3 父親になる人
ガルは、孤児院の責任者に早速話をつけに行ってくれた。
孤児院の院長は、突然の訪問者に一瞬訝しげな顔をしたものの、ガルの衣服の何かを見て、仰天した。
「政府の、お方ですか」
「ええ。ガル・エベアータと申します。突然で驚かせますが、セナを私の養子にします」
養子にしたい、ではなく、します。
院長は仰天して見開いた目を、今度は丸くする。
「そ、その子を? いえ、もらいたいと言うのであれば構いませんが」
院長は、あまりに唐突な事態に色々言葉と態度を繕い切れていなかった。
しかし、次の瞬間、
「……エベアータ……?」
ガルの名字を呟いて、眉を寄せる。
「どこかで……」
「承諾が得られたなら、早速彼女を連れて帰っても構いませんか。やらなければいけないことも増えたため、先を急ぎたいのです。──セナに関して何かあれば、ノアエデン領のエベアータ家に連絡を」
ノアエデン、とかいう領地の名前を聞いた瞬間だった。
院長が、今までで一番目を見開き、口をぱくぱくとさせた。
何だ何だ。今日までそんなことは一度もなかったけど、体調が急変したかと、こわくなる。
「──ノアエデン!?」
ようやく出た声は、見事に裏返っていて、セナがびっくりするはめになった。
すっとんきょうな声を上げた院長は、何が何だか混乱しているようで、さっさと話を進めるガルにセナを引き渡した。
孤児院を出ようとするガルが「お別れを言いたい子はいますか?」と尋ねてきたけれど、唯一まともに一緒にいた少年がいなくなった今、そんな子はいなかったので首を横に振った。
そうすると、ガルはセナを連れて孤児院を出る。
不思議な心地だった。
後ろを振り返ると、意味の分からない世界に放り込まれてからの住みかが遠ざかっていく。もうあそこに戻ることはない、ということに実感が湧かない。
隣にいるこの人の養子になって、これから将来を得に行く。
……と、先のことはもっと実感が湧かないのでさておき。
院長が何に驚いていたのか、さっぱり分からないセナはガルを見上げる。
服の何かを見て驚いていた、と服を見ると、マントの胸元に何かの模様が描かれていた。しかし、セナには何の模様かは分からない。
そして、土地の名前らしき「ノアエデン」という言葉にも、院長はとても驚いていた。
この町の名前と、どこにあるのかも分からない噂として聞く町の名前くらいしか知らないセナは、聞いたことのない土地名だ。
「ノアエデン? って何ですか?」
尋ねると、ガルの目がこちらを見下ろす。
「ノアエデンは、私が任されている土地の名です。もっと言えば、私が生まれた家が代々関わっている土地ですね」
「領主さん、なんですか?」
「そうです」
「院長は、どうしてあんなに驚いていたのか知っていますか?」
「ノアエデンが特別な土地だということを知っていたのでしょう。それから……その土地を管理する人間がここにいること自体に驚いたのかもしれませんね。どうやらここは砦もなく、小さな駐屯所もない田舎のようです」
ここ、田舎だったんだ。
とか、新たな初耳情報を得ながらも、特別な土地ということが気になった。
あの驚きようでは、どんな土地なのか。
──「それなりに名のある家の当主です」
さらっと流してしまったが、ガルの自己紹介に含まれていた言葉を思い出した。
それなり、とは。
特別な土地の特別、とは。
ここの田舎度合いとは。
相手と具体的に擦り合わせしなければ、個々人で認識に齟齬がありそうな、漠然とした言葉ばかりだ。
「ガルさん、は」
「ガルで良いですよ。もしくは親子になるのですから『お父さん』とでも」
「…………それは後々考えます」
外見的に親戚のお兄さんくらいだから、お父さん呼びは抵抗がありすぎる。かといって呼び捨ても抵抗がある。
