鶴と亀が滑った

烏川 ハル

つるかめ算

   

「久しぶり。大きくなったわね」

 宅急便か何か、あるいは新聞の勧誘だろう。そう思ってドアを開けると、俺の部屋の前に立っていたのは、見たこともないような美人だった。


 つやつやと輝く長い黒髪が、赤いワンピースによく映える。

 裾は下品にならない程度に短く、また、上はノースリーブなので、すらりとした手脚が、これでもかというくらいに強調されていた。

 スレンダーな体型とは不釣り合いにならないような、適度に豊満なバスト。細いけれど華奢という印象は与えない、女性的なウエスト。肉付きの良い、思わず触りたくなるようなヒップ……。

 全体的に、とても大人な雰囲気の女性だった。

 しかし、よく顔を見ると、美しいだけでなく、はっきりとした若さがある。童顔というのとは違う。年相応の『若さ』だ。

 どう見ても学生ではないが、おそらく、大学生である俺と同じくらいの年齢なのだろう。


 最初に『見たこともないような美人』と思ってしまったが。

 第一声が「久しぶり」なのだから、知り合いのはずだ。もちろん、現在のではなく、遠い昔の知り合いだ。

 ずっと会っていなかった同級生だろうか?

 そんな俺の戸惑いを見て取ったようで、彼女はフフフと笑いながら、自己紹介する。

亀田かめだ鶴子つるこよ。……と言っても、私の名前なんて覚えてないでしょうけど」

「いや、覚えてる」

 反射的に、俺は、そう返していた。

 亀田鶴子。

 亀田という苗字は結構ありふれているし、鶴子という下の名前も、そこそこ珍しいけれど「いてもおかしくはない」という程度だろう。ところが、二つ合わさると、非常識のレベルが格段に跳ね上がる。

 いったい、どこの漫画のキャラクターだ。親は何を考えて、こんな命名をしたのか。

 昔はそんなことも思ったが、今になって考えてみると……。なるほど、こうやって「一度覚えたら忘れない」という強い印象を残すためだったのかもしれない。

 ただし、俺が彼女の名前を覚えていた理由は、その名前そのものの奇妙さだけではなかった。あれは、まだ俺が小学生の頃……。




 当時、小学校の低学年だったと思う。

 学校の帰り道、なんとなく、まっすぐ家に帰る気がしなくて。

 かといって、盛り場などに遊びに行く勇気もなくて。

 俺の足は、近所の河原へと向いていた。

 すると。

 同じく小学生らしい、女の子たちの歌声が聞こえてきた。

「これは……。『かごめかごめ』かな?」

 昔風の遊びをしているものだ、と微笑ましくなる。

 別に混ぜてもらおう、とは思わなかった。だが、見ているだけでも暇つぶしになるだろう。そう考えて、俺は、そちらへ近寄っていく。

 すると……。

 数人の女子が、手を繋いで踊っていた。その輪の中心には、しゃがみこんだ女の子。

 真ん中の子は、周りの子に代わる代わる蹴られて、ぐすぐすと泣いている。

 俺は「『かごめかごめ』って、いじめソングだったのか……」と、愕然となると同時に、

「こら! 何やってんだ! 蹴鞠けまりじゃないんだぞ!」

 そう叫びながら、その集団に駆け寄った。


 俺は物凄い剣幕だったのだろう。

 いじめ集団の女子たちは、俺という男子の迫力に気圧けおされて、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。

