始めた。こんなに優しいのに、人を食べるかもしれないと考えてしまう。いや、むしろ、あまりに優しすぎるからこそ不審に思ってしまうのだろう。起きてからずっと、ぐるぐると頭の中でこねくり回しても気のせいだと思うことが出来ない。

一人で静かに脳内格闘を繰り広げていると、いつの間にか朝食の用意が出来ていた。干し肉で出汁を取ったスープ、パン、干しブドウ。干し肉のスープの美味しそうな匂いを嗅ぐと、食欲がそそられ、なんだか少し目が覚めた。なんにせよ、せっかくの朝食が冷めてしまうのは勿体ない。食べてから、今後どうするか考えればいいだろう。


「さ、出来ましたよ。食べましょ食べましょ」


「ありがとうございます。いただきます。」





さて、朝食を済ませてから数時間が経った。僕は今、人間運搬用の籠の中にいる。巨人の中には、その巨体と歩幅を活かして人間の運搬を仕事にする者がいるのだが、どうやらシルさんも旅の傍らその仕事をしているらしい。せっかくだからと僕のために籠を使ってくれた。これで無銭飲食だけでなく無銭利用も加わったというわけだ。だが、籠に乗ることなど滅多にないし、優しさに甘えて楽しませてもらうことにした。

籠は長方形で、背負って使用するらしい。中は、人が一人から二人ほど入れそうな広さで、座面にはクッションが一つ。そして僕ら人間は、そこに腰かけ、巨人と背中合わせのような形になる。さらに籠の背中側上方は四角形の窓があり、そこを通じて巨人と話せるようになっている。

中々に縦揺れが激しいが、馬車などと違って獣臭はしないし、それどころかシルさんの香水の甘い匂いのおかげで快適な空間となっている。僕を籠に乗せる時に「運搬屋シルはムスクの香水を使っております。甘い香りをお楽しみください〜。」と言っていたし、自慢なのかもしれない。しかし、女性らしい香りに包まれるため、僕のような人間は少々落ち着かなくなってしまう。


「ハクアさん、乗り心地はどうですか?」

「あ、すごく、快適です。ありがとうございます。」

「良かった。悪夢のせいであんまり気分が優れないみたいだし、さらに気分を悪くさせたらどうしようかなって心配だったんですよ。」


心配するシルさんの声はとても優しい。香りと心地よい揺れも相まって、少し穏やかな気分になる。やはり悪夢のことは気にしなくてもいいかもしれない。緊張してよく眠れなかったのだろう。


「心配かけて、すみません…。」

「全然気にしてないですから大丈夫ですよ!それより、どんな悪夢を見たんですか?」


身体がこわばり、先程までの安心が一瞬で消え去る。ありのままに話したら一体どうなるだろうか。「シルさんに食べられる夢を見ました」と。本人は決して良い気はしないだろう。怒らせてしまったらどうなるだろうか。今は優しい演技をしているだけで本当は僕を食べるつもりなら、容赦なくすぐに食べられてしまうかもしれない。


「あの、そんなに話せないくらい嫌な夢でしたか?すみません…。ちょっと無神経でしたね。」

「いや、その、そういうわけでは」


上手い言い訳が見つからない。いっそのこと、トラウマになるほどの内容を見たと言ってしまえばよかったが、僕はなぜ否定してしまったんだろうか。


「じゃあ、私に話しにくい夢だったとか、ですか?」


言葉が見つからないまま黙っていると、シルさんが少し悲しそうな声で言った。背筋が冷えた。たまたまそう思っただけだろうか。しかし、それならば、なぜ声に悲しさを感じるのだろう。もしかして、僕が見た夢を、知っているのだろうか。また頭の中がややこしくなる。


「変な話なんですけどね、私の悪夢を見る人間、結構いるんです。殺されたとか、さらわれたとか、あと、食べられたとか。だから、もしそんな夢を見たなら気を遣わなくても大丈夫ですよ。慣れて、ますから。」


全然、慣れている人の声じゃない。シルさんの寂しそうな声に胸が少し痛くなる。こればかりは演技で出せる声ではないと思う。不安は残るが、こんなにも寂しそうな人のことをまだ疑うというのは、僕の良心が痛む。そもそも考えてみれば、ここでもしシルさんに食べられなかったとしても、シルさんに見捨てられれば僕は餓死してしまうかもしれないんだ。縋るしかないのなら、信用するのがせめてもの態度というものでは無いだろうか。そう思い直すと、頭の中でぐるぐると巡っている考えも落ち着いた。


