第18話 入学式

 セージュという街はバス・イー魔術学院を中心に据え、放射円状に第一区画から第九区画までが定められている。

 区画と区画の間が全て壁で仕切られているということも無く、シルヴィオの話だとそもそもセージュには法律としてそういった区分は無いのだとか。

 ただ、バス・イー魔術学院から距離が離れるにつれ治安が悪くなっていくというのは現実の問題として存在する。


「だからって、どうにもできねェしな」

「第九区画に住む人たち、ここ十年ですごく増えたからね。その分治安も悪くなったし、ノアの言うヴォー……だっけ、には感謝しなよ」


 第二区画の僕たちの泊まったホテルから魔術学院行きの馬車に乗り込んだ僕らは、その車内でそんなことを話す。

 隣でガチガチに緊張しているフリーダはローブ姿だが、彼女のその姿を見たのは初めてだ。

 長めの髪を後ろで一つにまとめてポニーテールにしており、馬車の揺れでそれがぴょこぴょこと揺れるのが可愛らしい。


「……っと!」


 ぼうっとその横顔を見つめていると、前触れなく馬車が急停止し前につんのめった。

 中から外を覗くと、そこにはたくさんの人がなにかの文字や絵を書いた木の板を頭上に掲げ、さらに大声を上げながら道路を占領している。


「なんの騒ぎ?」

「知らねェのか?……そうか、アイツらが出てきたのはオマエが卒業したくらいだったか」


 シルヴィオの言葉に合わせるように馬車のドアがノックされ、開けるとそこにいたのは初老の年齢に達したこの馬車の御者であった。


「すいませんね。道、変えますんで」


 言うなり彼は馬車を元来た道に方向を転換して走り出す。

 ガタゴトと小気味よい音を響かせる馬車の中、首を傾げながらノアは口を開く。


「それで、シルヴィオ。あの人たちはなんなの?」

「『アンチ魔術連合』さ。魔術をやめて科学だけで暮らそうっていう……まぁ、過激派だな。そんなこと出来るわけねぇってちょっと考えたらわかりそうなもんなのによ」


 魔術が嫌い、という人たちがどうしてこのセージュにいるのだろうか。聞くとウィリーが曖昧に笑い、それきりその話題は終わってしまう。

 そんなハプニングはあったものの馬車は順調に歩を進めてゆき、第一区画を抜け、魔術学院へと繋がる大橋に差し掛かった。

 シルヴィオに促され、馬車の窓から外を覗くとそこには堂々とそびえたつバス・イー魔術学院の姿があった。


「おぉ……」


 巨人でも軽々通れるような正門をくぐった先にあるのは見渡す限りの草むらだ。

 そよそよと吹く風に合わせてそこに咲く草花が新たな門出を祝って歌っている。比喩ではなく、風にそよいだ草や花が物理的にコーラスを奏でていた。


「へェ、今年はえらく気合のこもった演奏してるじゃねェか」

「……そもそも、なんで当たり前のように植物が喋ってるの?」

「魔術学院だから、としか言いようが無いよなぁ。そんなこと、考えたこともないや」


 馬車は草むらの中に伸びた道をゆっくりと進んでおり、その中でシルヴィオが小さな声でそんな感嘆を口にする。

 それを不思議がるフリーダに、ウィリーがまた首を傾げて返す。

 僕が窓を開けると、草花の歌声が鮮明に聞こえてきた。


『魔術師の卵たちよ、バス・イー魔術学院へようこそ』

『あなたはどんな夢を持ってここまで来たの?』

『ここはとっても楽しい場所。私たちと一緒に遊びましょう』

『水をかけて、虹を見せて。もちろん、あなたたちのお友達だって大歓迎!』

『もちろん、自然に優しいことが大前提だけどねっ』


 今年が例年と比べてどう、とは僕には分からないがシルヴィオが言うならそうなのだろう。

 馬車が草原を進む十五分余り、草花はそういったことをメロディに乗せて歌い続ける。


「うっわぁ……」


 草原を抜けると、その先には正門と同じくらいの巨大な門があり馬車での移動はそこまでだ。

 乗る前に御者に代金は渡してあるので、馬車が止まった瞬間に僕とフリーダは外へと飛び出る。門をくぐった先に広がるのはバス・イー魔術学院、その全貌。


「……すっごいね」

「うん……」


 その光景を見てフリーダの口からこぼれたのはありきたりな感動の言葉。僕もそれに同意を示すしかない。

 五十メートルはあるのではないかと思われる三角屋根の、煉瓦で形作られた縦に長い建造物。そこから前後左右に伸びるのは、それを横に長くしたような建物。よく見ると鷲や虎を表現したと思しき細かな装飾が施されている。