 一人その場に残されたのは、真ん中でイジメの対象となっていた子だ。

「君、大丈夫か? 怪我はないか?」

 俺の言葉に顔を上げた彼女は、涙でクシャクシャの表情だったが、それでも素朴な可愛らしさのある顔立ちだった。

 とはいえ、他の女子たちから妬まれるほどの美形にも見えない。むしろ、おかっぱに切り揃えた黒髪のせいもあって、こけしを彷彿とさせる少女だった。

 何故この子がいじめられていたのだろう、と何気なく考えていると、

「ありがとう。あなたは、私の浦島太郎サマね」

 そう言って、彼女はニッコリと笑う。

「普通、女の子ならば、こういう時は『私の王子サマ』って言うんじゃないかな……?」

 思わず口にしてしまうと、彼女は、いかにもおかしそうに笑い出した。

 俺は『泣いたカラスがもう笑う』という覚えたばかりの言葉を思い出し、これは良い兆候なのだろう、と判断する。

 しばらく笑った後、笑いが収まった彼女は、

「私の名前は、亀田鶴子。よろしくね、浦島太郎サマ」

 と、名乗った。

 ああ、なるほど。亀田だから『王子サマ』ではなく『浦島太郎サマ』なのか。もしかすると、変な名前だからという理由で、いじめられていたのだろうか……。

 俺がそんなことを思う間にも、彼女の自己紹介は続く。

 俺と同学年であること、一つ隣の学区域の小学校であること……。

 それらを告げられた頃には、俺も自然に自分のことを話しており、俺と彼女は友達になっていた。


 その後。

 何度か二人で遊んだような記憶もあるが、子供の頃の話だ。いつのまにか疎遠になり、それっきりになってしまった。

 そうして、すっかり忘れていたのだが……。




「高校時代の同級生に、あなたの小学校から来た、って子がいてね。小学校の同窓会名簿を入手して……」

 鶴子の言葉で、俺は、回想から現実に引き戻される。

「……そこから辿って、何人も連絡して回って。今頃になって、ようやく、あなたのところに辿り着いたのよ」

 うふっ、という感じで、口元に笑みを浮かべる鶴子。

「そうか。それは大変だったな……」

 そこで止めるのが普通なのに。

 思わず俺は、女性に対して口にしたこともないような言葉を続けていた。

「それにしても鶴子さん、綺麗になったね」

「あら、ありがとう。お世辞だとしても、嬉しいわ」

 まるで「言われ慣れている」と言わんばかりの対応だ。こうやってサラリと流してくれた方が、俺としてもありがたい。


 それよりも。

 俺の頭の中では、解答の出ない質問が、バターになるかのような勢いでぐるぐると回っていた。

 俺は鶴子と、このまま部屋の前で立ち話を続けるべきなのだろうか?

 それとも。

 一応、知り合いなのだから、部屋にあげるべき?

 でも、こんな美女が、俺のような男と、部屋で二人きりというのは……。それはそれで、問題あるよなあ? 長い間会っていないから互いの人間性もわからないし、もしかしたら『若い男女が部屋で二人きり』イコール『肉体関係』と考えるタイプかもしれないし……。というより、世間一般では、それが普通な気もするし……。

 昔話の『鶴の恩返し』では、どうだったっけ? 鶴が化けた美女を、主人公は、簡単に家に招いたんだっけ? ああ、あれは時代が違うから……。

 なまじ彼女の名前が『鶴子』なだけに、そんなことまで考えてしまう。


 そうやって逡巡する俺に対して。

「あの頃の私は、小さな子供だから無理だったけど……。大人になった今なら、あなたを竜宮城へ連れて行けるわ!」

 鶴子は、そう言い放った。

「え? 竜宮城?」

 先ほどまでの考えがあった俺は、

「『鶴子』だから『鶴の恩返し』……ではなくて?」

 そんな頓珍漢な言葉を口にしてしまった。

 だが、これに対しても鶴子は真面目に対応してくれる。

「あら! 私、あの時も言ったわよね? あなたは私の……」

「『浦島太郎サマ』だろ?」

 最後まで言わせずに、言葉を被せる俺。俺も少しくらいアピールしたかったのだ。何をアピールしたいのか、自分でもよくわかっていなかったが。

「まあ! 嬉しい! ちゃんと覚えていてくれたのね!」

 鶴子は、パッと顔を明るくして……。

 続いて。

 同世代とは思えぬほどの、妖艶な笑みを浮かべながら。

「ならば、話が早いわ。今から、私と一緒に来てくれないかしら?」




 そして。

 連れて行かれた先で。

 御馳走を並べられて、たらふく酒を飲まされて……。




 意識を取り戻した時。

 俺は、新宿の路地裏でゴミ袋を枕にして、一人で寝っ転がっていた。

 まるで喧嘩でもしたかのように、体のあちこちがズキズキと痛む。頭がガンガンするのは、二日酔いなのだろう。

 とりあえず、空の明るさから判断すると、もう朝のようだ。

 時間を確認しようと、腕時計に目をやると……。

「ない!」

 思わず叫んでしまった。

 大学に入学した記念として親からもらった、高価な腕時計。大学生には似つかわしくない、むしろヤクザやプロ野球選手の方がイメージに合いそうな腕時計。

 それが、なくなっている!

「まさか……」

 ふと気になってポケットを確認すると、財布もない。

 代わりに入っていたのは、一枚の紙切れ。

「これは……」

 手に取って眺めるうちに、だんだん記憶が蘇ってきた。


 亀田鶴子が、今はホステスとして働いていること。

 俺は昨日、彼女の同伴出勤に付き合わされたこと。

 指名料やら何やらで、法外な金額を要求されたこと。財布も時計も取り上げられたが、それでも足りずに、叩き出されたこと……。


 全てを思い出した俺は。

「……」

 キャバクラ『竜宮城』の請求書に書かれた数字を――信じられないような金額を――目にして。

 髪の毛が真っ白になるほどの恐怖を感じてしまい、しばらく、体が動かなかった。




(「鶴と亀が滑った」完)

   

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鶴と亀が滑った 烏川 ハル @haru_karasugawa

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