列車

あわい しき

琥珀の光はすべてを見ている。




「貴方の罪は何ですか?」


 そんな青年の言葉に、灰色のスーツを身に纏った男ははっとしたように周りを見渡し、改めて目の前の青年に視線を戻した。

 青年の瞳は列車の窓から差し込む燃えるような琥珀の光に照らされ黄金に光輝いていた。髪は赤く染まってはいるが、黒ではなく薄い色素を持つものだと分かった。

 肌は白くおよそ人間とは思えない、その容姿に男は、ほうけたような顔で青年を見ていた。

 青年がにこりと微笑みを返すと、男のそのとろけたような顔に、威厳が戻った。

「罪?ああ」

 男は青年の言葉を思い出し、そう返しながら間を置く。

 そして、少し考えたかと思うと、ふんと、馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

「そんなものとは生憎あいにく、無縁でね。悲しいことに私は悪いことをしたことがないんだ」

「すごいことですね。そんなに自信を持って答えられるなんて、どんなに素晴らしい人生を送ったのでしょうか」

 青年は素直に感嘆かんたんの声を上げたかと思うと、その細い指を持つ両手でぱちぱちと拍手をした。

 男は眉を曇らせ、青年を睨みつけていたが、視線を一瞬だけそらし深呼吸をした。

 そんな様子を青年は口許に笑みを讃えたまま見つめていた。


「貴女の故郷はどんなところですか?」

「さっきから藪から棒に何なんだ一体」

 男は苛立ったようにそう言うと、窓の外の景色を見つめた。

 そこには沈みかけたような光があった。景色は変わらず、水に映った琥珀の光が揺ら揺らと揺れている。

 列車は間欠的に小さく揺れた。リズムよく心地の良い感覚に、男はほう、小さく息をく。

「私の故郷は雪国で、内陸に位置した土地だったんだ」

 男は遠い故郷を思うように、優し気な笑みを浮かべながら語りだす。

「祖父がよく山に連れて行ってくれて、そこからいつも見た夕日はこんな風だった」

「自然に囲まれた生活をしていたんですね」

「まぁ、とはいってもそれは中学までだったがね」

 男はそういうと眼鏡をはずし、窓枠にそっと置いた。そして、窓際に肘を付き、頬を乗せながら列車の振動を全身で感じ始めた。

「母が、本州の生まれで、離婚を機に高校受験は本州の方でしたんだ。あっちはそれっきりだな」

 男は視線を斜め方向、まるでここではないどこかを見ているような表情をする。

「母達は厳しくて、毎日、毎日、勉強やら何やらで怒られていた。お陰で、いい大学に行けて、今の会社でいい役職について、良妻までいただいたがね」

 男はそう言った後、苦笑した。

「そうですか」

 青年は笑みを浮かべたまま、そう返す。


「罪、ああ、そうだ。そういえばそんなこともあった」

 男ははっとしたような顔をしたかと思うと、青年に視線を戻した。

「なんですか?」

「さっきの罪の話だ。そういえば私にも一つだけあった」

「どんなことですか?」

「話すのがはばかられることだよ。それでも良ければ話しをするが」

 青年は両手の指を絡ませるように組むと、男の顔をまっすぐに見つめ「どうぞ、お願いします」と返した。

「向こうにいたころ、小学生のことだ。近所に幼馴染の少年がいたんだ。名前は忘れたが。明るくて活発なあいつは、私と違ってみんなの人気者だった。私はそんなあいつの後ろをついて回ってたんだ」