「すみません。実を、 言うと、その…食べられる夢を、見たんです。でも、シルさんは優しいから、大丈夫です。そんなことはしない、って、思ってます。けど、さすがに、本人には、食べられる夢を見たって、言いにくくて…。」


嘘をついてボロが出てしまうのは困るため正直に伝えたが、傷つけてしまわないだろうか。それにしても、人見知りがまだ治らない。言葉がぶつ切りで、話すのが苦手だということをでかでかと看板に書いて歩いているようなものだ。


「ハクアさん、私の悪夢を見ても大丈夫だって言ってくれた人間、初めてですよ。いままで怖がられてきたから、すごく嬉しいです。」


シルさんはそう言うとえへへと笑った。怖がった人間の気持ちは分かるが、今までずっと怖がられて生きてきたということを想像するとまた胸が痛む。僕も怖がった人間の一人だが、何もしていない相手を怖がるということを、仕方ないという言葉で割り切りたくはない。シルさんを信用するという選択は正解だったと思う。僕は「よかったです」と一言言うと、籠にもたれて体の力を抜いた。空を見上げながら、籠の揺れを楽しむ。背面からかすかに聞こえるシルさんの心音は早かったような気がした。


眠ってしまっていたらしい。いつの間にか地面に寝転がっていた。籠に乗っていないということは、もう目的地に着いたのだろうか。視界にはシルさんの姿がない。寝返りを打ち反対側を見ると、シルさんが寝ていた。眼前にシルさんの顔がある。小さく驚きの声を漏らしてしまった。それに反応してシルさんの目が開いた。またあの大きな目と目が合う。虹彩の線の一本一本まで見える。悪夢のことを思い出してしまう。シルさんの口が開く。


「よく眠れました?」


穏やかな笑みを浮かべたシルさんが言う。とても優しい声だった。声に姿があったなら、きっと朝霧のようだろうと感じた。しかし、僕は、悪夢と同じようにシルさんの口が動いた瞬間に、体をびくつかせてしまった。


「あ、すみません…。私の悪夢、見たんですもんね。ごめんなさい。怖がらせちゃって。離れた方がいいですよね。ごめんなさい。」

「いや、あの、大丈夫です!大丈夫ですから!び、びっくりしただけ、です…。」


悲しそうな目で何度も謝るシルさんの姿に、無意識の行動とはいえ罪悪感を感じた。慌てて体を起こし、大丈夫だと伝えるも、シルさんは優しく笑うだけだった。


「ハクアさんが寝てたから、ちょっとだけ休憩しようと思って休んでたんですけど、早く街に着く方がいいですよね。すみません。ハクアさんも目が覚めた事だし、もう、出発しましょうか。」

「ま、まってください。謝るのは、僕の方です。運んでもらってるのに、寝ちゃって、しかも、こんな、嫌な思い、させてしまって…。すみません。」

「いいですよ。ハクアさんが寝ちゃったのは、寝不足だったからですし、その原因は私の悪夢です 。それに嫌な思いだなんて、ハクアさんに怖い思いをさせたんだから当たり前だと思ってますよ。」

「そ、そんな、悪夢なんて、僕が勝手に見ただけだし、どんな理由があっても、た、助けてくれる人のことを、怖がるなんて、失礼、じゃないですか。だから、シルさんは、悪くないですから、大丈夫です。」


僕が食い下がったせいなのか、シルさんが僕のことをじっと見つめる。いきなり見つめられたため、人見知りの僕はどぎまぎしてしまう。こんなに真っ直ぐな視線には慣れていない。すると、シルさんは少しにやけた。


「ちょっと拗ねちゃってすみませんでした。言葉がたどたどしかったり、そんなに挙動不審で怖がってるのバレバレなのにそれでも大丈夫って言ってくれるなんて優しいですね。たとえ嘘でも、大丈夫って言って貰えると嬉しいです。ありがとうございます。」


僕はきょとんとしてシルさんのことを見たまま固まった。シルさんは僕のことを見て首を傾げる。


「え…どう…しました?私、何か変なこと言いましたか?」

「いや、その、悪夢を見た時と、さっき起きた時は、怖かったのは、事実なんですけど、その、たどたどしい、とか、挙動不審、とかは、あの、人見知りで、話すのが苦手だから、なんです…。」