 それが核だ。

 その建造物を囲むように背の高いいくつもの学び舎が何重にも渡って立ち並ぶと同時に、修道院だろうか、真っ白の丸屋根の建築物。その端には透明な球体に覆われたなにかのフィールドが存在感を放っている。

 ただ、周りに立ち並ぶ建造物がおまけなのかと言われればそうではない。

 その全てがバス・イー魔術学院を構成するのに必要なパーツであり、なくてはならないものだと感じることができた。

 ただ、その上で。


「変……というか歪、なのかな」


 魔術学院、「天高くそびえる塔バベル」と同程度、世界最大の建築物を始めて見た僕の感想はそれだ。

 元々存在したものに、同じものに感じられるよう無理矢理違和感を無くしてくっつけられたことにより生まれたほんのわずかな引っ掛かり。

 首を傾げる僕の横で、ウィリーは顎を触りながら怪訝な表情で魔術学院を見つめている。


「んー……。どう見てもボクがいた時より大きくなってるよな、ここ」

「今の魔術でも学院の秘密が全部分かったとは言えないからな。そういうこともあるだろうさ」


 行くぞ、とシルヴィオは面倒くさそうに顎をしゃくり、彼の後に続いて僕たちはその中へと足を踏み入れた。

 門から一番近い建物の一階部分から続く長い通路にはたくさんの絵画が飾られており、その中の一つ、安楽椅子に座り眼鏡をかけて本を読む老婆がごく自然に話しかけてくる。


『坊や、坊やも新入生なのかい?』

「え。……はい」


 草花が歌い踊るのだから、絵が話しかけてもおかしくはない。たぶん。一瞬跳ねた心臓を元に戻し、絵画の老婆と冷静に目を合わせた。


『そうかい、君みたいに幼い子も……いや、見間違いかねぇ。年は取りたくないもんだ……。呼び止めて済まなかった、会場はもう少し先さね』

「はぁ……」


 よく分からないが老婆に別れを告げ、少し先を歩いていたフリーダに寄り添って歩く。


「……ノアくんは、緊張とかしてない?」


 彼女は僕の方をちらりと確認し、視線を下に向けたままそんな独り言を吐き出した。

 その声は小さく、少し前を歩くウィリーやシルヴィオには聞こえていないだろう。


「わたし、ここにいていいのかな」

「……?」

「確かに試験には受かったよ。けど、わたしはどうやったって非術師の家系だから……なんだか気後れしちゃって」


 昨日は全然そんなこと思わなかったのにね、とフリーダは曖昧な笑顔を浮かべた。


「……よく、分からない」

「だよねぇ。わたしもよく分かんない」


 たは、と彼女は困ったように笑う。

 非術師……魔術師の家系に生まれていない、ということか。それがこの場所にいてはならない理由になるのなら、それは僕だってそうだ。

 森の中のあの家で目覚めてから一ヵ月弱。

 まだ分からないことのほうが圧倒的に多いこの世界で、今分かっていることが一つある。


「だけど」

「うん?」

「この場所だったら、僕の目的は叶いそうな気がする」


 自分らしく生きること。

 フリーダの目的は、隣の人を守れるように強くなること。覚えている、忘れるはずがない。

 でしょ、と横を向くと、彼女は驚きに目を丸くして僕を見つめていた。


「そう、ね。うん、そう。わたしもそう思う。……あー、そっか、なにを一人で悶々としてたのかしら、わたし。……ありがと、ノアくん」

「どういたしまして」


 そして通路の終着点。

 おぉい、と扉の前で手を振るシルヴィオに呼ばれて二人で駆け出す。


「それじゃ、ここが入学式の会場だ。部外者は入れねェんで俺はここまでだが……四年間、楽しめよ。応援してるぜ」

「ありがとう、シルヴィオ」

「ありがと、シルヴィオさん!」


 彼は最後にポンと僕たちの頭に手を置き、


「行ってこい!」


 パン、と背中をたたいて送り出した。

 彼に見送られ会場の中に入り、それを確認したのか自動で扉が閉まる。

 数百人は余裕で入りそうなほど大きな部屋には四つの長机が縦四列に配置されており、それを囲むように置かれた赤色の豪勢な椅子には僕たちと同じ新入生が既に集まっていた。


