4 ノアエデン



 鳥に乗って、空を飛ぶのは当然始めてだった。

 飛行機に乗ったこともないけれど、飛行機よりこわいと思う。びゅうびゅう風が吹き付けてくるし、何より周りが丸見え。

 ガルが支えてくれているとはいえ、いつ落ちるか分からないという気持ちが過るものだ。

 だから下なんてとても見ていられなくて、気がつくとその地についていた。


 ──ノアエデン、という、ガルが任されているという土地。


 鳥からよろよろと降り、前方にある家を見た印象は、ガルはかなりのお金持ちのようだ、だ。

 他に建物が見当たらない場所に、大きく堂々と建つ立派な建物。

 「お屋敷」と呼びたくなる外観の「家」だった。


「ここが私の家であり、君の家となります」


 家。

 孤児院とはもちろん比べ物にならなくて、前世の現代日本の家と比べても大きくて、デザインは古くても、豪華なこの建物が家。

 自分で申し出に飛び付いておいて何だけれど、想像以上にとんでもない人の子どもになってしまうのでは?


「お帰りなさいませ、ガル様」


 外観からすると、自然とも言えるかもだけれど、セナにとっては初めての経験に見舞われた。

 執事とメイドらしき人達に出迎えられたのである。

 扉もあちらから開かれたし、扉の向こうの広すぎる玄関には頭を下げる人が綺麗に整列している。


「お客様でございますか」

「いえ、今日から私の子どもになり、ここに住むことになります」


 ガルのさらっとした言葉に、ザ・執事な外見のおじいさんはわずかに目を見開いた。

 しかし数秒で、「承知致しました」と一礼した。

 ガルの後ろに半ば隠れているセナは、視線がこっちに向いていないのをいいことに、周りを見渡した。

 本当に広い。

 玄関、と言うより、玄関ホールと言った方が良いのかもしれない。

 高い高い天井から灯りが吊り下がり、奥には扉と上に繋がるゆるい螺旋階段がある。

 お屋敷だ。

 と、何かの撮影に使われていてもおかしくない光景を見ていたセナは、一枚の絵に、目を奪われた。

 大きな絵だった。


 一言で表せば、光に満ちた絵。

 大きな美しい白い翼を持つ何かの周りに、真っ白な獣がひれ伏している。そんな絵が、壁に描かれていた。

 その『何か』は天使だ、と直感的に思った。

 美しく、神秘的だったからだ。

 そして白い翼と、白い衣服という真っ白な様相に安直に思考が引っ張られた。

 これが、どこか外国の教会や高名な美術館に飾られていても違和感がないどころか、しっくりくるだろう。


「……綺麗な絵」


 思わず、感嘆の言葉が零れていた。

 テレビや写真でしか見たことのない有名な絵画を実際に目の前にすれば、こんな心地になるのかもしれない。絵が、圧倒的な雰囲気を纏っている。


『人間が再現したにしては、及第点ってとこだよな』


 一方、そんな評価を下した声が隣から。

 見ると、例の白い獣である。

 ベアドルゥス、通称ベアドという獣は、セナがガルと鳥で移動してきた中、どうやってここに着いたのか甚だ分からない。

 いつの間にか隣にいた状態の獣は、透き通る瞳で絵画を見てから、こちらを見る。


『あれに描かれてる聖獣の姿のうち一つはたぶん俺なんだぞ』

「そ、そうなんだ……?」


 もう完全に自然に話しかけられて、おっかなびっくりな気持ちを抱えながら返事する。

 そうか、あの獣は『聖獣』という、ベアドなような存在がモデル……。

 …………。

 喋る雪豹、『聖獣』、聖画のような雰囲気の絵の中のモデルだと言われても……いまいちピンとこない。

 たぶん俺ってどういうこと?


「それに関しても、後から教えましょう」


 何が質問してもいい事柄なのか分別しかねていると、ガルが言った。


「この土地が特別である理由も後で。まずは……お風呂にでも入ってきてください」


 お風呂。


「一人で入れますか?」

「入れます」


 麗しすぎる養父が首を傾げたので、そこだけは即答した。

 入れないと言ったが最後、どうなるか。


 メイドにお風呂に案内される道中、なるほどと納得する。

 思えばセナは、この立派な屋敷にそぐわない格好をしていた。服は仕方のないことに汚れているし、お風呂なんて毎日入れた環境なはずはなかった。


「おぉ……綺麗なお風呂だ……」


 衣服を脱いで、いざ突入した浴室はとても綺麗だった。

 さすがに現代日本並とまでは言わないけど、孤児院の環境と比べると、天と地くらいの差がある。

 何だか嬉しくなりながら、頭を洗い、体から汚れを落とし、ゆっくり湯船につかった。

 これだけゆっくりお風呂に入れたのは、間違いなくこの世界に来て初めてだ。


「ふぅぅ」


 落ち着く。知らない家なんて関係ない。落ち着く。

 単に、一心地ついただけかもしれないけれど。

 身に染みるお湯を感じながら、上の方にある窓を見上げる。


「……ノアエデン……」


 院長が驚いていた土地。

 単にガルがとても高貴で、その土地だからではなく、その名前に驚いた。ガルは特別と言った、特別とは。

 今のところ特別とやらは感じない。


 ぱちゃり。


 水音が聞こえ、飛沫を肌に感じた。

 セナは動いていなかったので、セナが立てた音ではなかった。

 何かものが落ちた?

 でもシャンプーのボトルというものは存在しなかったし、観賞用の植木鉢の類いもなかった。

 いや待って。前方に、何か気配を感じる……。


「こんにちは!」


 前を見ると、途端に元気な挨拶が飛んできた。

 セナは状況を理解できず、目を何度も瞬く。

 目の前には、女の子がいた。五歳くらいの小さな女の子。

 足が届かなくて、余裕のある浴槽の中にいた。


「こん、にちは……?」


 挨拶を返したと言うよりは、ほとんど相手の言葉をそっくり繰り返すと、女の子は目を輝かせた。

 すこぶる可愛い女の子なのだけれど。


「あの、どなたですか……?」


 と言ってから、可愛い外見に似合いすぎる可愛い服を身に付けていると気がついた。

 そのままお湯に浸かっているから濡れるのではという考えも頭によぎったものの、第一は「誰」。

 瞬間的に、この屋敷に住んでいる子ども、まさかガルの子どもかという考えが浮かんできたが、ガルに子どもはいないから自分がここにいるのだ。


「わたしエデって言うの」


 エデちゃんと言うらしい。


「どうも……わたしは、セナです」

「セナ!」

「はい」


 あまりに元気よく呼ばれたから、背筋を正したくなった。


「わたしね、新しい気配がしたから、ここに来てみたの」

「そう、なんだ」


 どんな気配?

 近くに人がいるなとか、猫がいるという気配しか感じたことのないセナには分からない。


「そしたら、セナがいた!」

「……こんにちは」

「こんにちはっ」


 きらきらした視線に耐えられずにとりあえずこんにちはと言うと、倍元気な挨拶が返ってきた。

 こんにちは。


「セナ、とても素敵な気配をしているわ」

「すてきなけはい」


 それもどんな気配?


「わたし、セナのこと好きよ!」


 状況が分からなさすぎる中、あまりに純粋な好意が飛んできて驚いた。

 初対面の人に純粋な好意を向けられること自体初体験で、また目を何度も瞬く。


「それは、ありがとう……?」


 疑問系になるのは仕方ない。

 どう答えれば正解だというんだ。


「わたしだけじゃなくて、みんなもそうだって言ってるの」


 みんなも、と少女が言うと共に、天井の方を仰いだ。

 セナもつられて見て、また驚いた。


「え? えっ、えっ?」


 目の前の少女にばかり気を取られていて気がつかなかっただけなのか。

 浴室中に、光が浮いている。

 暗闇で見れば蛍のようだっただろう光が、ふわふわ浮いている。

 あれは、なに。

 光の中に、何か見えるような……。

 光の中に、何か形が見える気がして、目を凝らす。


「エデ」


 そのとき、新たな声がした。

 目を凝らすのを中止しないわけにはいかず、反応して今度は浴槽の外、出入口がある方を見ると。

 女の子と同じ年頃の、幼い男の子がいた。

 そして、その後ろにガルもいた。


「ガルさん」

「ノエル!」


 セナがガルの名前を呟いた声に、女の子の声が被さった。

 目を戻すと、女の子は男の子の方を見ていて、男の子が浴槽まで歩み寄ってきて、女の子の前に立ちはだかるようにする。


「エデ、人間には人間の玄関があるんだ。無闇に突然現れないようにって言ってるだろう」

「でも、ノエルだって感じたでしょ? 新しい気配」

「だからこそだよ。新しい人間を驚かせちゃいけない。新しい人間は慣れていないんだから」

「でも、ここはわたしたちの土地じゃない」

「ここは、領主の家だ」


 可愛い子ども同士の会話は、どうやらしっかりと落ち着いた口調の男の子の分が良かった。


「ほら、出て」

「むぅ」


 女の子がむくれながらも、浴槽から出る。

 あれ? 服が濡れてない……?

 服から滴り落ちるはずの水がなく、撥水効果? などとまじまじと見ていたら、「ごめんね」と謝られた。

 男の子だ。

 女の子の服から視線を外すと、歳のわりに落ち着きすぎた目と合った。


「いえ、お気になさらず……」

「うん。次からは気をつけさせる。ところで改めて、領主」


 男の子は、後方のガルを振り返った。


「この子は?」


 ガルは、室内に浮かぶ光を見ていた目を少年に下ろした。


「私の子どもです」

「……領主、『結婚』、だったかな。それ、してた?」

「いいえ。彼女は養子です。経緯が聞きたいのであれば話しましょう。とりあえず、彼女はお風呂中なので場所を変えましょう」

「それもそうだ。ごめんね、邪魔をした」


 男の子が、女の子を引っ張って浴槽から離れていく。


「おまえたちも行くよ」


 声をかけられた光が、ふよふよと男の子の方へ移動していく。

 そんな光景を、セナはぽかんとして見ていた。

 セナだけが何が何だか分からないまま、結局女の子と男の子は何者なのか分からないまま、この場が収まろうとしていた。


「セナ」


 そんな未来の娘の状況に気がついたか、ガルが出ていく前に声をかけた。


「色々説明をする前になりますが、会ってしまったからには先に説明を。彼らは精霊です」


 ではゆっくり浸かって出てきてください、という言葉を残して、ガルは今度こそ出ていった。

 そうして、浴室に自分一人だけという元の環境に戻って。セナは、自分だけが裸だったという事実に気がつかされた。

 呆然と自分の体を見下ろしながら、頭を占めていたのは新たな疑問だった。


 ──精霊?





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