7日目「休息」
世界
朝、寝台の上で私は目覚めました。部屋に光は灯っておらず、不均一な灰色の天が私を見下ろしていました。夜明け前の貧血の時間です。私は立ち上がることができませんでした。
三十分後ようやく身を起こすと、壁に取りつけられた明と暗を切り替えるスイッチに手を触れました。たちまち自室はまばゆい光に照らされ、白色の壁と白色の天、そして黄土色の地面が鮮やかに蘇りました。自室に朝が訪れたのです。
普段着の乱れを直してから、私は扉を開き、通食路に足を踏み出しました。十四段の階段を降り終え、食堂に入る前にトイレで不定期の義務を済ませました。一階に用事がある時は、不定期の義務を必ず行うように心がけています。無駄な行動は少しでも減らすべきだからです。トイレに行くためだけに階段を降りるのは、まさしく無駄です。だから、朝・昼・夜の義務とセットで不定期の義務を行うのは当然と言えましょう。
食堂には料理人の男と宿泊客の女がいました。私は食卓の指定席に座りました。料理人が私の前に食糧を置きます。胃の痛みをこらえつつ、私は五分足らずで朝の義務を済ませました。もはや食堂に留まる意味はありません。私は通食路を引き返し、自室に戻りました。食堂にいる間、宿泊客とは一言も話しませんでした。
平和でした。食堂に平和が満ちていました。
自室に帰ってきた私は、定位置で静止しました。昼の義務が始まるまで、三時間以上の隔たりがあります。私は静止していました。絶対に動かないという固い信念を持って、定位置で静止していました。新しいことは何も起こらず、定位置から見える変わらない風景を私は眺め続けていました。
平和でした。自室にも平和が宿っていました。
昼の義務の時間になりました。昼の義務の内容は朝の義務と何ら変わるところがなく、私は同じ手順で事を運びました。
通食路を通り、トイレに寄ってから食堂に入る。食卓の指定席に座り、食糧を口に運ぶ。宿泊客と会話がないところまで、そっくりそのままでした。義務が終われば、通食路を通って自室に戻ります。そして、やはり定位置で静止するのです。
何もかも同じでした。強いて変化を挙げるなら、胃の調子は朝より良くなっていましたが、そんなのは些末な出来事に過ぎません。広大な世界に比べれば、ちっぽけで無価値な現象なのです。その程度のことで、世界の秩序は揺るぎません。壁のように堅固な平和を乱すことはできません。
昼の義務と夜の義務の間に横たわる七時間の空白を、私は静止して過ごしました。一週間前までの軽薄な私であれば、長時間の静止に耐えることができず、部屋を歩行していたに違いありません。しかし、私は耐え切りました。夜の義務の時間まで一度も立ち上がりませんでした。今の私にとって、七時間の静止が何でしょう。苦痛や焦燥に類する感情は一切なく、不思議なほど落ち着いた気分で、自室の風景を眺めていました。
平和でした。真の平和が目前に迫っているのを感じました。
夜の義務の詳細は、朝と昼の繰り返しになるので省略します。ただし、義務が終了した後の行動は大きく異なります。私は通食路の分岐地点で、階段を上る代わりに浴室の方へ向かいました。娯楽のためです。
人は楽しみがなければ、生きていくことはできません。息抜きをしないと精神が持たないからです。だから一日に一度だけ娯楽に興じるのは、理にかなっていると思います。義務ではありませんが、世界の秩序を維持するために欠かせないことなのです。
そして今。娯楽を終えて自室に戻った私は、定位置で日記を書いています。一日の出来事を振り返り、世界の平和を噛みしめています。厳格に定められた五つの義務と一つの娯楽。朝の義務・昼の義務・夜の義務・深夜の義務・不定期の義務と水浴びという名の娯楽。それをこなすだけで、私は生きることができる。こんな私でも生きることを許される。義務と娯楽をするために必要な物品は、料理人や清掃人が用意してくれます。私はただ自分にできることだけをやればいい。完璧な秩序のもとで世界は統制され、あらゆる事象は世界が静止し続けるために存在しています。
だから私は決めたのです。今後一切、何もしないことを。
私が何もしないことで、世界の秩序は保たれる。だから余計なことをしてはならない。現行の義務と娯楽以外の活動に手を染めるのは、秩序を乱す邪悪な行いです。
