第9話 ゆうしゃのたびだち()
――四日後の昼。アヤカは、ギルドに居た。
アヤカが住まうローランド(町)は、都会というには長閑であるが、田舎というには人口が多い。それも、ただ多いわけではなく、流通がしっかり通っている。
なので、ギルドには基本的に人の出入りが途絶えない。まあ、よほど不景気な町でない限り、ギルドはだいたい人の出入りが多いのだが……まあ、今はいい。
問題なのは……ギルドにやってきたアヤカの顔が、あまりに酷かったからだ。
それはもう、酷い。『初見は間違いなく美人』と称される程度には整った容姿のアヤカに対して、何だかんだ話しかける事が多いダブディですら、困惑して声を掛けられなかったぐらいに。
……いや、まあ、アレだ。
そのアヤカに付き従う感じで後ろを歩く、素っ裸のイノセントに怖気づいたのも理由の一つだが、さすがにそれをアヤカの責任に……話を戻そう。
……アヤカの顔の件は、だ。
具体的には、ギャンブルで有り金全部溶かしたうえに身に覚えのない借金の催促状が届き、絶望のあまり脱糞した姿を近所の人達に見られてしまったかのような形相をしていたからだ。
言っておくが、アヤカは脱糞などしてはいない。泣き喚き恥を恥と思わぬ鋼の図々しさを持つアヤカは、変な所で度胸があるのだ。
そんな彼女が、どうしてそんな酷い面構えになっているのか……答えは、一つ。
「……眠い」
「けっこう体力あるのです、旅をするに当たって一番重要となる要素です」
それは、世の不条理を嘆いて三日三晩ベッドのうえでのた打ち回った挙句、絶望の涙を流しまくったからである。
ちなみに、本人曰く『あと2日は続けるつもりだった』らしい。
さすがに喧しくて嫌気が差した隣近所から殴り込みを掛けられなければ、本当に後2日は現実逃避をしていたのはアヤカだけの秘密である。
(……まあ、過程は何であれ、気持ちを切り替えたのです。さあ、魔王退治への第一歩なのです!)
訂正、精霊であるイノセントにはバレバレであった。やれやれ、と、呆れつつも微笑ましげな様子でアヤカを見つめていた。
……ちなみに、そんなイノセントは裸である。布一枚無い、完全な裸である。おまけに、諸悪の根源でもあるが、それは置いといて。
妖精である彼女の本体は剣。つまり、使う時は鞘から剥き出しである。だからなのか、人間の姿になっている時の彼女には、おおよそ羞恥心に該当する感覚は皆無であった。
そう、隠さない。大きくはないが歩く度に揺れる乳房も、ツルツルの股間も、まったく隠さない。
人間相手には、隠した方が良いというのは分かっている。しかし、隠すという意識が無いので、思い出した時にサッと手で隠しはするものの、すぐに忘れてしまう。
つまり、アレだ。
今にも叫び声をあげそうなアヤカも大概だが、その後ろを素っ裸で続くイノセントも大概である。やっぱり、こいつら似た者同士だ。
――お、おい、あれ、いいのか?
――良くはないけど、どうにもならんだろ。あの娘、人間じゃなくて妖精らしいから、人間の常識は通じないみたいだぞ
――なら、アイツに注意してもらったらいいだろ
――なら、お前が言いに行けよ。俺は嫌だし、周りのやつらも嫌だから話しかけないんだぞ
――な、なら、衛兵を呼ぶべきか? いくら妖精だからって、あんな恰好で出歩かれたら子供の目にも……。
――いや、それは無理だ。あいつ、牢屋の中で三食出されることに味を占めて、拘留延長を訴えたらしいから……衛兵の方から、あいつ関連で呼ぶなとお達しが出ている……
――ええ……?
