Twitterで、作品を作る上でカンペギ主義に陥るな。書き散らして、あとから手直ししていけばいい、、、と言うような言葉を見かけた。そのTweetは見失ってしまったのだけれど、おそらくどこかのメディアサイトの記事だったと思う。
傑作の幻想に夜も眠れない。
自分なりに真面目に作家を目指していた頃の自分は、まさにそれだった。書いては直し、書いては直して、傑作の幻想に囚われて身動きできず、ほとんどのネタを書き切ることができなかった。
今はもう、その幻想に身を焼くこともない代わりに、物語を作る熱意もまくなってしまっていると思う。
えらてん というTwitterアカウントで、無編集クソ動画という概念を提唱しているのを見た。それがムーブメントになるのかは定かではないが(自分はそこまでは発展しないと思う)その概念はとても新鮮に感じられた。色々と考えるきっかけになった。
ぼくにはもう、小説を書く力はない。
そう感じているのに、あるいはもしかして、、、と言う浅ましさが、ぼくを虎に変えてくれたならまだしも「まし」なのだけれど、それほどでもない。どこまでいってもぼくは、半端者なのだ。人間、失格と言われたいと言う歌があったと思うが、とても心に刺さる。
それでもなお、久々にキーボードをタイプしていると、心が踊る。うまく書けずイライラもするし、能力のなさに泣きたくもなってくるが、それでも、一瞬であっても不安を忘れることができる。
冒頭に書いた2点、書散らせと無編集クソ動画。違う概念ではあるのだけれど、自分にはちょうどいいタイミングで、この二つを目にすることができた。
できれば「僕はロボット」というネタを書き終えたいと思っている、下手くそでいいから。