第17話 魔術世界の中心地セージュ(後編)
シャッ、と更衣室のカーテンを開けて現れたのは、左手を腰に当てて決めポーズを取るフリーダだ。
「どう?」
「かっこいい……」
紺色のシャツに黒色の細身なパンツ、上には赤色のジャケットを緩く羽織り、高いブーツは彼女のすらりとした体型をさらに際立たせて見せる。
ワンポイントとして被ったロゴキャップを上にあげてニッと笑うフリーダに見とれていると、彼女は困ったように微笑んだ。
「どう、とは言ったけどそんなに見られると恥ずかしいよ」
「ごめん」
申し訳なさそうに僕が謝ると、「別にいいよ」と花の咲いたような笑顔で微笑み返す。そんなフリーダに僕の後ろからひょっこりと顔を出した女性の店員が話しかけた。
「お客様、大変よくお似合いです。丈もぴったり。どこか苦しい部分はございませんか?」
んー、と声に出しながら彼女はくるりと一回転し、そして店員に回答する。
「大丈夫です。あ、これ一式買いますのでよろしくお願いします」
「ありがとうございますー!」
またどうぞー、と女性店員の完璧な営業スマイルに見送られながら服屋を後にして、僕らはセージュ第一区画の散策を再開した。
雑貨店や見るからに怪しい魔術道具店を覗き、魔術学院に続く第一区画のメイン通りの中でサンドイッチの店に入って少し遅めの昼食を取る。
「美味しいねぇ、魔術的ななにかが入ってたりするのかなぁ」
「あー……そうかも」
確かにこのサンドイッチは美味しい。
カリカリに焼き上げられたパンに挟まれたのは、ふわふわの卵にとろとろのチーズ、シャキシャキのレタスにピリッと辛いマスタードがいい味を出している。
一皿千メシアンの価値は確かにありそうだ。
ただ、それよりも。
「そんなに熱い視線で見つめちゃって……もしかしてわたしの顔になにかついてる?」
「……フリーダ、その服気に入ったの?」
僕がそう聞くと、彼女はにっこりと笑ってみせる。
フリーダがよく着ている白のワンピースよりも露出は少ないし、かわいい雰囲気は今の服から感じることは出来ない。
問題は、そんなことはどうでもいいと言わんばかりのカッコ良さに圧倒されているところだ。店にいるお客たちがチラチラと彼女のことを見ていることに気付いているのだろうか。
「まぁね。たまには雰囲気変えてみるのもいいかと思って」
ぱくりとサンドイッチにかぶりつき、マヨネーズを頬につけて満足げな表情を浮かべるフリーダはひどく能天気に見える。
「ごちそうさまでした」
「あ、いつの間に。んぐ……」
「わー、急がなくていいよ!」
一緒に頼んだミックスジュースで、喉に詰まりかけたサンドイッチを胃の中に流し込んで席を立つ。
そこで気付いたが、ヒールを含めるとフリーダの身長は僕と同じか少し高いくらいだ。
ひそかな対抗心が沸いた僕はひっそりと背伸びをしてみたが、当の彼女に不思議そうな顔で首を傾げられたのですぐに止めた。
「次、どこ行こうか」
「杖のお店はどう?ノアくんが今持ってるのってメルおじさんのお下がりでしょ。自分に合ったもの使った方がいいだろうし。ウィリーからオススメのお店聞いてるんだ」
僕としてはメルヒヌールからもらったこの杖で十分なのだが、フリーダがそう言うなら行ってみてもいいかもしれない。
サンドイッチ店のあった通りから裏へ、その奥へと入った太陽の光が届いていないほのかに暗い場所。フリーダがウィリーに勧められたというその店はポツンと佇んでいた。いや、その言い方は正しくない。
「ここ……」
「めっちゃ怪しいんだけど……」
その店は、ポツンとこれ以上ないほどに悪目立ちしていた。
紫色に塗られた店に緑色の看板が掛けられており、はっきり言って常人のセンスではない。
ドアの前で話し合い別の場所で買おうと結論づけてその場を離れようとした瞬間、カランカランと鈴の音が鳴り店から一人の小人が顔を出した。
「いらっしゃい、お二人さん。杖をお求めかな?」
ひっひっ、と甲高い声で笑う鼻の高いその小人は特徴的な肌色……緑色で鼻が高く、スーツの裾から見える手の指は四本しかない。
この店員、人じゃない。ゴブリンだ。ゴブリンが人の言葉を喋り、営業スマイルを浮かべている。
「あ、いえ……」
「ひひひ、そう警戒なさらずとも取って食いやしません。ささ、中に……」
そのゴブリンに促され、逃げられないと腹をくくった僕たちは紫色の店内へと足を踏み入れた。
