遠くでサイレンの音が鳴っている
明里 好奇
遠くでサイレンの音が鳴っている
遠くでサイレンの音が鳴っている。
ねえ、同じその唇で私を愛しているなんて言ったの?
あの女にも同じことを言って、ねえその指で体で慰めてきたんでしょう? ねえ、一体どう思っていたの? だませているとでも思っていた?
浅ましいったらないわ。舐めてんじゃないよ。
男をその気にさせて、拘束するなんてとても簡単だった。男が自慢していた「妻が買ってくれたネクタイなんだ」それに自由を奪われるなんて、本望でしょう?
あなたは都合の良い時だけ私の元にやってくる。ああそう、きっと今日は忙しいのよ。だって平日だもの。馬鹿ね奥さんにばれてないとでも思ってるの。バカじゃない? 私もそうだろうけど。用意しておいた市販の睡眠薬をカフェオレの中に入れておく。犯罪だって? わかっているわそんなこと。全てのリスクは理解している。
商売女だからって馬鹿にして、あんたは私を安く見積もったのね。馬鹿な人。さあ、次に目覚めたらあなたには私しかいないわ。
ああ、怯えた目で私を見ないで。愛していたんでしょう、砂の一粒くらい、私を少しは。
空の浴槽に怯えた男がこちらを見ている。後ろ手に縛って、ダクトテープを憎たらしい唇に貼った。これで浅ましい言葉も囁かないし、ついでに悲鳴も上げないわ。最高ね。
さあ、これが最後の口づけよ。優しくなんてしてあげない。食いちぎるように、奪い去ってやる。もうあんたには、必要ないだろうから。息を吸う必要も思考することも、必要なくなるの。私の手で、浴槽の底に沈めてあげるから。
握ったシャワーヘッドから、頭蓋が陥没してところどころやわらかい何かを殴打しているのが分かった。ああ、手の感触が疎ましい。こんなことで気が晴れるわけがない。かわいそうになんて思わない。しかし哀れだ。さんざん私を軽視してきた。嘲笑っていたのを知っている。この手が汚れるなら、同じこと。いっそ、ぐちゃぐちゃに壊してあげる。
着飾ってもあんなに追いかけたあなたはいない。アクセサリーを外して、ドレスも脱いだ。でたらめに踊る。人目も気にしない、今は私は自由。逃げたって無駄。あの人には家族が居た。ねえ、三日間も帰ってこない旦那が居たらそりゃあ通報するでしょう?
その人の通信履歴から、私のことはバレているだろうから、ああ、今は自由。これは私の腕、私の脚、私の体、それから私の心。
遠くでサイレンの音が鳴っている。
ねえ、同じその唇で私を愛しているなんて言ったの?
浅ましいったらないわ。怯えた目で私を見上げていたのを思い出す。
ダクトテープの隙間から許しを請うつもりだったの?
ああ、本当に馬鹿な人。
私が、あなたを浴槽の底に沈めたの。奥さんじゃなくて、私が。
あなたが囁いた愛を、疑いきれなかった女がよ。
ねえ、馬鹿みたいでしょう?
遠くでサイレンの音が鳴っている。
もう、届くことはないだろうけどね。
遠くでサイレンの音が鳴っている 明里 好奇 @kouki1328akesato
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます