5 最後の楽園





 大量の「?」が浮かびながらも、お風呂から上がって、服を着替えた。

 服はワンピースタイプの、上下が繋がった洋服が用意されていた。


「おや、ぴったりですね」


 浴室から出て、メイドに案内された部屋に向かうと、ガルがセナを見てそう言った。


何分なにぶん今日決まったことだったので、さすがに今日は間に合わせで許してもらう予定だったのですが助かりました」

「ちょっとしたお詫びだよ」

「あんなぶかぶかのお洋服着せるなんて見過ごせないわ!」

「エデが驚かせたことのお詫びなんだよ、エデ」


 ガルと女の子と男の子は、テーブルについていた。

 言っている内容はよく分からなかった。

 ガルに手招きされたので、示された椅子に座る。

 部屋は、ここもまた綺麗なものだった。整理整頓され、塵一つないという意味でもあり、観賞できるほどの趣の部屋だという意味でもある。

 ここまで歩いてきた廊下を取っても、浴室、この部屋を取っても、高貴な人の家という感じがする。

 前世を踏まえても、踏まえるからこそ、一般宅じゃない。


「失礼、襟が」


 前にティーカップが置かれる傍ら、ガルがセナの首もとに手を伸ばす。

 どうやら、後ろの見えないところの襟が乱れてしまっているらしい。

 せめて動かないようにして、直してもらうことにした。

 ガルの手が、セナのうなじに差し込まれ、巻き込まれていた襟を直す──その手がぴたりと止まった。


「0……7、7……?」

「え?」


 何?

 いきなり何かの暗証番号?

 三つの数字を呟いた声に、新たなはてなが浮かんだのは言うまでもない。

 ガルを見上げるようにすると、彼は視線をこちらに移す。


「首に数字が書いてあるのですが、これは?」


 セナはもう一回「え?」と言った。

 何のことか分かっていないと見て、ガルがメイドに向かって手を差し出すと、メイドが心得たように、さっと鏡を渡した。

 鏡を二枚使って、ガルは真後ろの首裏を見えるようにして、示した。


「なにこれ」


 077

 ガルが呟いた数字三つが並んでいた。薄い色合いの数字を思わず擦ってみたものの、数字は消えない。刺青のようだ。


「知りませんでしたか」


 知らなかった。

 何しろこの体、一年の付き合いで孤児院には鏡なんてなかったので。

 などということ、後半は未だしも前半は言えるはずもない。

 さすがに、気味が悪くなってくる。この体は──。


「どうしたの?」


 セナとガルのやり取りに、少年が異変を感じたようだ。少し、訝しげな表情で尋ねてきた。


「……いいえ、何でもありません」


 それに対して、ガルが答えた。


「セナ自身が分からないのでは、ひとまず後回しに」


 直した襟をぽんと軽く叩いて、ガルの手は離れていった。

 その通りだ。セナには分からない。出会ったばかりのガルも分かるはずがない。それなら、今いくら話そうと思っても、『分からない』しか出てこない。

 セナもうなじを軽く押さえて、同意の証に頷いてみせた。


「では、話の前に改めてひとまず紹介を。彼は『ノエル』、彼女は『エデ』。精霊です」

「どうも、セナ」

「こんにちは、セナ!」


 淡い水色の色彩を持つ双子のような二人は、向かい側から、それぞれ静かに、元気に挨拶をしてくれた。

 少女エデのみならず、少年ノエルもセナの名前を知った模様。

 挨拶を返すけれど、「精霊」という語句がすごい存在感を放ってくる。


「セナ、精霊のことは知っていますか?」

「いえ」


 語句は知っているが、目の前にこれがそうだと実物を提示されたことはない。


「そうですか。聖獣についても知らないようなので、予想以上に、教育が根本的なところからいりそうですね」

「すみません」

「君が謝る必要はありません。世には何も話を聞かせられず、神のことさえ知らない子どもがいるとは耳に挟んだことがありますが……。孤児院と親がおらず、あのような環境となればそうなってもおかしくないのかもしれません」


