1 白い獣、白いかみさま
わたしの名前は中本千奈。日本人だった。日本人だったはずだ。
黒髪黒目。平凡な家庭に生まれ、育ち、小中高と進み──死んだ。
死んだ事実は事実として受けとる。何しろ物心ついたときから病ばかりで、学校には自分の足で通ったことがない。
いつもどこかが苦しくて、いつ死んでもおかしくなかった。
だけれど、だ。
次の記憶が森の中にぽつんと一人いたというのは理解出来なかった。
一年前のことだから、当時は外見年齢小学六年生──十二歳くらいだったと推測する。
そう、記憶のある十七歳でもなければ、生まれたばかりの赤ん坊ではなく、子どもの姿でだった。さらに、見覚えがなさすぎる外国人みたいな容姿で。
とはいえ、最初は「中本千奈」のままで気がつけばどこか知らない場所にいたという感覚で、混乱に陥っていた。
そのうち、死んだと思われる記憶を思い出した。
意味が分からなかった。
死んだとして、この状況は何だ。
意味が分からなくても、生きているのだから、生きていくことになった。運よくか、人に発見されて森から町へたどり着いて。どこかに連れていかれたかと思えば、孤児院で。
身寄りのない子どもたちと一緒に生活していくことになった。
そして、徐々に世界のずれを知った。
導き出さざるを得なかった結論から言うと、転生したらしい。
正直、現代日本の若者らしく、ろくに宗教に属していなければ、輪廻転生とかいうものだったり、前世というものも信じていなかった。だって前世の記憶なんてなかったから。
それでも最期の記憶と状況を合わせて考えてみると、考えられるところとしては転生して、来世というものしかなかったのだ。
たとえ、前の自分からすれば非現実的でも、そう思わざるを得ない。
納得がいかないところもあった。
一体、西暦何年だ。
転生の可能性はいい。置かれた環境を思うとあまり良くはないけど。
問題はその環境だ。一昔どころかどれほど前かわからない時代を思わせる西洋風の街並みと、人々の服装、文化。
少なくとも住まいとなった孤児院には電気がなければガスもない。ケータイ、テレビももちろんない。
転生って、自分が生きていた時代より後に生まれるものじゃないの?
時間を遡って転生するなんて、ありなの?
とか何とか思う時代に、どうやら転生してしまったらしく。
──いつの間にか放り込まれていた世界で暮らすこと一年。
その日、セナは、早朝に孤児院を出され、街中を歩いていた。
「はぁ……」
孤児院生活も一年。
食いぶちを稼いで来いと、まとまった人数が朝に放り出されて、言葉通り食いぶちを稼いでくることになっている。
手段は限られている。
まともに相手にされないところ、頑張って物売りをしてみたり、盗みというものだった。
どんなことをしてでも、食べ物やお金を稼いで来れないと孤児院に戻っても罵倒されたり、叩かれたり、食事抜きにされたりする。
よく、生きられていると自分でも思う。
日本で、何不自由なく生きていたばかりか、便利すぎる生活をしていたのだ。最初の数ヶ月でくたばらなかったのが奇跡だろう。
「前のわたしが食いしん坊だっただけなのかな」
環境にはありがたいことに、新たな体はそれほど食事をしなくても平気な方だった。
こんな寒い中にいくらいても風邪も引かない健康体だし。
前は病弱だったから、次は健康な体やるよ、その代わり環境は悪くてもいいよな……と聞こえてきそうなのは、こちらの性格が悪いだけですか?