「これ、どこに行ってもいいのかな?」

「どうだろ。決まってるかもしれないけど……」


 周囲を見渡しながらゆっくりと歩いていると、既に席についていた新入生たちが僕たちにちらりと視線を向け、その中の一人が「なぁ」と話しかけてきた。


「?」

「お前らDクラスは一番向こうだ。ここはAクラスだからな」


 短い金髪をワックスで逆立てた少年は、ニタニタと笑いながら四つある長机の一番端を指差した。


「ありがと」


 金髪の新入生に短くお礼を言い、示された場所に向かう。

 四つの長机はその人の所属するクラスを示していたのだろうが、だとすると彼はどうして僕たちがDクラスだと断言したのだろうか。

 ……まぁ、いいか。

 Dクラスの長机に向かい二人横並びで空いている席を探していると、そこに見知った顔があった。昨日であった二人……一人は言葉を交わしてはいないが、彼らと目が合った瞬間「あ」と彼らを指差す。


「昨日の泥棒!捕まったんじゃなかったの!?」

「ヴォー!キミも新入生だったのか!」


 げ、と泥棒が苦々し気な表情を浮かべ、小さくあくびを浮かべたヴォーが小さく微笑む。


「まぁな。ノア、オマエも無事に着いたみたいで良かったよ」

「んだよ、ヴォー、そいつらと知り合いだったのか」


 ヴォーの向かいの席でチッと舌打ちをするのは、昨日ノアが「雷よ走れアンクゥドゥジュ」で撃ち抜き、赤服に連行されたはずの少年だ。


「犯罪者がどうしてこんな場所にいるのよ」

「恩赦だよ。新入生だから見逃してもらったのさ」


 はっ、と唇を吊り上げて笑みを浮かべる少年に、フリーダは敵意をむき出しで「最低」と吐き捨てた。


「おい、煽るなスカンダ。お前たちも席につけ、式が始まるぞ」


 僕はヴォーの右隣に、フリーダはその僕の隣に座り少し離れた泥棒の少年……スカンダとにらみ合いを続けている。

 ざわざわと各々の会話を続ける会場の中で、僕も椅子に座りあたりを見渡す。

 瞬間、なんの前触れもなく部屋が静まり返った。


「……ん?」


 部屋の前部、コツコツとブーツの音を立てながら壇上に魔術学院の教師陣がローブをはためかせながら一列に並んでいく。

 腰の曲がった老人、胸元をはだけさせた妙齢の女性、とめどなく溢れる汗をハンカチで抑える太っちょの男性、見るからに僕らよりも小さな女の子……。

 そんな数十人の特徴的な教師陣の前を横切り、壇上の演台でグルリと新入生を見渡したのは金の刺繍が編み込まれた豪華なローブを身にまとった壮年の男。

 白髪はワックスで固められ、適度に伸ばされた顎髭が近寄りがたい雰囲気を助長している。

 彼は演台に両手をつき、尊大な態度のまま話を切り出した。


「私の名はディートリヒ・リーメンシュタイナー。君たちも知っての通り、学院長の役についている」


 短い自己紹介。

 それだけで、会場の空気はガラリと変化した。

 低い声で僕たちに放たれたのは威厳と威圧。抗うことを許さない絶対的強者としての余裕と、スパイスとしての気怠さ。

 新入生たちの心臓の鼓動が、息をのむ音が鮮明に聞こえてくる。


「本来であればここで祝辞を述べることになるのだろうが、ここは魔術学院。少し趣向を凝らすとしよう……『固有領域オリジン』、発動」


 学院長は杖を取り出し、ピッと上から下へと小さく振るう。

 瞬きのうちに、変化は起きた。座っていた席から投げ出され、目の前にあったはずの長机、椅子はもちろん、部屋ごと世界が崩れ落ちていく。


「フリーダ……」

「ノアくん!」


 伸ばした手は空を舞い、すべてが崩れ去った後の何もない黒の空間に存在するのは僕だけだ。

 これが学院長の魔術なのか。「固有領域オリジン」と言っていたが……。


「君がノアか」

「……っ!」


 地面は無いが、後ろからの低い声音に飛びのいた。動くことは出来る。ポケットの杖はいつでも取り出せる状態で振り向くと、そこに悠然と立っていたのはさっきまで壇上にいた学院長その人であった。