シルさんの目が点になる。とても意外だったみたいだ。少しの間シルさんが固まったが、ハッとした表情を見せると笑いだした。


「なーんだ。そうだったんだ。勘違いだったのか。あっ、じゃあ私めちゃくちゃ面倒くさいことしちゃいましたね!拗ねちゃってごめんなさい。」

「だ、大丈夫ですよ」


シルさんが僕を見てにこにこと笑っている。声もとても明るい色になった。


「すっきりした!すっきりしすぎて元気出ちゃった!早く出発しましょう!」


そう言うとシルさんは立ち上がってのびをした。すごく大きい。見上げるとそれ以外の感想が出ない。シルさんは長く息を吐くとまた籠を準備し始めた。その時、小さな声で「かわいいなぁ」と言ったのが聞こえたが、籠に何か愛着でもあるのだろうか。


「ほらほら、準備出来ましたよ。乗ってください。」


シルさんに促されるまま籠に乗ると、すぐさまシルさんは立ち上がる。急上昇。この時の、内蔵が上空へ放り投げられるような感覚に慣れない。シルさんが歩き始めるとまた心地よい揺れが始まる。今度は眠らないようにしよう。夜に眠れなくなるのはまずい。


気を取り直して歩き出してから─正確にはシルさんに運んでもらってから─しばらく経った。居心地の悪いくらいの静かさになってきた。シルさんは何も話さなくても気にならないだろうか。これ以上、失礼なやつだと思われてはいけない。そう考えていると、シルさんが口を開いた。


「そういえば、ハクアさんは、どうして旅をしているんですか?」


やっぱり、シルさんには人間の心を読む能力でもあるんじゃないだろうか。こんなにタイミングよく話を始めるなんて。


「僕の村では、白い髪の人間が生まれて、その人間が成人したら、守り神様の所へ、挨拶しに行く習慣があって、ですね、僕は白髪だから、それに選ばれて、だから、守り神様の所へ行く途中なんです。」

「ふむふむ。不思議な習慣ですね。その守り神様って、どこにいるんですか?」

「それは、分からないです…。"ミャ様"という名前だけ、聞かされていて、あとは自分で探せと言われて、いるんです。」

「えっ!なんて…投げやりな…。大変ですね。ハクアさんはその旅を始めてからどれくらい経ったんですか?」


自分で話しながらも、旅の適当さ加減には少しうんざりする。そもそも素直に旅に出る方がおかしい。しかし、僕はタダで旅の資金をもらえるならと思って、快諾してしまったのだ。ずっと村の外に憧れがあったのだから仕方ない、というのは、言い訳か…。


「えっと、まだ、一週間と、二日です。だから、目的地の情報も、何も無くて、全然分からないです。」

「まだ九日?!ってことは、もしかして、まだ旅の仕方とか全然知らないんじゃないですか?今までどうやって過ごしてたんですか?」

「全然知らないです。何も教えられなかったし、今までは、村長から貰った、旅の資金で、宿に泊まったりしていたので。でも、お金を盗まれたり、詐欺にあったりして…。それで困ってる時に、シルさんに会ったので、野宿とかも、その、まだしたことないです。」

「ふーん。なるほどなるほど。本当にハクアくんのこと助けてよかったなぁ。野宿の仕方も知らないでいたら死んじゃってたよ。

もう心配すぎるからさ、街に着いてからもしばらくはお姉さんが旅のことを色々教えてあげるよ!」


そう言うとシルさんはふふふと笑った。本当にその通りだ。助けてもらわなかったら餓死もありえた。シルさんの口ぶりからするに、餓死以前に何か野獣や盗賊なんかに襲われて死んでいたかもしれない。シルさんには感謝してもしたりないくらいなのに、それだけでなく、街でも面倒を見てくれるというのは、優しすぎる。不自然さすら感じるほど。しかし、ずっと怖がられていたというし、人間と関われるのが楽しかったりするのだろうか。


「そ、そんな、そこまで、してもらうのは、申し訳ないです。ちゃんと自分で、働いて、どうにかするので。大丈夫、です。」

「何言ってるの?そんなに人見知り激しいのに、ちゃんと働けるの?街の人間って結構商売人が多いから血気盛んだったりするし、君みたいな麦穂もどきの人間はあっという間にゴツゴツの男達にもみくちゃにされちゃうぞ〜。大丈夫かなぁ?」