瞬間、言葉を失う。
天井が見えないほど高い。限りなく高い空からの光が淡く店内を照らしており、外観では一階だけしかないように見えたが、吹き抜けで遥か上空まで連綿と続く棚には杖の入った箱が所狭しと並べられており、さらに翼の生えた妖精がフワフワと浮かんでいる。
僕たちの通された一階部分には店としての必要最低限が揃っており、ただ三人掛けのソファはネグリジェ姿の女性が寝そべっており使えそうにない。
「……あら、お客さん?どうしたのかしら、一日に三人もこの店に来るなんて」
「魔女、余計なことを言うんじゃない。ひひっ、お待たせしましたお客様……さて、それでは杖を探していきましょうか」
ゴブリンに冷たくあしらわれるその女性は、それに慣れているのか微笑を浮かべてこちらのことを見つめ始めた。
べつに何を言われるわけでもないが、見られていると気になってしまう。
僕がチラチラとその女性のことを見ていると、フリーダに頬を引っ張られた。ほんの少しヒリヒリする頬を撫でていると妖精が一本の杖を手に降りてくる。
「まずはこれを。太陽杉にリンドヴルムの咬筋、真っ直ぐ、太陽の紋章、二十五センチ」
妖精に手渡されたその杖を右手に持ち、メルヒヌールの杖と比べてみる。
長さで言えばメルヒヌールの杖の方が長いが、対してこの杖は重い。数十グラムの差だが、結構な違いのように感じる。
「では杖に魔力を流してください。貴方様に合った杖であれば相応の反応を返してくれるでしょう」
まるで杖が一つの命と意志をもっているかのように話すゴブリンに訝しさを感じながらも、言われるまま右手に持ったそれに魔力を流し込み。
瞬間、僕を中心に暴風が吹き荒れ、店に置かれたあらゆるものが空中へと吹き上がった。
「うわっ!」
「魔力を収めて下さいっ……いや、暴走しているのか!魔女!」
「はぁい」
杖から巻き起こった風によって舞い上げられたソファの上に立った女性は、胸の谷間から取り出した自身の杖を掲げ、一瞬にしてそこに目に見えるほど大量の魔力を流し込んだ。
そして、唱える。
「『
女性の杖から放たれたのは冷たい光だ。
それが触れた端から吹き上がったものや人は浮力を失い、どさどさと床へ落ちていく。
「びっくりしたぁ……」
「はぁ、はぁ、申し訳ありません、お客様。流石にドラゴンの筋肉は我が儘が過ぎましたか……ではもう少し制御しやすいものを……」
ゴブリンが指図し、妖精が上層から持ってきたものは新しい杖だ。今度は所々で折れ曲がった、自然に存在する木の枝のような形と質感をしている。
「ユニコーンの角の欠片、世界樹ユグドラシルの枝、二ヵ所でねじれ、月の紋章、二十三センチ」
渡され、先ほどと同じように杖に魔力を通す。
ふわり、と身体が浮き上がるような感覚に襲われた。ただ、先ほどのように周囲に影響を与えるといったことはない。
精神が軽くなったような心地よい感じに身を委ねていると、いきなりフリーダが身体を揺すってきた。
「ノアくん!」
「……なに?」
ぼうっとした頭で答えると、彼女は「なにじゃないわよ」とバシバシ叩いてくる。
「もう、五分くらい話しかけても全く答えてくれないし、動かないし、心配したんだからね!」
「ご、ごめん……」
なんだか目が覚めてきた。脳が覚醒に近づいている。
今僕はなにをしていた?頭を押さえて考えるが、この杖に魔力を通した後の記憶が曖昧だ。気持ちよかったことしか覚えていない。
ゴブリンの方を見ると、ほっとしたように微笑んでいた……ように見える。人間じゃないからだろうが表情の変化が読み取りにくい。
「ふぅ、戻ってこられましたか。ひひっ、ここまで飛んでしまうとは思い至らず申し訳ない。それでは次を持ってきましょう」
一度目は暴走、二度目は時間感覚が失われたとなると三度目がどうなるか非常に不安になってくる。
だが、もう妖精が次の杖を持って降りてきた。こうなると店から出ていくわけにいかない。心配した表情を浮かべるフリーダに笑いかけ、ゴブリンから三本目の杖を渡される。
「
ゴブリンの怪しげな笑みにそそのかされ、僕は心を静めるように薄く息を吐いた。
そして、渡された杖を掲げて魔力を通す。
「……おぉ」
その様子を見てソファに寝そべっていた魔女が身体を起こした。
