或る葉書 終幕
あれから、僕が長時間戻らないのに業を煮やした前嶋さんが本殿に侵入した所、僕が居ない事に気が付いたのだと聞かされた。
その後捜索がなされ、社員寮の自室で眠っていたのをフラウさんに発見されたと言う。
右目があった眼窩から大量の血を流して。
即座に処置が施され、一時的に癒着を防ぐ為の義眼を嵌められ、包帯ぐるぐる巻きの寝正月を過ごす事になった。
右目は奪われたまま、神の力みたいなもので返って来る事は無く、獄卒持ち前の再生能力をもってしても、新しく目が生成される事もなかったのである。
片目が無いので兎に角距離感が掴みづらく、銃を撃つ感覚も鍛え直さないといけない、と国木田さんは言っていた。
包帯やガーゼ、眼帯は数時間おきに変えなければならず、それも時間を要する為日常生活に大きすぎる支障を来している。
階段もふらついて一人では降りられず、廊下を歩くだけで壁に衝突し、食器を手にする事も覚束無い。
そんな要介護生活の中でずっと考えていたのは、本殿で最後に出逢ったあれの事だ。
あれが誰かから何かを奪っているのなら、あれを神と呼べるのだろうか?
仮にあれを大年の神と仮定するなら、それほどまでに神は飢えていると言うのか。
それから、明らかに藍生さんの態度が変わっている。
前嶋さんに絡まれている所を回収しに来たり、積極的に僕と関わろうとしているのだ。今日は黙って屋上に連れて行かれた。
その目的はと言うと、僕が最後に見た理解出来そうにない『あれ』の事について聞きたいらしい。
「……お前、最後に見たやつはまだ覚えてるか?」
「…………はい。忘れたくても、離れなくて」
「記憶から抹消した方が良い。ありゃ大年の神なんかじゃねえ。この国の汚れだ。ただでさえ不安定な国を保つ為の、な」
そんな大層な、と思ったが、藍生さんは訂正する事なく続ける。
「あれは名誉ある配達任務なんかじゃない。……生け贄を捧げる儀式だ。ただしその身体の一部だけ持っていかせる。そう調整しないと、行きたがるやつがいなくなるからだ」
はっきりと言い切った先輩に対して、僕は未だ希望を捨てきれずにいた。
何かの間違いじゃないかと。
でも。
「現実を見なきゃ、駄目ですよね。しっかりとこの目で」
藍生さんは、ああ、と肯定する。
しかし受け入れるにしても、何かが引っ掛かるのだ。
あれが今までにも何か奪っていたのなら、藍生さんは何を取られたのだろう。
ちら、と藍生さんを見やると、意図に気づいたのか口を開いた。
「ああ。俺は多分、真名だな」
真名? と問うと、藍生千尋と言う名前は前嶋さんに名付けてもらったもので、ずっと以前はその真名で生活していたのだと、話してくれた。
「やっぱり辛いですか?」
「辛いも何も、俺にとっては藍生千尋が真名だ。用済みになったのを、引き取ってもらえたと考えれば幾らか気も楽になる」
「でも真名は……」
「解ってる」
気にかかって、伸ばした手は振り払われた。
真名は人を縛る。
真名を奪われるとその人は縛られ、挙げ句壊れる事がある。
それなのに、どうしてこの人はここまで強気で居られるの。
「口外禁止だぞ。特に、前嶋の奴には」
「口外禁止、ですね」
僕は復唱して口にチャックする様な動きを見せた。
「所でお前、直前で前嶋の奴を『お父さん』って呼んだらしいな」
「へっ?」
素で驚いてしまった僕を睨み、どうなんだ、と詰め寄る藍生さんに僕は何回も首を横に振った。
先輩なりの気遣いで話題を変えたかったのだろうが、今その話をすると前嶋さんが飛んで来る。
「今お父さんを呼んだかい?」
屋上の扉が勢いよく開かれ、前嶋さんが顔を出し叫んだ。
その騒音に屋上で飼育していた伝書鳩が何匹か飛び立つ。
「ああ成る程。だから否定してたのか」
藍生さんは憐れむ様にこちらを一瞥し、屋上を去っていく。
前嶋さんは僕にじりじりと歩み寄る。
「……前嶋さん、さっきまで一階の受付に居ましたよね」
「そうだけど?」
「何で聞こえたんですか?」
「何かお父さんって呼ばれた気がしたから」
ティロリーン、と言う効果音がつきそうな程快活にそう答えられ、僕は最早為す術がない。
結局、お父さん認定された事で前嶋さんは以前よりも僕の父だと自負する様になった。
周囲からすれば公言に近く、相変わらず誤解を招く事になりそうだ。
賽の河原郵便局 あてらわさ @touhu-inu
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