 男は視線を宙に彷徨さまよわせながら、そう語った。深い溜息を吐くとその表情は見るからに暗いものへと変わっていた。

「ある時、こんな夕日の日だった。学校帰りにいつもの道を歩いていたら、彼を先の方で見つけたんだ。誰かと話しているようだった。

 私はそんな彼を遠くから見つめていたが、気付けばその誰かとどこかに行ってしまったんだ。そしてそれが、私が生きた彼を見た最期だった。

 どこかへ行ってしまって数日後、あいつは街の近くにある人通りのない山道で、変わり果てた姿となって発見された。

 あの時私があいつをしっかり止めていれば、あいつは助かったのかもしれない」

 男は悲しそうなそんな表情をしたかと思うと、また一つ息を吐いた。

「そうだったのですか。しかし、その子はどうしてその人物についていったのでしょうね」

 青年は悲痛そうな表情を浮かべたまま男に問うた。

「相手が優しそうな女の人だったから油断したんじゃないかね。お茶に誘われているようだったし、私も女の人だったら付いていってしまうかもしれないな」

「女の人が相手なら騙されたのも分かりますね。でも、その女の人は何の目的で、その子を連れて行ったのでしょうか。」

「さぁ」

 男は無表情で、青年の方を一度も見ることなく。そう冷淡に返した。その声は底冷えしそうなものだった。


「貴方は列車と言われて何を連想しますか?」

「そうだな。自分の人生のようなものだな。レールの上を淡々と進んでいく、脱線は人生にしたらアクシデントによる終わりだ。終点に着くのは人生最大の幸福だろう」

「貴方にとってはそうなのですね。しかし、乗車している我々は途中で降りて別の道を歩いていくという選択もできるわけですが」

「はっ、途中で降りるなんてバカのすることだ。歩くなんて時間の無駄だし、歩くほうが危険かもしれない」

「一日中歩けば、危険もあるし体力も使うかもしれませんね。でも、もともと決まった道を楽に行くのと、辛いが自分で決めた道を行くのどちらがいいんでしょうか

 それに、人生の先なんて誰にも分らないものです。誰にも自分の行き先は操作できないんですよ。自分の望む道を目指していくことはできるかもしれませんが。

 そして、いつかは列車だろうと歩こうと終点が来ると思います。ところで、」

 青年は言葉を区切り、間を置くと

「貴方の言う列車はどこに向かっているんですかね」

 と聞いた。

「そんなの知るわけないだろう」

 努めて冷静であろうとはしているが、眉をしかめ、きついその口調は感情がコントロールできていないことが分かった。

「ああ、そういえば。貴方は最初に人生は決められた道を行くもので、道を外れることは人生の最悪の終わりであるといっていましたね。

 決められた道を行くことで最後には幸福が訪れると行っていましたね。では、貴方が向かうの場所には幸福が待っているのでしょうか」

 男の表情はますます険しくなっていく。


「さて、話を戻しますが、貴方の罪は何ですか?」

 天使のように曇り一つない笑顔を浮かべたまま、青年は聞いた。そこには皮肉さはなく純真無垢な疑問があるだけのようだった。

「さっきから何なんが言いたいんだ。この私に説教でもしたいのか!」

 男は椅子から立ち上がると、青年の襟元を掴んだ。今にも殴り掛かられそうだというのに、青年は表情一つ曇らせず、じっとその不思議な色合いを持つ瞳で見ていた。

「貴方は嘘を吐きました」

 すっぱりと一言、青年は笑みを浮かべたまま、男の言葉を切った。

 男は怒りが冷めやらない表情を浮かべていたが、明らかに動揺したように戸惑いの表情も浮かべている。

 青年の襟をつかんだまま、しかし恐れをなしたのか少しだけ後ろに身じろぐ。

「なっなんの話だ!」

「質問をいくつかしましょう」

 すっといままであった笑顔が嘘のように、青年の顔からすべてが消えた。

 それは能面のようで、美しくも不気味なものだった。

「貴方は今でも子供のころに付き合っていた人と接点はありましたか」

「何を、」

「ありましたか?」

 青年の有無を言わさない雰囲気ふんいき気圧けおされたのか、男は間を置き

 少し言葉に詰まったように「ない」と答えた。

「では、その幼馴染とは仲が良かったですか」

「それは、」

 男は目を泳がせると黙り込んだ。それはどう考えても、否定を表していた。

「貴方の両親の離婚の原因は父親の不貞ですか?」

 男は答えずうつむいていた。しかし、その言葉が男の肩を小さく震わせた。

「貴方は幼馴染と話していた女性を知っていますね」

 それは、否定を許さない言葉だった。男は何も言わずに青年の襟から手を放すと、ふらふらと倒れこむように自分が座っていた椅子に座った。

「貴方は自らの命に危険を感じていた。だから、彼に声を掛けなかった。でもそんなことはどうでもいいんです。問題なのは貴方が本当に罪に感じているのはそうじゃないでしょう?」

 青年の表情に再び光が差し笑みを浮かべる。

「何を知っているんだ」

 男は項垂うなだれたまま、あきらめたような投げやりな口調で青年に問うた。

「さぁ、あなたの全てを知っているわけではありませんが、あなたがよく知る彼に何をしたのかは知っています。そして、あの彼はあの日線路の上で何を見ていたんでしょうね」

「それは、!俺は悪くない!罪なら償ったじゃないか!俺だって全部失ったんだ!俺は悪いことなんていていないんだ」

 悲鳴のように男は頭を抱え叫んだ。その顔には怯え、焦り、悲しみが浮かんでいた。

「ああ、そうだ、償った。そうだ、俺は」

 男ははた、と気づいたように頭を抱えたまま、青年を見上げた。

「ここは何なんだ。お前は」

「そろそろ終点ですね」

 首を横に傾けて青年はそう言葉を返した。

「違うんだ。許してくれ」

 男は床を這うように椅子から落ちると、まるで駄々をこねる子供のように、青年の足にすがり付き、何度も何度も同じ言葉を繰り返した。


 一人の男が窓の外の景色を眺めていた。外は相変わらずの燃えるような琥珀色に染まっており、変わることのない景色が繰り返されていた。

 ふと気づくと少年が一人、男の向かいに座っていた。その少年の表情は屈託くったくのない純真無垢そのもののようで、その顔には微笑みがたたえられていた。

 男はおや、と少し驚いたように少年を見ていたが、少年と同じようにこちらは清々しい微笑みを返した。

「貴方の罪は何ですか?」

 言いなれた様に言葉に詰まることなく、少年は男に聞いた。

 男は一瞬驚いたような顔をしたが、窓の外の方を向き、

「そうですね。今はもう何もありません」

 とはっきりと答えた。

「今は?」

 少年は表情一つ変えずに問い返す。

「ええ、前の自分だったら、あの時ああしておけばよかったと後悔もしたかもしれません。自分の生きてきた道は恥ばかりだったと。同僚に仕事を奪われたり、好きだった人が去ってしまったり。

 でも、今になってみれば、そんなことはどうでもいいんだと気づいたんです。こういう結果にはなってしまったけど、それでもいいかなって」

 懐かしむように遠くを見つめたまま、男は吹っ切れたよう言葉を返した。

「そうですか」

 と少年は独り言ると、それから先男の方を見ることはなく。男と同じように窓の外の景色を眺めていた。

「朝日、きれいですね」

 男は目を輝かせながら、小さくそう言った。

 少年はその言葉に答えることはなく最後に

「そろそろ終点ですね」

 と言った。


 列車は止まることなく、走り続ける。

 だが、琥珀色に染まるその車両には誰も載っていなかった。

 いつか来る人を待ちながらも列車はいつまでも走り続ける。


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列車 あわい しき @awai_siki

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