暴走する感じもふわふわと浮かび上がる感じもしない、地に足がついたまま、杖に流した魔力が体内の魔力と繋がり共鳴し合って膨れ上がる。
「すごい……!」
「ひひ、成功ですね。少し強情な子ではありますが、お客様なら使いこなせるでしょう」
ゴブリンに言われるまでもなく、この杖は僕にものすごく馴染む。
「これ、下さい」
「ええもちろん、ありがとうございます。さて値段ですが……なに、そんなにか。……三百五十万メシアンになります」
「三百五十万っ!?」
思わず叫び、ふらっと一歩後ずさった。
大通りで少し高めのサンドイッチを食べるのとはわけが違う。三百五十万メシアンとは、ウィリーのポーション何本分で、いったい何年あれば払うことの出来る額なのか。
僕があまりに絶望に満ちた表情をしていたのだろう、ゴブリンは慌てて手を振り先ほどの言葉を否定する。
「ま、まぁ、ひひっ……今のあなたに払えと言っても無理な金額なのは百も承知。杖の代金はツケで構いません」
「ツケ?」
「ええ、あなたがこの杖の代金を払えるようになった時に払いに来てください。私は、ひひっ……いつまでも待ち続けましょう」
それは願っても無い申し出だが、大丈夫だろうか。
目の前のゴブリンの浮かべている笑み……多分、は邪悪であり、まるで悪魔と取引をしているような錯覚に陥る。
「大丈夫よー、裏は無いから。その人、見た目はアレだけど根は優しいから安心して?」
と、一連の様子を見ていた魔女が眠たげに声を上げた。
なら、いいの、だろうか。
「ええと、ありがとうございます……」
フリーダもどうしたものかと首を傾げていたが、この杖を貰うことが出来るのならば悪魔との取引もやむを得ない。そう思えるほどに僕はこの杖に惹かれていて、それはこのゴブリンの手腕によるものだ。
よくもまあ、見えないほどの高さにまで積みあがった杖……ざっと数千本はあるだろう棚の中からこの一本を見つけることが出来たのだろうか。
「ええ、構いません……あと、もし壊れでもすれば持ってきなさい。無料で直して差し上げましょう」
またのご来店をお待ちしております、とゴブリンに見送られて店を後にする。
振り返って見えるのは紫色のケバケバしい店構え。中にあのような幻想的な光景が広がっているとは思いもよらなかった。
「そういえば、どうしてフリーダはあの店に連れて行ったの」
「そりゃ、ウィリーが『杖を選ぶならあの店がいい』って言ってたから……」
ぶつぶつと小さな声で「そりゃ、あんな店だって知ってたら行かなかったよ」と愚痴をこぼしている。
その呟きに苦笑するしかない僕が次に向かうのは書店だ。
大通りの突き当りにある五階建ての本屋はセージュ一、世界でも有数の大きさなのだとか。魔術学院の教科書も取り扱っているらしく、それを買いに行く。
「教科書買った後はどうする?」
「うーん……そしたらいい加減ウィリーと合流しよっか」
僕が首を縦に振ったそのとき、ちょうど向かっていた方向から一人の少年が猛スピードで走ってきた。
手には数冊の書物を抱え、困惑する通行人は避け、その中をすり抜け時には弾き飛ばしながらだんだんとこちらへ近づいてくる。
距離はあと五十メートルといったところだろうか。
「泥棒だっ!第九のごろつきめ、誰かあいつを捕まえてくれっ!」
膝をつき荒い息を吐きながら、だらだらと大量の汗を流して大声で叫ぶのは店員だ。
走る少年は後ろを振り向いて小さく舌打ちをし、さらにスピードを上げて走り出す。
「フリーダ、やるの?」
「ええ。『
彼女が泥棒の進行地点に向けて寸分の狂いなく放った紫電は、途中でぎゅるりと方向転換されることで避けられる。
摩擦熱で地面は焦げ、さらにスピードを上げた少年はこちらへ向かって突進してきた。
「『
それを逆手に取るようにフリーダが眼前に土の壁を築く。
そこまでの強度は無いが、あれほどのスピードで激突すれば大怪我は必須だろう。飛び散る土塊を予想して両腕を顔の前でクロスさせるが、その時が訪れることはない。
「ばぁか」と壁を難なくよけ、その横を猛スピードで通り過ぎる少年におちょくられた。
「あんの男めぇ……」
額に青筋を立てながら、身体をふるふると震わせるフリーダのすぐ横をすり抜けた少年はそのまま大通りを走り抜けていく。
後ろからその少年の足運びを見ると、走るというよりは道を滑っているという感じだ。
あの尋常じゃないスピードの理由はそれだろうか。