 ガルは、セナに常識的な知識がないことを環境による必然と捉えたようだ。

 セナにしては都合は良いが、申し訳なくもある。

 しかし、ガルは考え方を定めたからには気にしていないようで。


「そのわりに君は、歳と孤児院出身と教育がない背景を考えると、しっかりとした言葉遣いをしますね」


 そういうものなのだろうか。


「周りを聞いてと言いますか」


 外見以外の中身は前世からそっくりそのままだ、とも言えないので適切そうな言い分を見繕った。

 ガルに会ってから、仕方ないけど誤魔化すことが出来てきた。気を付けなければ。

 言い分を聞いたガルは、「学習能力があるのは良いことです」何やら頷いていた。


「さて、ではお茶ついでに話をしましょうか。分からないことがあれば都度言って下さい。後は、私が話している間は軽食を摘まむなりお菓子を摘まむなりしてください」


 テーブルには、クッキーなどのお菓子と、小さなサンドイッチが盛り付けられたお皿があった。

 少女エデはとっくにクッキーを頬張っていて、こちらにお皿を押した。

 「中々美味しいわよ」と。

 中々とは、それなりに厳しい評価である。

 じゃあ、とセナがクッキーを一枚取ると、ガルが話を始めた。


「この領地の名はすでに言いましたがノアエデン。世には『最後の楽園』として知られています」

「最後の、楽園……?」


 何だその、ふわふわしているようで、ほの暗さを感じる名前は。

 クッキーを齧る前の口で呟くと、ガルは微笑んだ。


「まずこの国の成り立ち、この世の在り方から教えましょう」


 ここからである。

 セナが、クッキーを食べることも出来ずにただただ聞き呆ける話が始まった。


 ──この世界には、神の存在のみならず、天使と悪魔の存在が信じられている。

 これは基本中の基本の知識のようだった。

 その昔、世界には、神と天使と悪魔と人間がいた。

 神が世界を作り、天使を産み出し、悪魔を産み出し、人間を産み出したという。

 そこら辺は、まあ、日本にもそういう神話的なものがあると知っているので何とか飲み込もう。

 いや、神様だけならまだしも、天使と悪魔はちょっと飲み込み難いけど。


「神は天に。天使も天界におり、悪魔は魔界におり、人間は地にいました。人間は、天使の祝福と加護を受けて営みを得ていました。かつての地上は隅々まで豊かで、飢えという概念もなかったと言います。天使が大地に豊かさをもたらす力を与え、産み出した精霊達が全ての地にいたからです」


 まさに楽園。理想郷のような、ただの『伝説』ではないだろうかと、思ってしまう。本当にあったかも怪しい、神話と同じ、現実感のない話。


 エデが存在を主張するように、セナに視線を注いでいた。

 精霊。人ではない、そういう存在。


「君が見たあの絵画は、天使在りし日を描いたものです。天使の元には聖なる獣が侍る、当たり前だった光景を切り取ったものですね」

『全く懐かしいってものだな』


 白く、優美な獣が姿を現していた。

 ベアドだ。

 聖獣だと耳にしていた獣。

 美しい獣と、美しい子ども。

 ガルがいかに端正な顔立ちをしていても、そもそも存在の異なる雰囲気を醸し出す彼らを周りに、不思議でたまらない心地に浸される。

 話を聞くまではそこまでではなかったのに、急に摩訶不思議な世界に迷い混んだようだった。

 心なしか、頭がくらくらする。


 だけれど、天使在りし日……?


「しかしそのような世界は二千年前崩れました。──天使が悪魔によって殺されました」

「殺、された……?」


 まさかの天使殺害事件。

 犯人は悪魔。

 異次元すぎる。


「ええ。ですから、悪魔はまだ存在しますが、天使はもうこの世界に存在しません。地と人間からはそれまであったほどの天使の加護は奪われ、天上の『楽園』は破綻しました」


 悪魔というのは、まだいるらしい。

 天使殺害事件の犯人。かつて存在した天使は悪魔に殺されてしまった。

 人間世界も余波を受け滅茶苦茶になり、滅亡に――は至らず、現在人間は悪魔とそのペットたる魔獣たちから、天使の力の名残を借りて人間の世界を守っている。

 というのが、現状だとか。


 …………正直、入ってくる情報に理解が追い付いていない。

 西暦何年かとか、セナの常識ではあり得ない髪色とか、色んな世界のずれを感じていたけれど、ここに来てずれどころか亀裂くらいの事実が放り込まれてきた。

 それもたくさんだ。

 西暦何年とか言っている場合じゃない。

 ここは、『どこ』だ。

 知らなかった世界の全容は、想像の遥か上をいき、ファンタジーすぎた。


「現在そうして悪魔側の脅威から人々を守るべく戦う職が、二つあります。それが聖剣士と召喚士です」

「聖、剣士と、召喚士……」

「聖剣士は特別な力を宿した剣である聖剣を扱い戦います。召喚士は天使の眷族である聖獣と契約し、使役して戦います。私はそのどちらでもあり、召喚士として契約している聖獣がそこにいるベアドルゥスです」


 何度目かの紹介に、聖獣はしっぽをゆらりと振った。


「セナには、そのどちらも目指してもらうことになります」


 …………な、なる、ほど…………?

 やっと齧ってみたクッキーは、味がしなかった。







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