今は「ガルさん」で妥協してください。
「ガルさんは」
改めて聞こうとして、聞きたいことがありすぎた。
結局、こうなった。
「若いのに、わたしみたいな年齢の子どもで良かったんですか?」
見たところ、ガルはどれだけ多く見積もっても二十代半ばか、という年齢だ。
今のセナの外見年齢の子どもでも、娘にするにはちょっと大きすぎないだろうか。
唐突な疑問に、ガルは一瞬の間を挟んで、
「ははっ」
笑った。
これまで見てきた微笑むのではなく、本当におかしそうに笑った。
声を上げて笑った彼は、「失礼」とセナに軽く詫び、微笑みの他に笑った名残を残したまま、「私は若くありませんよ」と言った。
謙遜にも程がある、と思ったのだけれど。
「もう四十五です。成人した子どもがいてもおかしくない年齢です」
続けての言葉に、呆けた。
「……四十五?」
千奈の父親より、上の数字だった。
片やどうしても相応の年齢が表れた父親に、片や不自然さもなく二十いくらの若者にしか見えないこれから父親になる予定の人。
「嘘だぁ……」
いくら何でも、外見が自然に若すぎる。思わず、そんな言葉が勝手に零れていた。
「これにはもちろん理由があります。セナもその内分かるようになればいいと思っています」
なに? 若さを保つ秘訣?
全く分からなかったけど、ガルは今はそれ以上言う気はないらしい。ただ微笑んで、足を止めてしまっていたセナを先に促した。
「さてと、ここならいいでしょう」
町を出て、森との間くらいの地点で、ガルが立ち止まった。
彼は衣服の中から、細い紐を手繰り寄せた。紐の先には、笛のようなものがついていた。
その笛を、高らかに鳴らす。
「何か、呼んだんですか?」
笛を衣服の内側にしまうガルに、問いかける。
笛で呼ぶものと言えば、犬? 馬?
「鳥です」
「鳥?」
「ええ。ここからの移動手段です。大人二人でも乗れますから、それで一度ノアエデンまで君を連れて帰ります」
いや、鳥?
聞き慣れない土地の名前云々の前に、そこで引っ掛かってしまっていた。
そういえば、この人が現れたとき、上から落ちて来なかっただろうか。木の上からではなく、もっと上──空から。
「私は元々は首都に戻る道中で、ベアドが下に下りたため、私も下りたのです。良い寄り道でした」
風が生じた。
ふわっとしたそよ風のような風で、その風と共に、大きさのわりに『それ』はすーっと静かに降りてきた。
犬なんて比べ物にならず、馬よりも何倍も大きな鳥が現れていた。
羽毛は灰色。翼も大きく、胴体も大きく、嘴も大きく鋭く、目も鋭い。黄色の目と目が合った気がした。
とりあえず、大きすぎる鳥だった。
「……大きい」
『何だセナ、見るの初めてか?』
「!?」
前から知り合いだったように声をかけてきたのは、鳥よりも忽然と現れた白い獣だった。
さらりと毛が触れて気がついて、驚きで心臓が一瞬止まった。
「この辺りでは見られない移動手段でしょうか」
『そうか。田舎だって言ってたな!』
ガルの言葉に、白い獣が笑う。
もう疑いようもなく、この獣が喋ってると思った。声と、表情がリンクしすぎている。
そんなセナの様子をどう解釈したのか、はたまたただの思い付きか、ガルが「そうでした」と言った。
「彼の紹介がまだでしたね。改めて、彼はベアドルゥス。私はベアドと呼んでいます」
『セナもそう呼んでいいぞ』
それはどうも。
白い獣ことベアドが待つようにこちらを見るので、試しに「ベアド」と呼ぶと、ベアドは満足そうに尻尾を振った。
「彼は、私と契約している聖獣です」
聖獣?
喋るペットとは、といい加減新たな世界認識のずれに追い付けなくなっていたセナは、ガルを見上げることになった。
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