体は完全に別物だと確信しても、慣れないという意味で気になる点は、色素の薄い金色の髪に黄色味の強い目をしているところ。
純日本人だったセナは、黒髪黒目の自らの見た目に十七年慣れ親しんでいた。
正直金髪は西洋人のイメージで、目が黄色って。
とは言え、この世界の周りを見ると、セナからすると不自然な色の髪までもけっこう当たり前にいた。緑や、赤など。目の色も。
今、目の前を通りすぎていく人たちも。
ワンピースと言うべきか、簡単なドレスと言うべきかという服装の女性、ブラウスっぽい服にズボンという簡素な服装の男性が通りすぎていく。
言葉にすると違和感は少ないが、馴染みがある服装より、幾つもの時代分古い。加えて、国も違うような。
例えば、昔の西洋を舞台にした映画で見たことがある気がする。
ここがテーマパークの類いならすんなり受け入れるのだろうけど、残念ながら現在の生活圏内である。
セナは、一年経っても世界からの疎外感をわずかに受け、ため息をつく。
──神様、ここは、西暦何年のどこですかね。
「おいセナ」
嫌な声に呼ばれた。
こんなところで立ち止まっているんじゃなかった。
仕方なく振り向いてみると、後ろには、三人の少年がいた。
真ん中の少年が言う。
「ルースがいなくなったんだから、お前のとってくるやつ、俺達に寄越せよ」
ルース、とは一週間前まで孤児院にいた男の子だ。
セナより年下で、大人しい子で、彼らに絡まれていた。何やかんや、一緒にいるようになった子だ。
一週間前にとある家庭に引き取られて、いなくなった。
食いぶちを確保しに行く際も、ルースと行動を共にしていて、この男子たちはその分を寄越せと言ってきている。
「いやだ」
喋ると、息が白く染まった。
セナは突っぱねた。
もしも、分けてほしいという意味での要求なら、応じた。
だけれど、彼らの言い方も意識も強奪だ。
それも、こちらが採ってきて、それから自分たちに渡せと言っている。
「欲しいなら自分で採りに行けばいい。森だけど」
森、という単語に彼らが怯んでいる間に、セナは踵を返して人に紛れる。後ろから、「あ、おい!」とか聞こえるけど、もちろん無視。
「おまえなんて、魔獣に食われちまえばいい!!」
嫌すぎる捨て台詞が聞こえてしまった。
嫌なこと言わないでよ。
森は、町の外れにある。
人気は、ないに等しい。
と言うのも、この森、看板が立てられて、注意書きがしてある。
動物のような絵にバツがつけられているもので、要約すると熊注意みたいなものだという。
『魔獣』ではない。
町の人が言っていた。
遠くの町が『魔獣』に襲われて、随分人が死んだとか。『魔獣』が何かは分からないけど、獣という時点で敵わないものだということは分かる。
でもセナが最初にいた森はここで、少なくともセナを見つけた猟師と思わしきおじさんは出入りしていたと思われるので、立ち入り禁止ではない。ただ、熊の類い注意。
孤児院でも、危険だとは言われても、立ち入り禁止だから絶対入ってはいけないとは言われていない。
出る可能性はあるから、気を付けた方がいいというくらいか。
実際、あの男子たちが食われちまえと言っても、ここには『魔獣』とやらが出たとは聞いていない。
「あー大量大量」
子どもで女子なんて、町では働き手として相手にされないからお金は稼げそうにない。
最初何も知らずに、安直にきのこでもありそうなんてこの森に来たときから、きのこがいっぱい生えているからすっかり通っている。毎回同じ場所に生えているのだ。
草もたくさん生えているけど、食べられる草とか分からないから放置している。毒草とかこわい。よもぎくらいなら分かるかもだけど、よもぎはない。
きのこは色鮮やかな『毒キノコ!』と主張しているものはないからとりあえず全部収穫して戻っている。これまで特別な腹痛騒ぎはなかったから、大丈夫っぽい。
あとは熊か何か獣に遭遇しないことを祈るだけ。
命は大事だが、食料確保のためにこちらとて命懸けなのだ。
危険があったとしても、何一つ方法がなかった中、一つ方法を見つけてしまったら、頼ってしまうのは仕方ない。
それに、これまで一度も犬にさえ遭遇してないから、もっと奥に行ったら危ないのかも。
「お腹減った……」
孤児院は毎日が子ども同士のやり合い。
いつも食べ足りない子どもに食料を奪われたり手柄を奪われることはあっても、譲られたり、何か協力することはなかった。
一部は協力しているけど、いわゆる『悪ガキ』の男の子たちで、盗みを連携して行ったりしている。さっきの彼らがそうだ。
……いや、一口に悪ガキと言うのは止めよう。彼らも、生きるのに必死なのだ。
セナも生きるのに必死で、食べ物を守るのも必死にしてきた。
とはいえ、食事時にはろくに守れず、いつも少し空腹を抱えているのだけれど。
温かいご飯を食べたい。シチュー食べたい。豚汁食べたい。白いご飯、味噌汁、リンゴ……。
なんて虚しくなってくるんだろう。
こんなわけの分からない場所に来てから、冬に温かいものは食べられていない。寝るときも寒い。時々泣きそうになる。
何の罰ゲームだ。自分が何をしたと言うのだろう。転生させるにしても、前世の記憶なんてない方が幸せだと思う。
「きっのこー」
色鮮やかな毒きのこっぽいものではなく、健全そうな色をしたきのこをまた収穫。きのこ鍋したい。
きのこをぶちぶち収穫し、持ってきたぼろぼろの布に乗せていく。
「……きのこ鍋は出来そうな予感がする」
だって、お湯に味をつけて、きのこを煮るだけでしょ!?
