あの日、僕が出会った妖怪は……

烏川 ハル

昔を想う

   

 あれは、僕が小学生の頃の話だ。

 当時の僕は、中学受験のために進学塾にかよっていて、その帰りは、かなり遅い時間になっていた。

 ちょうどかよっていた小学校も、塾から家まで歩く途中にあった。表通りと裏通りに挟まれる格好の小学校で、塾への通学路はその裏通りの方だった。


 その日も僕は、小学校に面した裏通りを歩いていた。空にはお月様が浮かんでいるような時間帯だ。

 すると、バシャバシャって水音が聞こえてきた。

「……え?」

 不思議に思ったけれど、すぐにピンときた。誰かがプールで泳いでいるんだ!

 言い忘れたが僕の小学校のプールは、表通りからは離れているものの、裏通りからは近い……というより『面している』というくらいの位置にあった。だから当然の推理だった。


 子供というものは好奇心旺盛だから、僕も気になってしまった。

「こんな夜遅くに、誰がプールを使ってるんだろう?」

 僕の小学校に、夜間の公式イベントはない。絶対、勝手な利用に決まっている。ならば僕も勝手に入って、その正体を突き止めてやろう!

 まあ今とは違って、公共施設の管理もゆるい時代だったからね。夜間の警備員なども、ろくにいなかったはず。

 裏通りに面した塀には、小さな子供ならば入り込める隙間もあり、そこから僕は夜の小学校に忍び込んだ。

 誰もいない学校に忍び込む、という行為だけでも、子供にはワクワクする経験だ。でも厳密には『誰もいない』わけではない。なにしろ、プール無断使用の犯人がいるのだから。むしろ『犯人』を捕まえる少年探偵――ジュブナイル小説に出てくるような――の気分だった。


 そして、プールに近づいた僕が、金網越しに見たものは……。


 ちょうど一休みのタイミングだったのだろう。プールのへりにチョコンと座る、綺麗なお姉さんだった。

 すらりとしたお姉さんが、水から上がったばかりの濡れた姿で、月の光に照らし出されている。なんとも幻想的な光景で、お姉さんを見ていると、童話で読んだ「岩に腰を下ろして王子を想う人魚」の絵が頭に浮かぶくらいだった。

 もちろん、お姉さんは人魚ではない。魚の尾でなく人間の足を持っていたし、紺色の水着だって着ている。

 水泳の授業や海水浴場で見るようなタイプではなく、もっとちゃんと泳ぐ人が着るような、ちゃんとした水着だ。当時の僕は『競泳水着』という言葉こそ知らないが、その存在は理解していたんだ。

 そうやって、しばらくの間、僕は見とれていたんだと思う。

 僕の気配に気づいたらしく、お姉さんがこちらを向いて……。

 目が合った。

 色々な意味で、僕はドキッとしてしまう。でもお姉さんがニッコリと笑うので、僕は心が穏やかになった。

 だから、僕の方から口を開いた。

「お姉さん、誰? ここの生徒じゃないよね?」

 本当は『先生じゃないよね?』と聞くべきだったかもしれないが、まだ教師になるほどの年齢には見えなかった。僕たちよりずっと上で、女子大生よりは年下。そんな感じだった。

「あら、ごめんなさい。勝手に使って。ええ、生徒じゃないわ。この小学校に私がかよっていたのは、もう、はるか昔……」

 お姉さんは、懐かしそうに周囲を見回す。「この学校も随分と変わった」と言いたそうなのが、その目を見るだけで僕にもわかった。

「お姉さん、卒業生なの? じゃあ、僕の先輩だ!」

「フフフ……。そういうことになるわね」

「じゃあ、お姉さん。こんな時間に忍び込まなくても、ちゃんとした時間に泳ぎに来れば……」

 プールには開放日もあるけれど、あくまでも生徒が対象で、卒業生は利用できないだろう。しかし子供の僕には、そんな理屈もわかっていなかった。

「あら、それは無理よ。だって……」

 今述べたような『理屈』とは別に、お姉さんの方にも、正式な利用は出来ない理由があるらしい。直接それを口にする代わりに、お姉さんは遠い目で語り始めた。

「今でこそ、こんなに泳げるようになったけど……。生前の私は体が弱くて、水に入ることも出来なかったの。プールは私の憧れの一つだったのよ」

 お姉さんはクスッと笑うけど、僕はビックリしてしまう。彼女の『生前の私は』という言葉で、気づいたんだ!