もしも、私がケトルでお湯を沸かす現場を料理人の男に見られたら? 彼は私に料理を作るよう頼んでくるかもしれません。万が一、自分の服を折り畳む瞬間を洗濯人の女に発見されたら? きっと、彼女の洗濯の手伝いをするはめになります。
そうなれば、秩序は乱れ、争いが蔓延り、現在の平和は崩壊します。一つのズレが新しいズレを生み出し、世界は再び混沌の渦に沈んでいきます。最悪の場合、世界は拡大を始めるでしょう。巨大化の先に待っているのは絶望だけです。二度と世界に平和が戻ることはありません。
仕事をしている間に感じた不安の正体はこれだったのです。私は主体的でありすぎました。世界を再定義するという前向きな行為は、消極を良しとする秩序への反抗に他なりませんでした。日記も同様です。私は心のどこかで異世界への憧れを抱いていたのでしょう。いつの日か、私も玄関の扉を開けて異世界に行く。そんな卑しい欲望が、私を動かしたのです。現状を少しでも変えるために何かをするということ。体調を良くするために体を動かすということ。そういう地道な積み重ねが明るい未来につながるのだと、本気で信じていたのです。我ながら、馬鹿げた妄想でした。叶うはずのない願いを、ぼろぼろの体で追い求めていたのですから。
しかし、私は仕事から解放されました。日記もあと少しで終わります。午後の瞑想により、異世界への未練は断ち切りました。今や、五つの義務と一つの娯楽が私の全てです。邪念も欲もない私の心はゴミ袋のように澄み切っています。秩序を乱す最後の行い――日記の執筆――を終えた後に訪れる永遠の平和を思うと、心臓が高鳴るのを感じます。脈の乱れが、こんなにも喜びと期待に溢れているなんて……。
執筆作業を今すぐ止めたい! それが私の本心です。しかし、私は最後まで書き切るつもりです。一つの認識から始まり、世界に真の平和が訪れるに至った過程を記し終えるまで、私は筆記具を手放すつもりはありません。
なぜか。これは私なりのケジメなのです。世界を再定義する仕事と日記の執筆は決して無駄ではありませんでした。空間の測量を通じて、私は世界の全体像を知りました。イアの観察と物品の目録作りは、私に物々との繋がりを与えてくれました。事物の命名は世界に明瞭な形を与え、日記を書くことで私の思考はこの世界にふさわしいものへと変貌を遂げました。
今では、世界中の事物との間に、強い結びつきを感じられます。一週間前まで希薄だった世界は、くっきりとした輪郭を持って、現前しています。世界の中にいる私。私を包みこむ世界。ああ、これが帰属感というものでしょうか。
「無」は変わらず、そこに存在しています。しかしそれは、今までの「無」とは質の異なる、全く新しい「無」なのです。生まれ変わった「無」に絶望はありません。何もしないことに、悲しみを感じる必要はない。私は「無」の中に安らぎと平穏を見出しました。心の平安を感じ取りました。望んでいたものは、いつも目の前にあったのです。
思えば、長い年月でした。何年もの間、私は混沌の渦を彷徨っていました。くだらない欲望に惑わされ、「無」の真の価値を見抜けないまま、無意味な時間を過ごしました。過去に興味がないふりをしながら、その実、過去の思い出にしがみついていたのです。そんな場所に、幸せがあるはずもないのに。本当に愚かでした。
ですが、それももう終わりです。私は真の平和を手に入れました。この調和のとれた四角い世界で私は生きていきます。命が尽きるまで、定められた義務と娯楽を毎日反復し続けます。それが世界で唯一の定住民である私に与えられた、かけがえのない役割なのですから。
もう書くことも、あまりありません。
最後に、今後のことを少しだけ述べて、私という一人の人間に関する記録を締めくくりたいと思います。
日記を書き終えたら、私はこのノートを自室の倉庫に封印します。二度と開く気が起きないよう、倉庫の奥深くに押しこむつもりです。それが私の最後の仕事になります。日記は日記としての役目を終え、数あるガラクタの一つとして再定義を受け、世界の一部となるのです。
――そのあとは? 私は定位置に戻ります。いつもの姿勢で静止すれば、永遠の平和が始まります。やがて私は目をつむり、満ち足りた気分で、心からの感謝を捧げるでしょう。
空虚な未来が約束された、この世界に。
家の中の世界の中の家 沖野唯作 @okinotadatuku
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