第26話 禁断の果実に手を出す者はいない

新谷 京平から心ない言葉を浴びせられた相崎 智美は、失意の中、目的地もないままに、彷徨さまようように街を歩いていた。好きな男に振られたからではない。相崎 智美と言う人間を完全否定された事が、何よりもショックであった。

子供の頃、長男として自身の跡継ぎと期待していた父親は、直ぐに泣きべそをかいたり、女の子のようにナヨナヨとした態度をとる智美を、何度も叱りつけたり、時には折檻をした。智美には父親がどうしてそんなに自分に辛く当たるのか、理解出来ずにいた。

それからやがて幼稚園に通うようになり、自分自身に原因の分からぬ違和感を感じるようになった。その違和感の正体について徐々に理解していったのは小学校へ上がって、高学年になった頃だった。それまで体育の授業などで着換えをする時、男女関係なく、同じ場所で成されていたのが、別れて着換えるようになった。その時に男女の身体の仕組みの違いに気付き、自分は思っている身体の仕組みとは違っていると気付いた。その事を他の誰かに言える訳はなく、辛い想いだけを抱えて生きていた。しかしそれを隠すように、周りの人間と良好な関係を築くべく、努めて明るく、男らしく振る舞った。その事が、智美を人気者へと押し上げていったのだった。

高校生になった智美は、そんな自分を解き放ってくれる人物との出会いを果たす。それが同級生の大瀧 修士だった。修士も始めは智美を普通の男子だと思い接していた。そして二人は親友のような関係になったが、智美は淡い恋心を抱くようになった。

そんなある日の夏、プールの授業中に同級生の一人が、水中で脚をらせ、溺れてしまった。元々運動能力の高かった智美は、プールに飛び込みその同級生を救助した。その際に、溺れて暴れる同級生の足が、智美の水着に引っかかり、脱げてしまった。それに気付かなかった智美は、そのままプールから上がり、皆んなの前で下半身をさらしてしまった。同級生の窮地を救ったヒーローであるはずの智美だったが、思春期の男子高校生たちの事である。智美は嘲笑ちょうしょうを浴びてしまった。智美は下半身だけでなく胸まで隠して、女の子のように更衣室へ逃げ隠れた。

智美の異常な様子に気付いた修士は、脱げた水着を持って智美の元に行き、理由を聞いた。胸が張り裂けそうな智美は、隠してきた秘密と、修士への想いをぶちけた。修士は何も言わず智美を抱き寄せ、頭をでた。

しばらくして、修士主導の元、智美を救う為の募金活動が始まった。当初は誰からも理解を得られなかったが、修士は智美の心は異常でも変人でもなく、ただの個性だと主張した。足の遅い者に「お前は成長障害がある人間なのか?」と問うた。成績の悪い者には「お前は頭がおかしな人間なのか?」と問うた。やたらとアニメに詳しい者には「お前は変態なのか?」と問うた。「皆んなそれぞれの個性だ。智美が男性ながらに心に女性を隠し持つ事も、皆んなが抱える個性の一つだ」と叫んだ。

やがて一人の教師が募金活動の輪に加わった。それに続けとばかりに輪はどんどんと広がりを見せ、教師のリサーチを受け、性転換手術が実現したのだった。

念願の女性の身体を手に入れて帰国した智美に、修士は告白をした。驚いた智美だったが、修士は「男でも女でもなく、人間としての相崎 智美が好きだ」と言った。


「やっぱり私を心から愛してくれるのは修士だけだった。私と言う "禁断の果実" に手を出す事が出来る男性ひとなんて、もうこの世にはいないんだ」街を彷徨う智美は、修士を喪ってしまった現実がフラッシュバックして、例えようもない暗闇に突き落とされてしまった。気付けば県境に架かる橋の上にいた。智美は下流の方に、身を乗り出すように欄干につかまった。

「このままここから落ちて、川に流されて行ったら、修士のいるところに流れ着くかしら?修士…会いたいよ」今にも身を投げ出そうとする智美の背中から、声が聞こえてきた。

「智美さん?」智美はゆっくりと振り返った。

「しゅ…修士?」悲しみのあまりに幻想でも見ていると言うのか。それとも本当に身を投げてしまったのか。

「やっぱり智美さんだ。どうしたんです?」それは智美が初めて見た時から、修士の面影を感じていた、千脇 伊織であった。

「ち…千脇さん?」智美の瞳から、大粒の涙が止めどもなく流れた。

「どうしたんだ。智美さん。好きな人と幸せにしてたんじゃなかったのか?」伊織は智美の両肩を掴んで、迫るように聞いた。

「千脇さん…私ね、男なの。だから好きだった人にも貴方にも、愛される資格なんかないのよ」その場に崩れるように力を失くした智美を、伊織はしっかりと支えた。

「何を言ってるんだ。智美さんが男だとして、それがどうだと言うんだ。俺は貴女を初めて見た、あの赤ん坊を助けた貴女の姿が、今も頭の中から離れない。俺は男でも女でもない。相崎 智美と言う人間を愛したんだ!」智美には修士が生まれ変わったようにしか感じられなかった。いや、修士のように自分を一人の人間として、一人の女性として見てくれる存在がまだいたのだ。

「伊織さん、ごめんなさい。私…貴方のような人に、酷い事を…」

「もう良い。もう良いんだ」真冬の空気が澄んだ月下の元、二人は唇を重ね合わせた。



          〜The End〜

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禁断の果実 岡上 山羊 @h1y9a7c0k1y2

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