「ノアくん!」
「当たらないとは思うけど……。『
射程距離を言うならば、「
だから一言断りを入れたうえで、先ほどの彼女と同じ雷属性一節魔術を走る少年に向けて放つ。
その瞬間、ゾワリと全身の産毛が逆立った。
背後に巨大な魔物の影を感じたが、もちろん幻覚だ。こんな街の中に魔物が出て騒ぎにならないはずがない。
杖から放たれた紫電は真っ直ぐ逃げる泥棒を撃ち抜く軌道をなぞったが、少年はそれを見て緊急回避。地面を蹴ることで強引に進行方向を右へと切り替えた、ように見えた。が、
「んぎゃっ」
少年は雷に打たれてズザーーッ、と顔面から地面に激突した。気を失ってしまったのか起き上がる気配はない。
そこに駆け寄るのは赤色のローブを身にまとい、その手に杖を持った数人の魔術師たち。セージュにおける治安維持の役割を果たしているのか、男たちは意識のない少年を引っ立てて行ってしまった。
「キミたち、魔術学院の新入生かい?いやぁ、ありがとう!さっきのアイツ、何回も同じことを繰り返していたんだが、あの足の速さだろう。いつも赤服が来る前に逃げてしまってね」
「えっと……」
鼻息荒く僕の手を掴んでぶんぶんと振り回すのは、さきほど道端でこけていた店員さんだ。
今までどれだけあの少年に悩まされていたか、第九区画に住む魔術師たちはクズだ、魔術学院の新入生は今年も豊作だ……そういったことをばぁっと僕らに浴びせかけてからニコニコと笑みを浮かべて去って行った。
「嵐のような人だったな……」
「うん、そうだね……」
少し疲れたような顔をしているフリーダは、改めて僕の方に向き直り先ほどの会話の続きを始める。
「ノアくんの『
百メートル先の動く的に当てることなど普通出来ることじゃない。それに相手が回避行動を取ったならなおさらだ。
なら、別の要因が存在すると考えるのが自然。
杖は「放つ魔術に指向性を与える」とメルヒヌールが言っていたが、それと関係があるのだろうか。
フリーダの疑問には首を横に振って答えた。
「いや、僕にもなにが起こったか……」
ちら、とあの店で貰った杖を見る。
まさか、そこまで高性能なわけはない。杖はあくまで道具。僕以外の意思で魔術の軌道を操作した、なんてそんなことあるはずがないだろう。
その後書店に向かった僕らは、特に苦労することなく目当ての教科書を見つけて購入し店街へと出る。
するとそこには両手に大量の紙袋を抱えたウィリーと、その横で大きく手を振るシルヴィオの姿があった。
「おォい、無事教科書買えたみたいだな。良かった良かった、セージュに入った時にはぐれたときゃ、明日の入学式に参加できない可能性も考えちまったよ」
「ヴォーに助けてもらって……って、入学式って明日なんですか!?」
驚く僕に、言ってなかったか?とシルヴィオが首を傾げる。
てっきり二、三日の猶予はあるものかと思っていた。教科書と杖以外はなにも用意していないが大丈夫なのだろうか。
「明日に関してはなんでもローブを着ていけばそれで充分。無いものは買い足していけばいいしね」
「そ。わたしもいるし大丈夫よ」
二人の言葉は楽天的にも思えるが、なるようにしかならない部分ではあるのだろう。たぶん。
その後四人で晩ご飯……大通りのレストランでシチューとパン、子羊の丸焼きといつかの夕食と同じものを腹におさめた。
「おやすみなさい、ノアくん」
「おやすみ、フリーダ」
ウィリーが予約を取ってくれていた第二区画のホテルの三階でフリーダと別れ、一人部屋のランタンをともす。
ばふん、と音を立ててベッドに横たわり、今日ゴブリンの店で貰った杖を見つめて思考する。
明日入学式を迎えるバス・イー魔術学院。メルヒヌールも在籍していたこの場所で僕はなにを成し得るのだろうか、と。
……多くは望まない。
あの泥棒の少年を捉える大きな役割を果たし書店の店員に大きな感謝を向けられたが、なぜかあまりうれしく感じることは無かった。
それよりも、僕はただ隣にいる誰かを守れるだけの強さが欲しい。フリーダの横で笑うことの出来るノアになりたい。
「今日は、ちょっと疲れたな」
ポソリと呟いた一言は、僕を意識の奥底へと連れていく。
すぅ、といつの間にか寝息を立てるノアを覗くものは誰もいない。
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