シルさんはいたずらっぽく言う。いつの間にかシルさんが敬語を使わなくなっている。僕が年下だと分かったからだろう。しかし、麦穂もどきと表現されたのは初めてだ。しかも、ゴツゴツの男たちにもみくちゃにされるなんて、それは、人見知りで怖がりな僕に言う話じゃないのではないか。余計に怖くなる。


「む、麦穂もどき…。さすがに、そこまで面倒を見てもらうわけには、いかないです。多分、大丈夫です。」

「本当かな?お姉さんはどうなっても知らないよ。まあいい経験にはなるだろうけどね。」


シルさんがいかにもお姉さんらしく、優しい口調で言った。口ではそう言っても、本当はとても怖い。シルさんの言う通りいい経験にはなる。でも、それでも怖いものは怖い。殴られたりしないだろうか。本当にお金を稼げるのだろうか。でも、やるしかないのが現実だ。


「はい…。そんなに、面倒をみてもらってたら、これから先、旅をやっていけないので。」

「そっか。それなりに気持ちは強いみたいだね。」


シルさんが安心したように笑ったと思うと、突然「あっ!」と言って歩くのを止めたため、籠の背面に頭をぶつけてしまった。


「ちょっと待って!私ハクアくんが年下だって分かってから、いつの間にか敬語使ってないし、くんづけで読んでるけど、大丈夫…ですか?」

「えっ、そんなの、大丈夫ですよ。何も、気にしないです。」


そんなことを気にしていたのかと、むしろこちらが驚いてしまう。巨人は僕ら人間の四倍の寿命で、同年代に見える年齢なら確実に年下であるのだから、気にする必要がないのに。


「あ、よかった。年下って可愛くてついついお姉さんぶってしまうんだよね。頼られるときゅんきゅんしちゃうというか、あ〜〜もうお姉さんを存分に頼って!みたいな。だからハクアくんはお姉さんに存分に甘えてくれていいんだよ!」


テンションが上がったのか、声が明るくなり、ついでに籠の縦揺れも大きくなる。僕は頼りになる人に出会ったのかもしれない。いや、かもしれないではなく、現在こんなに助けて貰っている。次の街までは僕の命綱と言っても過言ではない。


「ありがとうございます。頑張って、この恩は、返します。」

「あぁもう!お姉さんはその気持ちだけで嬉しいよ〜!」


シルさんはそう言うと、本当に嬉しかったのか無邪気に笑いながら突然走り出した。籠にしがみついていないと落ちそうなくらい激しく揺れる。さすがにこの高さでは、恐怖心が強くなる。息が早くなる。心臓はバクバクと音をたてて、握りつぶされているのではないかというくらいきゅっと縮んだ。


「あっ。ごめん。ごめんね。思わず走っちゃった。怪我してない?大丈夫?」

「だ、大丈夫、です。」


おろおろとしている姿が思い浮かぶほど不安気な声。最初は落ち着いた人かと思っていたが、予想以上に気持ちが揺れやすい人なのかもしれない。芸術家は変人が多いと聞くが、その類だろうか。それにしても、この高さから落ちたら捻挫くらいはしそうだし、やめてほしい。怖い。


「ハクアくん、本当に嘘が下手だね…。めっちゃくちゃ怖がってるのバレバレな声だよ。震えてるし。お詫びに今日の夜ご飯で私の分の干し肉ひとつあげるよ。」

「い、いや、人見知りだから、ですよ。全く、大丈夫、です、から。」

「そ、そんなわけないじゃん!そんなに震えきった声で強がり言われても面白すぎるよ!」


精一杯抑えていたのだが、無駄だったようだ。バレバレだった。人見知りでは隠しきれなかった。その上笑われた。笑い声に合わせて籠が揺れる。無意識かもしれないがお願いだからこれ以上籠を揺らして恐怖心を煽らないでくれ。


「怖がらせちゃってごめんね。人間とこんなに話せるの嬉しすぎてさ、ハクアくんとお話してるとまたテンション上がっちゃって怖がらせちゃいそうだから、夜ご飯までお話するの我慢するよ。何かあったらいつでも声かけてね。」


シルさんはそう言うと黙った。さすがにそこまではしなくてもいいのだが、正直またシルさんに走られると困るのも事実。僕は素直に感謝した。そして、籠の背面にもたれて、流れていく景色を眺め始めた。

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海の娘と旅をした。 雨降空(アマブリ クウ) @llskull

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