「お姉さん! 幽霊だったのか!」


 そう。

 卒業生。はるか昔。この学校も随分と変わった……。

 それらの言葉で、僕は少しだけ「そんなに大改修、あったのかなあ? このお姉さん、そこまで昔の人じゃないのに……?」と、疑問に感じていたんだ。

 でも、それも氷解した。見かけは『お姉さん』だけど、実は、古い古い幽霊なのだとしたら……。辻褄が合う!

 ところがお姉さんは、僕の言葉を聞いて笑いだした。

「あらあら。私、幽霊じゃなくってよ。安心してね。ほら、脚だって、ちゃんとあるもの!」

 そう言って面白そうに、両脚をブランブランさせる。

「でも、今『生前』って……」

「ええ、そうよ」

 お姉さんは、平然と言葉を続けた。

「私、一度死んで、生まれ変わったの。妖怪として」


 妖怪。

 幽霊ではないけれど、やっぱり人外の存在だ。

 でも、幽霊よりは親近感がある。「生きているんだ、友達なんだ」という仲間意識。それが、その瞬間の僕の気持ちだった。

「妖怪……? それじゃあ……」

 あらためて僕は、お姉さんをジロジロと眺めてしまった。水着姿のお姉さんを、上から下まで。

 どう見ても、人間にしか見えない。人間そっくりの妖怪――特に美しい女の姿――として、真っ先に思い浮かぶのは……。

「……お姉さんって、雪女?」

「あらあらあら!」

 また笑い出すお姉さん。先ほどよりも大きな声だ。

「雪女のわけ、ないじゃないの! だったら今ごろ、プールも凍っちゃってるわ。ちゃんと私は、泳げる妖怪に転生させてもらったのよ……」

 そう言ってお姉さんは、自分の頭に手を伸ばした。

「ねえ、知ってる? 狸や狐が、の葉を頭に載せて、人に化けるって話……」

「あっ! それじゃあ、お姉さんは……」

 狸か狐の妖怪。そう言いかけた僕より早く、お姉さんは言葉を続ける。

「こうやって私は、生前の姿に化けてるの。憧れてた水泳選手の競泳水着をイメージして、ね。今、正体を見せてあげるわ」

 お姉さんは頭から、丸くてひらたいものを取り外す。水着姿の時には見えていなかったけれど、そんな変身アイテムを装着してたらしい。

 すると……。

 目の前にいた『水着姿のお姉さん』は、なまめかしい緑色の妖怪に姿を変えた。

 ちょうど当時、お酒のCMに出ていたヤツだ。

 お姉さんはカッパだったんだ!


 カッパのお姉さんは、近くの池で、カッパの仲間たちと暮らしているんだという。

 でも近々、その池で大規模な護岸工事が行われることになった。『護岸工事』というと、池を綺麗にしてもらえるイメージかもしれないが、実際には、かなりの部分を埋め立てられてしまうらしい。

 そうなると、もう、その池には住めない。お姉さんの集落は、みんなで別の池へ引っ越すことを決めたんだそうだ。

「だから、もう最後の機会だと思ってね。懐かしの小学校のプールに、泳ぎに来たってわけ」

 お姉さんは緑色の姿のまま、そう言って笑っていたが……。

 そんなお姉さんの境遇よりも衝撃的だったのが、「カッパの皿は変身アイテムだった!」という真実。そのインパクトが強くて、お姉さんの話も、あまり耳に入ってこないほどだった。



 ……あれから、長い年月が過ぎた。

 今でも時々、小学校の近くを通ることがある。すっかり様変わりしてしまったけれど、あの思い出のプールは健在だ。かなり改修はされたものの、一応、同じ場所に残っている。

 あのカッパのお姉さんとは、二度と顔をあわせる機会はなかったが……。

 大人になった今でも僕は、あの日のことをしっかりと覚えている。

 特に、こうして月を見ながらカッパのイメージが強い酒を飲んでいると、鮮明に思い出すのさ……。




(「あの日、僕が出会った妖怪は……」完)

   

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あの日、僕が出会った妖怪は…… 烏川 ハル @haru_karasugawa

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