第4話 歴史、体感!


 人間、生きていて、そうそう歴史的瞬間なる一大事に遭遇するなんてことはありません。

 

 歴史を動かすには、その立場にいなくてはならないのです。

 国王とか、独裁者とか、あるいは、大統領とか、政治に関与する立場にいなくては、歴史を体感することはできないのです。


 学生時代、歴史の授業を受けていて、教授が、見てきたかのように、フランス革命の話をしてくれたときに、大いに感動して、フランスという国は、自由、平等、博愛なる近代の概念を打ち立て偉大な国家であると思っていたことが、今は、多少違った見方をするようになっていることに気がつくのです。


 だって、そうでしょう。


 シャンゼリゼで、正当な行為であるデモンストレーションを行なっている中に、何やら怪しげな思想、いや、思想などないのかも知れない、そんな奴らがまぎれこんで、敷石を外し、放り投げ、車をひっくり返し、放火するんです。


 ノートルダム大聖堂が失火で燃えて、その歴史的遺産の再建を果たせと世界から莫大な金額が寄せられたことに、今度は、福祉をなおざりにしている、路上生活者を救う方が先だと声を上げているんです。


 どこか、何かが違うって、そう感じて、ニュースを見ているのです。


 だから、きっと、フランス革命って言ったって、初めから立派な理念があったわけではないんじゃないかなんて思ってしまうんです。


 混乱と、暴動、リンチの果てに、心地よい言葉をあとで引っ付けたのではないかって、そんな風に斜に構えて見てしまうのです。

 でも、それが歴史なら、きっと、歴史っていうのは、自分たちの周りにゴロゴロと転がっているに違いないと思ったこともありました。


 学生の頃、六月のそぼ降る雨の中、アルバイト先の御茶ノ水から、電車賃を惜しんで、歩いて、日比谷公園に向かったことを覚えています。


 日米安保条約更新に反対する七十年の集会を見にいくためです。


 思想なんてありはしない、若造の頃です。

 ただ、歴史的瞬間がそこで見られるに違いないと期待してのことです。


 だって、十年前は、死者まで出して、学生がそれに反対をしたのです。


 しかし、七十年のそれは極めて、整然と、組織されたものでした。

 つまり、なにごともなく、ただ、スケジュールに従って、ものごとがつつがなくなされただけのものであったのです。


 若い私は、歴史のまざまざとした瞬間の中に身を置くことはできなかったのです。


 一抹の喪失感と、歴史なんてそんなものと自分を慰めて、私は帰途についたのです。

 歴史に遭遇、いや、歴史を作り上げる現場に立ち会うならば、政治家になるに如かずと、そう思いながらも、私は政治家になる気持ちなどさらさらなく、平凡で、地道な職業を選択をしていったのです。


 私が就いた先で、歴史が作られる気配は一向にありませんでした。


 だって、そうでしょう。

 たとえ、何かがおこっても、それは歴史の流れにも相当しない、他愛もない出来事として、忘れられていったのですから。


 世間では、しかし、さまざまな出来事が起こり、そこに政治家が関与し、日本国の筋道が作られていきました。


 日中国交回復は、私の志向に変化を与えました。


 私は、それがために、歴史学から転じて、中国文学の学徒になったのですから。

 私がもっと中国語を勉強していれば、中国貿易に就いた友人のようになったかも知れません。

 しかし、私は、歴史の本流の中に身を置かずに、緩やかな時間の流れるそこに腰を落ち着けたのです。


 しかし、そんな悠長な時間の流れる生活を送っている私に、たった一度、歴史を感じた出来事があったのです。


 場所は、名古屋駅新幹線のホーム。

 時は、1991年11月10日。


 私の乗った飛行機は、ヴァンクーバーから小牧に降り立ちました。

 私は、しばらく日本を離れていたのです。


 そして、名古屋特有の派手な装飾のバスに乗り、東京に帰るべく名古屋駅ホームに立ったのです。

 新幹線が来るまでのわずかな間、キヨスクの新聞立てに、普段見ることのない大きな活字が目に入りました。


 ベルリンの壁崩壊!


 えっ、そうなの。そんなことになっているの?

 随分と後になってわかることですが、それは一人の東ドイツ政府のスポークスマンの失言から始まったというのです。


 退屈な定例会見の場、それが終わる頃、一人の記者が、東ドイツ政府が検討してる旅行の自由化はどうなっていると発言しました。

 スポークスマンは、そうだ、それを言わなくてはならないと、うっかり忘れていたことで、少々焦りを感じたのでした。そして、あろうことか、それは直ちに実施されると、明日に正式に発表を控えたそのことを誤って伝えてしまったのです。


 直ちに、速報が東ドイツ国内に流され、同時に、世界にも発信されました。


 ニュースを聞いた東ドイツの民衆は、東西を遮断する国境監視所に殺到します。

 車は渋滞、人々はすぐに門を開けろと叫びます。

 ちょっと向こうに行って必ず戻ってくるんだからと、タクシーを雇い、ちょっと見てくるだけだからと……。

 あまりの数の人々の殺到、それに満面の笑みを浮かべた人々の表情を見て、国境警備所の責任者が、政府の判断を受けずに、独断でゲートを開けるのです。


 それが始まりで、翌日には、あの壁の上に若者が立って壁を壊したのです。


 新幹線の車内で、夕刊を手にして、ベルリンの壁で三十年近くも閉ざされた交流が、一瞬で可能になることを知ったのです。


 歴史とは、洒落たことをするもんだと、グリーン車のふかふかの座席に腰掛けて、私は思ったのです。


 あの時、私、確かに、歴史を体感していたと思っているのです。

 だって、ドイツの若者と時代を共有したと感じられて、心がウキウキしていたのですから。



 そして、今、2019年の春、私は、もう一つの歴史を体感することになったのです。


 三十年のこれまでの歴史が終わり、新しい時代に切り替わるその一連の出来事を、私は、テレビを通して、体感したのです。


 平和が続き、人々が希望に満ちあふれ、誰もが誇りある日本の輝かしい未来を確信し、美しく心を寄せ合う世界、そして、その日本文化が生まれ育つ時代が始まったと。

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Rの時代 中川 弘 @nkgwhiro

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