きみに会うための440円

ぴおに

第1話 僕と亀次郎


 僕と亀次郎が初めて出会ったのは、僕が赤ちゃんの頃。僕は全然覚えていないけど亀次郎を見ればどんなに泣いていてもピタリと泣き止んだらしい。

 離れると泣くので、なかなか家に帰れなくて母さんは困ったのよと愚痴られたけど、そんなこと言われたって僕も困る。


 亀次郎は僕らの街のマスコット的存在で、駅前の小さな人工池にいる亀だ。水生生物が大好きな僕は、よく母にせがんで亀次郎を見にきた。バスに乗って駅前に着くとターミナルの反対側にある池まで一目散に駆け出した。それも追い掛けるのが大変だったと母さんの鉄板の愚痴ネタになっていた。だって僕は亀次郎を早く見たいんだから仕方ない。


 それから月日が経ち、僕の興味は水生生物からゲームに移り変わり、亀次郎を見に行くこともなくなった。母さんに「亀次郎、見に行かない?」と誘われても行かなかった。あんなに愚痴っていたのに、母さんはちょっと残念そうだった。


 ある日、区報を読んでいた母さんが言った。


「あら!亀次郎いなくなるんだって」


 駅ビルの建設と同時に、駅前のターミナル周辺も改装され、人工池は撤去されるという記事が出ていた。もう見に行かなくなって随分経つけれど、いなくなると思うとなんだか寂しい。


 亀次郎がいなくなる日、僕は亀次郎を見に行くことにした。自転車で行くつもりだったのにその日は雨で、仕方なくバスで行くことにした。母の日にプレゼントを買うために貯めていたおこづかいの中からバス代の440円だけ抜き取った。


 バスを降りて反対側の池のほうを見ると、何人か立っているのが見えた。今日が最後だからみんな見に来ているのだろうと思ったけど、池の前に来て驚いた。立っていた人達は見物ではなく、募金を募るボランティアだった。池をもう一度新しく作れるように募金を募っていた。


 亀次郎はそんな事情も知らず、どこ吹く風といった顔でいつものように飄々としていた。岩場の影に隠れ、じっとこちらを見ている。


 亀次郎、僕は中学生になったよ。


 心の中でそう報告すると、帰りのバス代を募金箱に入れた。


 帰ろうとしてバスの降車場を通りすがった時、到着したバスからパート帰りの母さんが降りてきた。


「あら、こんなところで何してるの?」


 僕は母さんともう一度亀次郎を見に行った。


「母の日のプレゼントのためのお金、バス代と募金で少し使っちゃったよ」


「いくら使ったの?」


「440円」


「そう。じゃあ今から440円分プレゼントしてちょうだい」


「今から?」


「歩いて帰るのよ。二人分のバス代440円分」




 雨は上がって、綺麗な夕陽が差している。

夕飯の買い物を済ませ、僕らは歩いて帰った。

母さんとこんなに話したのは久しぶりで、こんなに嬉しそうな母さんも久しぶりだった。僕はちょっと照れくさかったけど、新しい池が出来たら、また一緒に亀次郎を見に来ようと言った。

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