16次元からのアンケート
滝沢諦
第1話
【16次元からのアンケート】
めちゃくちゃ好みのタイプだった。
小柄で、むっちりしているとまでは言えない柔らかそうな身体つき、前髪を切りそろえたショートヘア。柔らかそうな丸いほっぺたに、小さな口は唇がすこし厚め。丸い目をすこし寄り目がちにして、手に持ったバインダーを真剣な顔をして見つめている。
たった今赤に変わったばかりの信号が恨めしいくてしかたがなかった。
信号待ちをしている人たちから垣間見る彼女の姿に、俺は目が離せない。胸元がまるく開いたノースリーブのシャツは丈が短く、程よくくびれた腰が見えている、ヘソが見えないギリギリのラインのタイトスカートは、丈は膝よりかなり高い位置だ。タイツではなく素足で、くるぶしが隠れるショートブーツ。グリーンの髪はヴィックではなく染めているのだろうか、陽射しのなかでキラキラと輝いていた。
人でごった返す東急プラザ前の交差点で所在無げに佇む少女に、俺は一目惚れしてしまっていた。
インターネットを眺めれば、芸能人ばりの美少女はいくらでもいるだろう、インスタには盛りに盛った女たちがウヨウヨしている。だが、こんなにも自分の好みにハマる女の子には、表参道を何往復かしたところでそうそう出会えるものではない。ダメで元々、声をかけずに死ねるかとばかりに、俺は、信号が青になるのを最前列で待ち遠しいほどに待った。
「何のアンケートなの?」
遠目に、少しばかり様子を伺ってから声をかけた。バインダーを胸に押し付けるように抱えながら、彼女はせわしなく人波を眺めるばかりで、誰にも声をかけようとしていなかったのだ。
「アンケート、お願いできますかっ?」
小首を傾げてにっこりと頬笑む姿に、今にも抱きついてしまいたくらいだった。少しばかり特徴のあるイントネーションは、どこなのだろう、東北の方の生まれなのだろうか、けして耳障りなものではなく、それすらも愛らしく聞こえる。
「いいよ、貸してごらんよ」
差し出されたバインダーを受け取る時も、彼女から目が離せない。髪色と同じ薄いグリーンのカラーコンタクトと相待って、何かのゲームに出てくるキャラクターのような趣だ。彼女が、愛想笑いであるにしても自分に頬笑みかけてくれているのが、それだけで嬉しくて、子どもみたいに心臓が高鳴っている。
このあと、どうやったら連絡先を聞き出す事ができるだろうかと、そのことで頭がいっぱいだったので、受け取ったバインダーを目にした時、すぐにはその内容が頭の中に入ってこなかった。二、三度まばたきをして、もう一度見直す。設問がずらずらと並んでいるわけではなく、携帯番号やメルアドを書く欄があるわけでもない。用紙には設問が一つだけゴシックで大書きされていて、その下には簡潔に、YES/NOとだけ書かれている。
バインダーに挟まれているのは、その用紙一枚だけだった。捲ってみても二枚目はないし、裏にも何も書かれていない。
「えっと、これだけ?」
「はいっ!」
屈託のない笑顔を満面に浮かべて、彼女が応える。
どうすればいいのかわからないほど、かわいい。とっさに声出せずにいる俺を、首を傾げて覗き込むようにする、その表情に見惚れてしまう。
「どうしましたかっ?」
「いや、でも、これって、答え決まってない?」
「それが、意外とそうでもないんですよっ!」
まだアンケート期間中なのと、プライバシーの関係で詳しいことは伝えれませんけれどと前置きをしながら、どこから取り出したのか手のひらサイズのメモ帳をペラペラとめくって、得意げにそう応える。
「、、、そんなもんかねぇ」
アンケートを訝しげに眺める俺を、彼女のにこやかな笑顔で見守っている。
だめだ、彼女のことが気になりすぎて、こんな簡単な一文でさえ頭にうまく入ってこない。これは何かの冗談なのか、心理テストの類なのか、そこそもこんなアンケートを取ることに意味があるのか、何のために? 誰のために? 理解が追いつかない。ただ、わかっているのは、彼女とお近づきになるためにはこのアンケートが俺にとってはとても重要なことであるということだ。おざなりに済ませることはできない。バインダー越しに彼女の笑顔をながめやりつつ、今年で一番というほどに、脳みそをフル回転させていた。この二択の質問の意味と、どうすれば彼女に自分のことをアピールする事ができるのかを、必死で考えるが、なんてことだ、焦るばかりで糸口さえつかめない。
「、、、お兄さんっ! ありがとうございますっ!」