――良いやつではあるんだ。ぶっとんだ頭をしているけど美人だし、何だかんだ子供には優しいし、腕っぷしも男に負けてないし……
――でも、アヤカだぞ
――そうだな、アヤカだものなあ……見た目は、本当に見た目だけは良いんだけどなあ……。
そんな感じの会話があちこちで行われているなど気づきもしないし気にも留めていないアヤカは、のそのそと……顔を引き攣らせている受付の女性の前へと来ると。
「……仲間の募集を掛けたい」
ポツリと……それはそれは嫌そうに、かつ、絞り出すように、用件を伝えたのであった。
……。
……。
…………さて、要望を受けた受付……フェロン(既婚22歳、子供は2人は欲しい)は、しばしの間、思考を飛ばした後。
「……えっと、どのような目的で募集を掛けるのでしょうか?」
とりあえず……頭に浸みこんだマニュアルに従って、業務を進めるのであった。
「魔王を退治しに行くので、」
「……あ~、そうですか。分かりました、『魔王退治の為に仲間募集、戦闘を行え、最低限の常識を学んでいる者』といった内容でよろしいでしょうか?」
「ああ、それでお願いするよ……」
ぶっ飛んだ内容ではあるが、フェロンは戸惑う事はなかった。
何故なら、毎年というわけではないが、2,3年に一回は有ると先輩職員より話を聞いていたからだ。
――曰く、魔王なり何なりを倒しに行くぞと夢見る青少年は、ある種の風物詩であるらしい。
それはある種の流行病というか、何というか。血気盛んな年頃の青少年が罹る事が多いらしく、生暖かい目で見守れば、半年と経たないうちに依頼が取り下げになるとのこと。
それまで、下手に依頼を拒否せず好きな様にさせれば良い。金を払って使命するも良し、自然に集まるのを待つのも良し。
結果は何であれ、掲載している間は、ギルドの方に金が入ってくる。掲載に当たって金額の違いこそあっても、金が入ってくるのならば受けろ……それが、ギルドの基本的な方針なのであった。
「では、掲載ランクは如何いたしましょうか? ご存じの通り、ランクはA~Gの段階に別れていて、募集に掛けるランクを下げれば、その分だけ時間も掛かりますが……」
たぶん、アヤカもその流行病に掛かったのだろうなあ……そう思いながら、フェロンは億尾にも出さずに受付を進める。
「おススメは、Cランクです。丁度、先日一つ空きが出ました。このランクですと、それほど時間を掛けずに人が……集まる可能性があるとは思われますが……どう致しましょうか?」
「Gで、お願いする……」
「え、Gですか? その、空きはありますけど、募集を掛けても来る人たちは……お世辞にも、能力は高くありませんよ。せめて、Eランクから……」
「金が、無いから……」
「そ、そうですか……分かりました。では、Gランクでの募集を掛けます」
あいにく、フェロンはその手の流行病に罹った事が無い。なので、話を聞いてもまったく分からなかった。
だが、分からなくとも言われた以上はやるのが受付業。マニュアルもあるし、事前に話を聞いていた事もあって、フェロンは落ち着いて対応していた。
「掲載日数の御希望はありますか? Gランクですので、当日までなら無料となっておりますが……」
「有料に切り替わる前に破り捨てて」
「……で、では、本日の業務終了まで有効、明日の業務開始と共に破棄となりますが、よろしいですか?」
「うん、それでいい……」
「続いて、報酬額を決めます。Gランクですと、ギルドへの手数料などを込みしておおよそ6000~7000ブルが平均値となっておりますが……」
「パンツ」
「は?」
「お金無いから、報酬はパンツ渡します」
「は?」
「俺と、コイツの脱ぎたてパンツ渡します。それが報酬です……」
「は?」
「一枚ずつでは足りませんか? なら、2枚分のパンツ渡しますので……」
「違う、そういう意味で驚いているわけではありません」
しかし、ギルドが出来てから今日まで改定と蓄積を繰り返して培ってきたマニュアルも、この日、アヤカのあまりに図々しい依頼の前では無力であった。
……。
……。
…………いや、待て、踏み止まれ、私っ!