「なんの、用でしょうか……」

「君と話したかった。理由としては十分だろう?」


 ここは一体どこなのだろうか。

 百人くらいはいた新入生はどこにも姿が見えず、この空間にいるのは僕と学院長だけだ。


「……なぜ、でしょうか」


 学院長は強い。それこそ、おそらくはルーラよりも、さらにはメルヒヌールよりも。

 そんな人が僕と話したかった、だって?この男が僕に話しかける理由がどこにあるというのか。その質問に答えるように彼は口を開いた。


「賢者メルヒヌール・マレクディオンが死んだ」


 さらに、言葉を紡ぐ。


「今の時代を担っていた魔術師の一人の死、その損失は計り知れない。……サリュ村での顛末は聞き及んだ。理解しているか?マレクディオンを終わらせたのは君だ」

「……」


 反論は出来ない。出来るわけがない。

 僕がもっと強ければ。そこに目覚めてからの期間など関係ない。襲い来る敵が僕の事情を見てくれることは有り得ないのだから。


「君はどうしてここへ……魔術学院へと来た」

「僕が僕として生きるために。そのために、もっと強くならないといけないから」


 それは、ずっと考えていること。

 淀みなく口から出てきた言葉に、学院長は首を振った。


「君がただのノアならそれでもいいだろう。だが、知っているか?君はただのノアとして生きていくことは出来ない」

「?」


 首を傾げる。

 僕はノアで、それ以外の名前は無い。学院長の言葉の意味をはかりかねていると、彼は僕を指差してその言葉を告げた。


「……ノア・マレクディオン」

「マレ……え?」

「ノア・マレクディオン。七百年……神魔大戦から続く歴史ある魔術師の家系における正統後継者。それが君だ。君に求められるのはノアとしての行動じゃなく、マレクディオンとしての行動だ」