バインダーとにらめっこをしつつ、その実バインダー越しに見える彼女の胸元をいくらか気にしながら、アンケートの回答とそのあとのことについて考えをめぐらせている俺に、なぜだか彼女は手も握らんばかりに喜んでくれている。
「お兄さんで98人目なんだけど、そんなに真剣に考えてくれる人はなかなかいませんでしたよっ!」
なるほど、用紙の右端に、98とナンバーが振られている。
「そうなんだ、結構な人数に声かけてるんだね」
「はいっ! わたしは渋谷と原宿と新宿が担当で、100人がノルマなんですっ!」
声をかけてもなかなか立ち止まってもらえなかったり、アンケートを見せると笑われて突き返されたりすることも多く、期限の2週間まであと2日。ようやく残り二人にまで辿り着けたそうだ。
「とても大変でしたっ! でも、お兄さんみたいな人にアンケート受け取ってもらえてよかったですっ!」
結婚しようとその場で言いたくなる気持ちを抑えるのに苦労した。こんなに可愛い女の子のアンケートを無視する奴が多いというのも、不思議といえば不思議な気がするが、信号待ちをしているときも、信号を渡ってから軽く様子を見ていた時も、何故か、彼女は誰にも声をかけていなかった。
「だれでもいいというわけではないんですっ!」
性別や年齢だったり、なにか制限や要件の用のものがあるのかなと単純に思ったら、そういうものではないのだと言う。
「まずですねっ! 3次元世界において私たちを認識できる方でないと、そもそもダメなんですっ!」
彼女が語り始めた内容な、俺には半分も理解できなかった。どうやら彼女たちは16次元世界における植物の全体意識が、3次元世界に対して特別なアクションを行うために意識を分裂させて、次元を3次元に縮退して現れた存在なのであり、彼女自身、世界中に同時かつ別個に存在するということらしかった。表参道でこうして俺と話している今その瞬間にも、彼女分身? は仙台駅前の陸橋でアンケートを持って立っているのだそうだ。仙台地方のアンケートは苦戦しているらしいと、眉根をしかめている。
「仙台は寒いので、なかなか立ち止まってもらえないのですっ!」
彼女は、いたって真面目な表情だ。
多少、精神的によろけてしまったのは事実だが、世の中にはこりん星から来たアイドルもいることだしと気を取り直して、彼女の話を聞き続けた。こりん星だろうが16次元だろうが港区だろうが、どこから来たにせよ、何が目的であるにせよ、この場だけで終わらせてしまうには、あまりにも惜しい出会いだったから。
「アンケートに関わることなのであまりはっきりとしたことをお伝えすることはできないのですけど、私たちが3次元世界に介入するためにも、是非とも皆さんのご意見を参考にさせていただきたいのですっ!」
彼女は少し興奮気味に、頬を赤くする勢いでそう締めくくった。
俺は悩んだ。
彼女の話の意味が理解できないのは、あまり気にしていない。それをどう受け取るべきかなのかではなく、ここから話しをどう繋いでいくべきなのかを、悩みに悩んだ。何としても口説き落としたいのだ。
「あと二日で、二人にアンケートもらえたら、それで終わりなの?」
「はいっ! 今日は早速お兄さんと出会えてラッキーでしたっ!」
「そうだよね、俺が書いたらあと一人だから。すぐ終われそう?」
「この辺りは人が多いですからねっ! だいたい一日に数人くらいは私たちが見える人が通りかかりますから、まだ午前中ですし、うなくいけば今日で終われるかもですっ!」
「そしたら、その、16次元とかに帰っちゃうの?」
「そうですね、やっと帰れますっ!」
「せっかく知り合えたのに、俺は少しさみしいな」
「大丈夫ですよっ! 16次元も3次元に内包されているわけすから、この姿も便宜上ものでしかありませんし、いつでもお兄さんと会えますよっ! あっ、でもアンケートの結果にもよるのかなぁ、、、」
彼女がはじめて、ほんの少し笑顔を曇らせた。
「そ、それよりさ、俺とあと一人でノルマ終わるんならさ、せっかくだからパンケーキとか食べてったら? 食べたことある?」
「、、、パンケーキ、ですか?」
「そそ、そっちにあるなんちゃらいう店はいつも人が並んでるし、あっちのキャラメルポップコーンも人気らしいよ、食べことないけどさ。あとで、えっと、仙台の子にも自慢できるんじゃない?」
「、、、そうですねっ! じゃあ、お兄さんがアンケートの答えを考えてくださっている間に、ささっと行って来ちゃいますねっ!」