と考える頭は煮えている自覚があった。こんなに寒いのに、煮えている。
「ご飯、食べられるだけでも、まだいいのかなぁ……」
前世の記憶があるから、なおさら強くこの環境から抜け出したいと思うのだろう。
いつか、働けるようになったら抜け出す。平和に、穏やかに暮らしていきたい。ガスも電気もなくても、せめて。
いつか──そのいつかまで、果たして生きられるのだろうか。
そんな、マイナス思考が過ったときだった。
グルルルル
低い唸り声が聞こえた。
その瞬間、セナの手は勝手に止まって、どぱっと汗が吹き出した。
聞いたことのないのに、明らかに獣の唸り声に、ある可能性が駆け巡ったのだ。
熊。
とうとう、遭遇してしまった?
「まずい、こうしてる場合じゃ──」
熊の撃退例はテレビで見たことがあれど、自分には出来ない。逃げるが勝ち。
セナは布を引っ掴んだ。
しかし、そのときには遅かった。
「──っ」
息が詰まった。
戻ろうと目で確認した方に、『獣』がいた。
熊ではなかった。
真っ黒い毛並みは、熊よりも狼のような形をして、あまりの黒さに輪郭しか捉えられなかった。
そして、その黒の中に二つ赤く光る目があった。
『獣』の姿は一つではなく、セナが固まっている間に周りから続々と出てきた。
彼らの目は、セナを見つめ、爪のような鋭い輪郭が見える足が包囲網を狭めてくる。
餌になる何秒前。
あっという間に皿の上に乗せられた気分だった。
今度は、こうして死ぬのか。
前は病気で苦しい記憶の中死んで、今度はけっこうな環境で生きている中でのこの終焉。不幸具合がえげつない。
とりあえず、獣にむしゃむしゃ食べられるより、毒きのこでも食べて死んだ方がまし──
そんなことを考えたときだった。
黒ばかりが迫る中、一筋の白い線が描かれた。白い何かが、目にも止まらぬ速さで動き、それゆえ線に見え、風が起こった。
白い線が黒い獣を一巡したかと思うと、セナが一度瞬きをした後には、黒い獣たちはなくなっていた。
代わりに、白い線の終着地点に、優美な白い獣がいた。
白い獣は、座り込んだセナに目を向ける。
色が原因なのか。襲われるという恐怖は生まれなかった。
白い獣はしばらくこちらを見て、おもむろにどこかに目を逸らした。
上に。
獣につられてセナも見た上から──白いものが降ってきた。
白いものは、獣の後ろに着地して起き上がった。白いものは、今度は人で、全身白の衣服の人が顔を上げた。
頭から、フードがばさりと取れて、セナはぽかんとした。
男性だった。見たこともない、綺麗な男性。
髪は、ミルクティーのように淡い茶色。瞳も同じ。
その色彩は、茶色は茶色なんて一口には言えない魅力を宿していた。
いや、その容貌によって強い印象を与えてくるのだろう。
非常に整った顔立ちだった。目の大きさ、鼻の高さ、顔のライン──どこにもケチをつけようのない美貌。緩い癖のある毛先や睫毛の一筋一筋までが完璧。
「ベアド、急にどうしたのですか」
男性の口が動き、耳障りのいい声が言った。
淡い色の目は、白い獣の方に向けられている。
『魔獣の気配がしたから?かな。 まあつい、だ』
違う声がした。
この場に人は、セナとその男性以外見えないのに、男性の声がした。
白い人より低い声が誰のものか分からないまま、その声が続けて言う。
『ついでにガル、子どもがいるぞ』
「子ども? 魔獣がいるのなら、立ち入り禁止区域の類いになっているでしょう」
『そんなこと言われても、いるものはいるんだ』
「おや、本当ですね」
白い衣服が揺れる。
そんなに綺麗な白を見たのは久しぶりで、その人の見たこともない美しさによって、聖なるものでも出てきたかと思った。
呆気に取られているセナに、その人は近づく。
「君、生きていますか?」
──これが、わたしに生きるための何もかもを与えるかみさまと言って差し支えのない恩人との、出会いだった
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