遠退き掛けた意識が、ギリギリのところで踏み止まる。ほとんど無意識のうちに周囲へ助けを求めれば、誰もが一斉に目を逸らした。
……こういう時、ある意味一番頼りになるダブディは、調理に忙しいらしく……あ、違う。わざと忙しいフリしているだけだ。
反射的に睨み付けそうになったが、再びフェロンはギリギリのところで踏み止まる。
考えるまでもなく、ダブディの業務は調理……というか、そもそもギルド内には一切干渉出来ない。
だって、ダブディはテナントを借りている飲食店のオーナーだ。正規の職員どころか、臨時職員ですらない。場所を借りているだけの、部外者に過ぎない。
なので、本来であれば視線ですら助けを求めては駄目なのだが……それでも、フェロンは助けを求めてしまう事を止められなかった。
……とはいえ、何時までも泣き言を思うばかりでは始まらない。
気を取り直して、受付台の引き出しより取り出したファイルを開き……報酬に関する規定を確認する。
報酬は何も、現金(ブル)と限定されているわけではない。
一番喜ばれるのが現金なだけ。物々だとモノが痛んでいたとかでトラブルに成る事が多いので、結果的に現金報酬が常識となっただけである。
実際、数こそ少ないものの、報酬が食べ物ということも過去には有る。
例えば、Cランクの依頼に対して報酬が『焼き立てパン毎日3個×180日分』。これは知り合い同士だったので……というのがギルドの記録にも残っている。
物での報酬は知り合い同士が多いが、全く無関係でも『どこそこの人気店のサンドイッチを毎朝並んで購入し、持ってくる・日数120日分』というのも有った。
また、変わり種だが、報酬が『30回分ベッドを共にする』というのもあった。
これは、Bクラスの依頼報酬である。依頼主は、ローランド以外でもその名が知られた、高級娼婦の一人である。
詳細は伏せられているので分からないが、そういう報酬を提示するのは許されている。結局、お互いが納得しているのであれば、ギルドからはそれ以上の口出しはしないわけである。
(なんてこと、パンツを否定する条文が無い……!)
とはいえ……そう、とはいえ、だ。
そういうのは、一晩の代金をそれなりに取れる高級娼婦だからこそ、許されるのだ。良くも悪くも、騙せば互いに社会的な立ち位置に影響を及ぼすからこそ成立する対価なのである。
平均的なレベル(見た目にしろ、技術にしろ)の娼婦が同じことをしても、契約が成立する可能性は低い。
その娼婦に個人的に好意を持っているならともかく、現金の代わりに回数分の引換券を渡されて得に思えるかどうかであって……つまりは、そういうことなのだ。
……そう考えれば、この場合はどうだろうか。
(……見た目は良いから、身体を差し出せばCクラス……Bクラスの中位の依頼報酬として提案する事も……だけど、パンツってのは……ねえ?)
ため息と共に、フェロンはファイルを閉じる。萎びた花びらのようなアヤカの姿に同情しつつも、フェロンは……冷酷に、アヤカの肉体の価値を推し量る。
何度も同じ結論に達しているが、改めて考える……世辞抜きで、見た目だけは本当に良いのだ。
頭だって悪くない。いや、むしろ、地頭は良いのだろう。
減らず口というか、あの手この手で言い分を変えて楽して生きようと足掻くその姿にはまったく憧れないが、感心する時もある。
性格だって、悪くない。いや、むしろ、良い方だとは思っている。
恥を恥と思わぬ図太さと、恐ろしく珍妙な姿になる時もあるが、悪人ではない。基本的に子供には優しいし、約束はちゃんと守るし、老人等を無下に扱ったりもしない。
なので、身体を対価としてCクラスの報酬に宛がう……妥当だと思う。好みの違いがあるにせよ、上手くやればBクラスの冒険者も釣れるだろう……と、フェロンは思った。
「……アヤカ、念のため聞くけど、報酬はパンツだけ? 身体の方は、どうなの?」
「……すまない、そっちはどうも踏ん切りが付かない。頑張って……そうだな、手を使うぐらいなら……」
「それじゃあ、実質パンツだけのと同じね。分かった、とりあえず、それも報酬に入れておくから……」
「すまない……すまない……」
謝るアヤカの姿に、フェロンは苦笑しながら……せめて、あと5年は若かったら、もう少し吊り上げられたんだろうけれどなあ……と、思った。
……と、同時に、だ。
(……いくらGランクとはいっても、たった半日だと……そもそも、これで来る人なんて100%冷やかしだものね……)
色々と頭痛の種ではあるけれども、善良(?)な市民である事には変わりない。
傍から見ればふざけた依頼内容だとしても、だからといって、だ。
おちょくる為に依頼を受けようとする人が出ないよう……掲載期間が過ぎるまで、目を光らせておくことにした。
……ちなみに、ギルド的にはアヤカのこのやり方は実例こそあるが、あまり褒められたやり方……というか、ギルドにとって良いやり方ではない。
けれども、日ごろの行いというべきか、何というべきか……『まあ、アヤカだし……』でだいたいの人が流した辺り。
……良くも悪くも、人徳はあるのだろう。
うわ、マジで俺の年収低すぎ……!? 葛城2号 @KATSURAGI2GOU
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