 ああ、そういうことか。

 つまり学院長は、君がメルヒヌール・マレクディオンの代わり……この時代を担う魔術師になる必要がある、と言っているのだ。

 心臓がドクドクと早鐘を打っている。

 賢者メルヒヌール。僕が彼と過ごした時間は決して多くなく、だから彼のすべてを知っていたとは、とてもじゃないが言うことは出来ない。

 ただ、その名前がどれほどの重みをもっているのか。その一端くらいは理解しているつもりではいる。


「分かっているか。君は、この名の重みを」

「……はい」


 息を大きく吸って、薄く吐きながら流れるままに同意した。

 僕は僕だ。ノア、ノア・マレクディオン。名前が増えたからと言って、それがどうした。恐れも迷いも振り切って、だからこの場所に来た。

 学院長を睨み返す勢いで、言葉を紡ぎ叩きつける。


「僕はノアだ。この名前はメルヒヌールに与えられたもので、だからこそ僕のやるべきことは変わりません」

「と、言うと?」

「ノアに誇れる自分になる、ということです。そうなればきっと、僕はマレクディオンにも認めてもらえるノアになれる」


 これが本当に学院長の質問、詰問に対する答えとなっていたのか。それは分からないが、彼は小さなため息をつき顔を上へ、無限に広がる宇宙ソラへと向けた。


「そうか」


 小さく呟いた学院長の言葉は、いったい誰に向けたものだったのか。

 彼がパチンと指を鳴らした瞬間、僕はどこかも分からない黒の空間から出て、会場の席……ヴォーとフリーダに挟まれた位置に座っていた。


「……?」


 アレは一体なんだったのだろう。

 壇上に目を向けると、そこには今まで喋っていたはずの学院長がそれまでと何も変わらない厳つい表情で立っていた。


「うーん……」

「フリーダ」


 頭を手で押さえて左右に振りながら目を覚ました彼女に声をかける。


「ノアくん……アレ、なんだったの?」

「たぶん、学院長の魔術」


 フリーダの次にはヴォーが、スカンダが、周りの人たちが続々と目を覚まし始めた。

 僕がこの場所に戻ってきて十数分後、学院長が息を吸い、またグルリと新入生を見渡して話し始める。


「魔術学院第687期……ここに新入生101人の入学を許可する。

 君たちの思い、バス・イー魔術学院長ディートリヒ・リーデンシュタイナーが聞き届けた。

 魔術とは才能の世界、ここにいる全員が同じ成長は出来ない……だが、ああ、我は夢を見ている。この世界に君たちが自らの翼をもって羽ばたくことを。

 ……私からは以上だ」


 パチパチと局所的に起こった拍手は、学院長が壇上から降りる頃には部屋中を巻き込んだ祝福となっていく。

 バス・イー魔術学院へ向けて。

 学院長ディートリヒへ向けて。

 そして、新入生たる自分たちへ向けて。

 いつまでも鳴り止まない拍手に被せるようにブーパッ!と楽器の音色が響き渡る。ダンダン、タンタン、ポロンポロン、シャンシャン……音と音が重なり合い、一つの音楽が形作られていく。


「レディースッ、アーンドジェントルメーン!ウェルカム!ようこそ、バス・イー魔術学院へ!俺は三年のササ!そして」

「ワタシは二年のエリーゼ!初めまして、新入生のみんな。今日はトコトン楽しんでいってね!」


 どこからか壇上に現れたのは一組の男女。

 ササは演台を壇上の脇へと寄せ、その中心で杖を指揮棒タクトのように上下左右に振ることで音楽を意の向くままに操作する。


「おぉ……!」


 部屋を妖精が飛び回り、ボヤ……とした光が僕たちの間を通り過ぎながらふわりと温かさを振り撒いていく。

 どこにでもあるような部屋は一瞬にして摩訶不思議な空間へと姿を変えた。


「それっ!」


 次にエリーゼは壇上から降りて会場の中心まで走っていき、杖を上に向けて大きく振り上げた。

 杖から出てきた光と霧があたりを包み込み、そしてしばらく経ちそれが晴れると、長机の上には色とりどりのキラキラと輝く料理が盛り付けられていた。


「さぁ、召し上がれ!」


 ローストビーフにサラダ、かごの中にはバゲットが山のように積まれ、その他にも美味しそうな匂いの漂う料理が数多く存在する。

 僕がまず目を付けたのは、食べやすい大きさに切り分けられた果実だ。赤い殻に黄色の果肉と毒々しい色をしているが、意を決して口に含んでみるとこれが美味しい!


「ノアくんのそれ、もしかしてドラゴンフルーツ?こんな珍しい果物まで置いてあるなんて……もしかして学院内に栽培施設でもあるのかしら?」


 フリーダは口の中の食べ物を飲み込みながら黄色の果実に手を伸ばし、彼女が手に取ろうとしたその一瞬手前でスカンダがそれを奪い取った。


「お前!」

「ははは、取られるほうが悪いのさ。あぁ美味しい!」


 フリーダが額に青筋をピキリと立てる音がする。

 喧嘩一歩手前の彼女をなだめながら、ヴォーは「食事くらい静かにできないもんかね」と小さな声で愚痴を漏らす。

 そんな良く言えば賑やかな、悪く言えばマナーの悪い……食事会は窓の外から差し込む光が赤くなるまで続いた。


「……ノアくん、なにしてるの?」


 入学式、もとい宴会が終わりしばらくして、会場に残っている新入生も少なくなったころ。

 ぼんやりと窓の外を眺めていると、隣に身を寄せるようにフリーダが並んだ。


「んー……」


 なにをしていたわけでもない。それでも、強いて自分の感情を言葉にするのなら。


「ここから見える太陽も、夕方になれば赤いんだな……って」

「ふふっ、変なの。……うん、だけど分かる気がする。ここにいると現実と虚構の区別がつかなくなってくるもの」


 魔術世界の中心地、バス・イー魔術学院。まだその名を僕たちは心のどこかで見くびっていたのかもしれない。

 誰しも平等に降り注ぐ茜色の夕焼けは僕たちの頬を照らし、いつまでも燃え続けていた。

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天使が微笑む世界の終焉、悪魔が嘲る世界の誕生 爪隠能丸 @Normal_Tsumekakushi

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