ほんの少しの躊躇のあと、そういって嬉しそうに笑う彼女。コロコロと色々な表情で、よく笑う。バインダーを俺に手渡したまま、彼女は、子供みたいに人波みを縫うようにして、雑踏の中に飲み込まれてしまった。いや、そうじゃなくて、100人目のアンケートが終わったら俺と一緒に、、、という言葉をかけるいとまも、ありはしなかった。
バインダーを持たされたまま、しばらくのあいだ唖然と立ち尽くした。すれ違う幾人かが奇異の視線を向ける。それでも俺は強いて気を取り直した。彼女は必ずアンケートを回収しに戻ってくるはずだから、その時こそはうまく口説こう。パンケーキ屋に並ぶとしても小一時間くらいだろう、並んだことなんかないからわからないのだけど。そのくらいの時間で彼女を口説くチャンスを捨てることなんてできるわけがない。これは運命の出会いなんだ。このチャンスを棒に振るなんてことは考えられなかった。
プラザ前で一人ぼけっと突っ立っていうるのはあまりにも間抜けだが、かといって彼女が戻って来たときにすぐに合流できないのも問題がある。仕方なく、そこらのスカウトよろしく歩道の端でバインダーを抱えて人通りを眺めて時間を潰すことにした。昼に差し掛かって、行き交う人の数も増える一方だ。
アンケートは、イエスかノーのどちらかを一方をマルで囲むだけの簡単なものだ。中学生の時に授業で読まされた阿Q正伝のように、綺麗なマルを描かなけりゃならないというわけでもないよなと、そんなつまらないこと考えて一人苦笑していた。アンケートを渡してもに突き返されたこともあったと言っていたが、さて、イエスかノーか、どちらのマルをしたものか。エコロジーだとか、リサイクルだとか、地球環境がどうのこうのなんていうことは、正直なところ今まで真面目に考えたこともなかったし、興味もなかった。ほとんどの人間が、そんなもんじゃないのか? こんな質問を真面目に考えて、あまつさえイエスにマルで囲む奴なんてのは、頭ネジが2、3本緩んでいるような奴か、そもそも冗談としか考えていなかったからか。それか、三分前に手痛い失恋をしてヤケになっていた奴に違いない。世界の端っこでは紛争やら飢饉やらで大変だというのはニュースで聞いた事もあるが、そりゃテレビの中の世界の話だ。少なくとも表参道(ここ)で、歩くにも足元も見えないくらい人が集まって、ショッピングだのスイーツだの、スカウトやらナンパやら、皆がそれぞれに楽しんでいる、この沢山の人たちの中の一体誰が、イエスをマルで囲むだろうか。
あそこで双子コーデをしてなんか知らんが流行りの食いもんを手に手にインスタしている中学生も、きっと悩み事の一つや二つは持っているに違いないが、目下のところはどちらが小顔に映っているかくらいしか気にしていないだろう。あそこの飯屋に並んでいる子連れも、あとどのくらい待たされるのか、その間に子供がぐずりださなか心配しているだろうが、無事に席にありつければ、何を食っているのかもそっちのけで主婦が二人して喋り倒してストレスを発散んするんだろう。仕立てだけはいいスーツ姿で俯き加減に人波に流されているおっさんだって、会社に戻れば上司としての責任感と仕事への情熱を思い出して背筋を伸ばし、仕事わりに千ベロで一杯やって愚痴を並べながらも、家族の待つチンケな集合住宅に帰ったあと、子供の寝顔を眺めるんだろう。ファッション誌のスカウト待ちなのか、奇抜なファッションをした若者が所在無さげに行ったり来たりしている。その横で、OLらしい二人組が写真を撮られて何やら嬉しそうなのを隠しながらアンケートに記入している。外国人観光客がビデオカメラでで所構わずムービーを撮る、表参道の雑踏の中。この沢山の人たちの中の誰かがアンケートを受け取ったたとして、イエスかノーか、どちらをマルで囲むんだろう? 何を思って答えを選ぶのか、マルで囲んだ後に、何を考えるんだろうか。
気がつくと日が傾き始めていた。
あれはなんの授業だったか、行く川の流れは絶えずして、されど元の水にあらず、とかなんとか。表参道には沢山の人が行き交ってて、それはまるで川の流れだ。時折なんの目的なのか、行ったり来たりしていている連中もいるにはいたが、名も知らぬ人たちがそれぞれの自由意志に従って通りを行き交い、目的の場所に向かう人だったり、無目的にぶらつく人だったり、そうやって大きな流れを作っている。その流れから少しばかり離距離をとって眺めていると、なぜだか不思議と、アンケートの設問に回答をするのが、とても難しくなるような気がしてきた。
