6日目「玄関」
瞑想
脈拍が一定のリズムを取り戻しつつある。水では癒せない喉の渇きも治まってきた。肉体と同調するように精神は小康を保ち、部屋に置かれたイアと同じぐらい、静かで、寡黙で、落ち着き払っている。平安が心に宿り始めているのを感じる。
成功だ、私の試みは成功したのだ。
今なら、さほど苦しまずに日記を書くことができる。執筆が無益な作業である事実に変わりはないが、あと二日の辛抱だと分かれば、苦痛も少ない。明日の日記は、私が自分自身について書き留める最後の記録となる。これは確信ではなく、ましてや予感などという曖昧なものでもなく、すでに決定された事実なのである。
それはさておき、今日の日記だ。もはや重要性は皆無だが、仕事の報告から始めるのが筋というものだろう。私は過去五日間、非常によく働いた。自室・客室・階段・トイレ・浴室・食堂・厨房・空き部屋で世界の再定義を終わらせ、残すは玄関のみとなった。
玄関の面積は多く見積もっても33670平方センチメートルに過ぎず、二時間もあれば作業を完了できる広さだった。私は午前中でルーチンワークを終わらせ、一日前に頭に浮かんだ思いつき――午後の瞑想――に備えた。
昼の義務を済ませた私は、再び玄関に向かった。食堂の東にある焦げ茶色の扉を開けば、もうそこは玄関である。異世界への扉が静粛に佇む玄関である。私は食堂と地続きになっている床に座りこんだ。北の白壁に背中を預け、両足を伸ばした状態で、かかとを床につけた。それから、反対側の壁にはめこまれた異世界への扉をこの目で見た。
ドアノブがあった。覗き穴があった。輝きを失った金色の錠前が二つあった。それらは全て、扉の右側に取りつけられていた。左上には灰色のドアチェック、右下には何もない。右上にも左下にも特別な物品は見当たらなかった。
そして視線はミクロからマクロへ、細部から全体へ。長方形の扉の全容が、視界の中にすっぽりと収まった。見れば、白い枠で囲まれたすりガラスが、外に広がる異世界の姿を覆い隠していた。見えそうで見えない、こちらの欲望を刺激する半透明の装飾に、私は「誘惑」の意図を読み取った。「扉を開けて、異世界への一歩を踏み出そう」と、扉自身が私に語りかけているように思われた。
欲を断ち切るため、私は両目を閉じた。踵から伝わる床の冷たさと背中を支える硬い壁の感触に包まれて、孤独な午後の瞑想が始まった。
――お前の望みは何だ?
ただ一つ、心の平安。
――世界を再定義する仕事は、お前に平安を与えてくれたか?
いいえ、むしろ不安を。
――それは、どうしてだ?
わからない。
――不安を感じ始めたのは、いつからだ?
食堂で仕事をした日の夜。義務のあと、ケトルでお湯を沸かした時。
――その時まで不安はなかった?
なかった。
――不安はなかった?
なかった。
―本当に?
なかったのか?
――本当に不安はなかった?
本当に不安はなかったのか?
――自室で仕事を始めた瞬間、お前は何を感じた?
若干の後ろめたさを。その時は、いつもの精神の不調だと思いこみ、気にも留めなかった。
――あの時感じた後ろめたさが不安の正体では?
かもしれない。
――どうして後ろめたいと思った?
自分が余計なことをしているような気がして。
――余計とは、誰にとっての余計?
自分にとって。
――それだけ?
ひいては世界にとって。
――仕事をすることが、自分と世界にとって、どうして余計なのだ?
秩序を乱すからだ。
――お湯を沸かすことも?
秩序を乱す行為だ。
――では、どうすれば良かった?
食糧保管庫を開けて、容器に入った水を飲むべきだった。
――お湯を沸かして飲む、容器に入った水を飲む、どこに違いが?
能動的か受動的かの違いだ。用意されたものを、そのまま受け入れるべきだった。
――話を元に戻そう。お前にとって、秩序とは何だ?
世界の平和。
――お前は秩序を乱したか?
乱した。今も乱している。
――いかなる手段によって?
主体的な行動を取ることで。
――具体的には?
世界を再定義する仕事。そして日記の執筆。
――日記の執筆を継続する意志は?
ない。明日で最後だ。
――今すぐページを閉じて、書くのをやめたらどうだ?
考えを整理する時間が必要だ。私が本当に欲を断ち切れたのか、検証する時間も。
――検証は明日行う?
その通り。
――それで全ておしまい?
おしまいだ。
――世界に平和が訪れる?
待ち望んだ真の平和が。永遠の平和が訪れる。
――世界を再定義する仕事と日記の執筆は、平和を乱す愚かな行為だった?
そうだ。
――本当に?
そうではないのか?
――無駄だった?
違うのか?
――本当に無駄だった?
いいや、無駄ではない。
――仕事と日記は?
必要だった。
――仮初めの平和を?
真の平和に導くために。
――虚無感で空っぽになった心を?
新たな虚無で満たすために。
長い時間が過ぎた。結局、夜の義務が始まるまで、私は瞑想を続けていた。料理人が私を呼ぶ声をした。瞼を開けると、玄関の光が場違いなほどに眩しく、私は思わず視線を下げた。
床から一段低い場所、高度0メートルの地点に、整然と並べられた靴とサンダルが目に入った。その中に、ほとんど汚れていない新品同然の靴を見つけて、私は苦笑した。自分用の靴がいまだに用意されているという滑稽な事実。玄関の管理人は、私が異世界に出かけるとでも考えたのだろうか?
ともかく、使わない靴は片づけておくべきだ。私は一組の靴を手に取ると、何ら感傷的でない気分で、隣の靴箱にそれをしまった。
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