第5話 春の音


 この時期になると決まって聞こえてくる音があります。


 雉のカーンという、静寂を打ち破るような高い音ではありません。 

 鶯の心地よい声も、突然に響いて、驚くことがありますが、そのあとに、心に和らぎを与えてくれるそんな音でもありません。


 その音は断続的に響きます。

 それも、低い音で、あちらこちらで呼応し合って、響き渡るのです。


 我が宅の裏手、そこにはつくば名産の芝、白菜に並んで、広い田んぼがいくつもあります。


 この連休中に、この辺りでは、田植えが行われるのです。

 あたり一面、水が張られて、筑波のお山もその水面に映り、この辺りは、あたかも水の国になったかのように、変貌を遂げるのです。


 このような光景になるために、今、トラクターが入って、田んぼをかき回し、水を張るために農家の人たちが盛んに働いているのです。


 そして、耕された田んぼに、じっと、土の中で息を潜めていたのか、そして、暖かい春の日差しを受けて、卵から孵って、オタマジャクシになり、一足早くカエルになったオスたちが、盛んに鳴きだすのです。


 最盛期になると、うるさいほどになります。

 そして、雨が降った後、彼らは、自分たちが暮らす田んぼと雨水であふれる道を混同し、たくさんが車に轢かれて、その死骸を晒すのです。


 中には、大きなガマガエルなどもいます。


 哀れだなと思いながらも、私たちは、それを避けて道を歩くのです。

 それを悼むのか、道の側の田んぼでは、仲間たちがいつにもまして、低い声で、泣き喚くのです。


 いや、そんなことはありません。


 彼らは、メスを求めて、ただ鳴いているに過ぎないのです。

 子孫を残すために、この田んぼの土の中に、来年、また、子孫を孵すために営みを繰り返すのです。


 春になって、天候がすっきりとしません。

 雨も多くなり、外に出られないのは、私としては、厄介なことです。

 書斎から、うらやましげに外を伺い、雨音に耳を傾けるのです。


 そういえば、雨音も、ここ、つくばでは、風情があります。


 我が宅の西の空き地に、雨が降る音は、また格別であります。

 人さまの土地ですが、この方は東京で暮らし、一度もここにやってきたことがありません。

 知り合いの不動産屋さんによれば、随分とお年を召され、なんとか売りたいと思っているようですが、なかなか、買い手がつかないとぼやいていました。


 そんな土地、私、もう、かれこれ、二十年近く、草刈りをしているのです。

 ほおっておけば、雑草がはびこり、そのタネがわた宅にも押し寄せて、我が庭は雑草に侵食されてしまいます。

 綺麗にしておけば、害虫も寄せてきません。

 何より、むき出しの土のありようがなんともいえません。

 コンクリートと違うのは、土が陽の光や雨を吸い込んでくれることです。

 反射させるのではなく、それらをスッと吸い込んでくれるのです。


 雨が空から振れば 思い出は地面に染み込む


 そんな歌詞が思い出されます。

 そんな光景を窓越しに見ていると、別の低い声が響き渡りました。

 姿勢を低くして、我が宅のヤマモモの木を見上げます。

 

 ヤマバトです。

 果たして、ヤマモモの枝に巣を作るのかしら。

 だとしたら、うるさくなる。

 あの低い声で、クークーポーポーとやられたら、たまらんとまゆをひそめるのですが、それもこれも自然のなすことと思い直したのです。


 あと、耳にしていない音は何かしら?


 雉、雲雀、鶯、カエル、雨音、ヤマバトときて、そうそう、忘れていました。

 お子たちの声です。

 休みで、家にいるお子たちのにぎやかな声です。


 子供が少なくなったと、人がいないと世間では騒いでいますが、ここらあたりはまだ、子供たちであふれています。

 その子供たちのにぎやかな声が、これらに加わるのです。


 そして、私はウッドデッキで、「春の音」たちを満喫するのです。

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卯の花の咲く頃合い 中川 弘 @nkgwhiro

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