「、、、お兄さんっ! お兄さんっ!」
少しぼんやりとしていたのか、気がつくと彼女が傍に立っていた。相変わらず元気そうな笑顔で、俺を見上げる。
「お待たせしてごめんなさいっ! これ一緒に食べませんか、すごく美味しいんですっ!」
駅前のたこ焼きだった。一つ減っているのは、彼女が先に食べたからなのだろう。俺は自然と微笑んでいた。何時間も待たされたことは、それで帳消しにして十分だと感じた。
「ありがとう、そこに座って食べようか」
電線にスズメが止まっているようにいろんな人が腰掛けている道端の柵の、ちょうど二人腰掛けられるくらいの隙間を探して、並んで座る、その距離感が嬉しい。そうだ、これは仲良くなるチャンスだ。少し先にあるコンビニまで行ってジャスミンティーを2本、彼女の分も合わせて買ってきた。早足で戻って来たのは、誰ぞ同じ考えの奴がちょっかいをかけてこないかと心配したからだ。
「このお茶もすごくおいしですっ!」
大玉のたこ焼きを一口で頬張り、リスのようにほっぺたを丸く含ませながら彼女はタコ焼の味を絶賛し、コンビニのお茶を喜ぶ、なんだか見ているこちらも頬笑ましくなるような、そんな笑顔だ。この笑顔を、いつまでも横で見ていることはできないものだろうか。
「パンケーキ食べれた?」
「はいっ! 沢山沢山人が並んでちょっと不安でしたが、ふわふわでとっても甘かったですっ!
「ポップコーンは?」
「はいっ! こう、こんなふうに放り投げてたべれるようになりましたっ!」
「タピオカ飲んできた?」
「はじめ飲みかたがわからなくて喉につっかえちゃいましたが、とてもおいしかたですっ!」
「楽しんで来れたみたいで、よかったよ」
「全部、お兄さんのおかげですっ!」
そういうと彼女は、俺の右手を、左右の手で包み込んだ。柔らかな掌は、だけど想像するよりもひんやりと冷たく感じた。不快な感じはしなかったが、もう日も暮れ始めている。服装が服装だけに、すこし寒くなったのだろうか? 左手に持っていたバインダーを膝の上に置き、彼女の両手の上のそっと覆いかぶせる。小さな手だった。
「寒くない?」
「少し。でも、もうすぐ終わりの時間だから大丈夫ですっ!」
そう言って笑う姿が、底なしに明るい。
「アンケートまだ記入してなかったよ、今日は俺一人分で大丈夫だったかな?」
「もちろんですっ! ほんとうにありがとうございますっ!」
ひんやりと肌触りのいい彼女の手からそっと右手を抜き出して、バインダーに挟んであるボールペンで、設問の下に大きく丸を書いた。なぜだかその時、できるだけ綺麗にマルく囲めたらいいのにと、少しだけ感じていた。
「これで大丈夫?」
「はい、もちろんですっ!」
「これからもう一人、探すの?」
それまで待っているから、食事に行かないか? という言葉は言えなかった。
「今日は本当に楽しかったですっ! お兄さんに会えてよかったですっ!」
受け取ったバインダーを胸に押し抱いて、腰掛けていた柵から勢いよく立ち上がった彼女。ビルの隙間から差し込んできた斜陽に包まれ、薄い緑色の瞳で俺のことをまっすぐに見つめている。
そよ風とも言えない風が彼女の髪をそっと掻き上げる。斜陽の中でも色あせないグリーンの髪が、次第に暮色の中に溶け込んでいく。姿がぼやけ、薄れゆく中、頬笑みの印象だけが最後まで残り、夕暮れが宵闇に変わるころには彼女はいなくなってしまっていた。
すっかり冷えてしまった残りのたこ焼きを一口に頬張り、ジャスミン茶で飲み下したあと、だいぶ時間を置いてから、一つため息を漏らした。
こういうのも、フラれたというのかな。
夜になり、表参道も目立って人が減り始めたころ、渋々、柵から腰を上げて、駅に向かって歩き始める。ふと、道端の目をやると、ショーウィンドウの煌びやかな照明に照らされた名も知らない雑草が、アスファルトの隙間でビル風に吹かれて葉をそよがせていた。排気ガスに煤けた、汚れた緑の葉を。
「、、、16次元、か。そんなのわかるわけないよな、俺、頭悪し」
アンケートの設問のことをぼんやりと考えながら、駅までの坂道を登るのはとても面倒なことだった。
16次元からのアンケート 滝沢諦 @nekolife44
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